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>指導すべき立場の人間・・・流石に点瞬
さんですね!
この階層の「理念と能力」の低下が国力衰退の「真の原因」と、私は過去の限られた経験から考えている!
1:私の技術者としての実践的な思想
practical
philosophyは・・・ 「技術は、知識と経験とのベクトル和」である! いくら知識レベルが向上しても、所詮は机上の空論に過ぎない、経験レベルの向上が有って初めて、技術のベクトルは向上する。 一方、経験レベルのみの向上だけでは駄目で知識の裏付けが必要であり、逆もまた真である。 ここで『技術』の部分を「能力」,「政治」,「行政」,「教育」,「経営」,「管理」等々に置き換えても、この考え方は通用する。 要は現在の日本の政治・行政・経営・指導・管理・教育層等の明らかなる「欠陥」は、形而上学的な理論(むしろ独りよがりな屁理屈)に偏向し、経験レベルの修行を積んでおらず、成功体験が少ない実態に由来する! 入試のための対策に終始した「空虚な教育」の延長線上にある。
2:もう一つの私の思想に「マクロな把握」と「ミクロな追求」の実践がある。 いわば、実践的な「戦略と戦術」の展開である。 「戦略展開」は、現在置かれている「環境」のみならず「近未来」を洞察することから始まる。 「戦術展開」の要諦は、現状把握にデータの裏付けがあって初めて「問題点」が見える。 そして、問題解決手法が「具体的」でなければならない。
「ベクトル和」の水準が高くなければ計画と行動は、徒に美辞麗句を散りばめたものになり下がり「具体性」を欠き実行には至らない。 簡単に言えば「敵を知らず」,「己を知らず」,置かれている「環境も知らず」,従って具体的な「有効な手段」に至らないのである。 「国益」が優先されて始めて「国民(個人や一企業ではない!)の利益」が、保障される。 (ココで「環境」とは、周辺国との経済・技術・資源・人的能力・戦力等の力関係を指す。) 「美しい国」は、思いやりのある「美しい心」と、経験に裏付けされた誇れる「自尊心」に支えられなければ、成り立たなかろう?
少年期に薫陶を受けた吉田章教諭は、青年士官から復員されて日が浅く未だ独身だった。私達は親しみをこめて仲間同士では「吉田さん」と呼んでいた。 吉田さんには、兄貴分且つ師匠であると同時に、分厚く広い「親父の背中」を何時しか重ねていた。 吉田さんが「水力学」講義の合間にする挿話は「五輪の書」や「菜根譚」であり、「不言実行」とか「率先垂範」がよく出てきた。そして「恥を知る」ことも学んだ!
最近は「有言・不実行」や「責任逃避」の風潮が蔓延している。 私は吉田さんを規範に「有言・実行」出来るような「親父の背中」を持つ技術者に成りたいと実践してきた。
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