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◆ 湖面に映るが如く ◆

書庫名 言 集

偉人の名言集【155】

http://www.geocities.jp/douki_37m1/blg/ph141104_03.gif
     (文中使用の画像↓はyahooの画像検索からのコピペです)

■ 池田 弘  ◇出典 http://blogs.yahoo.co.jp/e_dream21/35519089.html
実業家。
アルビレックス新潟会長、(学)新潟総合学院・(学)新潟総合学園 (NSG) 理事長、
古町愛宕神社宮司。
プロサッカークラブ「アルビレックス新潟」の会長。新潟県出身。
國學院大學卒業後、実家の古町愛宕神社の宮司となる。
従兄と共同で新潟総合学院を開設。
同グループを日本有数の教育事業グループに成長させた。
その後、アルビレックス新潟社長に就任。
地域密着型の改革を行い、観客動員数でJリーグ記録を達成。
チームのJ1昇格に貢献した。
また、ベンチャーキャピタルを設立し、故郷新潟の起業家を支援する活動を行った。
イメージ 14  「神様が見ている」
  「お天道様が見ている」
  とは、
  たとえ誰の目からも
  見えない場所、
  隠れた場所であっても、

  神様は人間を取り巻いている森羅万象に宿っておられるのだから、
  すべてをお見通しだよという意味なのです。

  むろん、キリスト教のような一神教にも
  神様に見られているという感覚はあるでしょうが、
  一神教で大切なのは
  神様との契約です。
  契約をきちんと守っているかどうか
  が重要なのです。

  しかし、
  神道では、
  契約を守っているかどうかではなく、
  自分を取り囲んでいる八百万の神に対して
  やましいこと
  をやっていないかどうかが
  大切なのです。
◇画像出典(池田弘が語る人と組織の育て方(第1回)--目を見ればやる気がわかる)
 http://toyokeizai.net/articles/-/9690



■ 本多 静六  ◇出典 http://blogs.yahoo.co.jp/e_dream21/35517416.html
【 慶応2年7月2日(1866年8月11日)− 昭和27(1952年)1月29日 】
日本の林学博士、造園家。日本の「公園の父」といわれる。
東京農林学校(現在の東京大学農学部)を卒業とともに、
林学を学ぶためドイツへ留学した。
ドイツでは、2つの学校に学び、最初はドレスデン郊外にあるターラントの
山林学校(現在はドレスデン工科大学林学部)で半年、
この後ミュンヘン大学へ転校し、更に1年半学問を極めた。
ドクトルの学位を取得、欧米を視察した後帰国し、母校の助教授、教授になった。
日比谷公園を皮切りに、北海道の大沼公園[2]や福島県の鶴ヶ城公園、
埼玉県の羊山公園、東京都の明治神宮[2]、長野県の臥竜公園、石川県の卯辰山公園、
福岡県の大濠公園[2]ほか、設計・改良に携わった公園多数。
東京山林学校卒業後に留学したドイツを始め、海外に十数回視察に赴き、
明治期以降の日本の大規模公園の開設・修正に携わった。
イメージ 13  凡人者の天才者に対する
  必勝とまではいかなくとも、
  少なくとも
  不敗の職業戦術がある。

  それは
           「仕事に追われないで、仕事を追う」
          ことである。
◇画像出典 (本多静六賞 - 埼玉県ホームページ)
 http://www.pref.saitama.lg.jp/page/honndaseirokusyou.html 



■ 新渡戸 稲造 ◇出典 http://blogs.yahoo.co.jp/e_dream21/35515589.html
教育者・思想家。農業経済学・農学の研究も行っていた。
国際連盟事務次長も務め、
著書 Bushido: The Soul of Japan(『武士道』)は、流麗な英文で書かれ、
長年読み続けられている。
日本銀行券のD五千円券の肖像としても知られる。
東京女子大学初代学長。
東京女子経済専門学校(東京文化短期大学・現:新渡戸文化短期大学)初代校長。
イメージ 12  勇気の修養には進むほうの勇ばかりでなく、
  退いて守るほうの勇も養うように心がけなければならない。
  両者がそろって本当の勇気ができるのである。


◇画像出典 (新渡戸稲造 | 十和田市立 新渡戸記念館・武士道)
 http://www.towada.or.jp/nitobe/inazo/



■ 伊庭 貞剛  ◇出典 http://blogs.yahoo.co.jp/e_dream21/35513884.html
第二代住友総理事である。
明治時代の実業家。企業の社会的責任の先駆者と言われている。住友の大番頭。
1847年〜1926年(弘化4年〜大正15年)住友合資第二総理事。
1月5日近江(滋賀県)生まれ。明治12年司法省から住友入りし、大阪本店支配人。
1890年、滋賀県選出初の衆議院議員。
別子鉱業所支配人を経て、明治33年に住友総理事。
鉄剛への進出をはじめ、産業勃興期に住友財閥の基礎を築いた。
明治37年、57歳で隠退。79歳で没。
イメージ 11  人というものは、
  才能を信頼してやれば、
  その信用に応えようと、
  全知全能を発揮するものである。



◇画像出典 (伊庭貞剛の経歴年表)
 http://besshi.net/hp/eco/01/005/ibanenpyou.htm



■ 松岡 佑子  ◇出典 http://blogs.yahoo.co.jp/e_dream21/35512402.html
元通訳で翻訳家・実業家。出版社の静山社社長。
ファンタジー小説「ハリー・ポッターシリーズ」の日本語版の翻訳者として知られる。
イメージ 10  夢は見るものではなく、
  叶えるもの。
  強く願えば、それは必ず実現する。
  そのためには、人生において、
  覚悟しなければならないことや、
  腹をくくらなければならないことがある。
◇画像出典(株式会社・静山社・松岡佑子・社長・留学ワーキングホリディ応援サイト・海外生活サプリ)
 http://www.kaigaiseikatsu-supli.jp/message/messe06/page2.html



■ 大前 研一  ◇出典 http://blogs.yahoo.co.jp/e_dream21/35510924.html
経営コンサルタント、起業家。「ボーダレス経済学と地域国家論」提唱者。
日立製作所を経て、
1972年に経営コンサルティング会社「マッキンゼー・アンド・カンパニー」に入社。
同社でディレクター、日本支社長、アジア太平洋地区会長などを務めた後、
1992年に新自由主義を標榜する市民団体「平成維新の会」を設立。
参院選落選後に平成維新の会は事実上解散となったが、その後、
政策学校「一新塾」&教育関連事業会社「ビジネス・ブレークスルー」を設立。
(2005年にマザーズ上場)
その他にスタンフォード大学ビジネススクール客員教授、
梨花女子大学国際大学院名誉教授、高麗大学名誉客員教授を務める一方で、
中国遼寧省、重慶市・天津市の経済顧問など、
国家レベルの経営コンサルタントとしても活躍した。
イメージ 9  日本人は
    「どこか自分の外側に答がある」
  と勘違いしている。

  そのため、
  何か困ったことに突き当たると、

      最初から
        「この問題の答はどこにあるのか、何なのか」
      と考えてしまう。

  自分が
    「解決すべき問題はそもそも何か」
  を考えずに、
  目先の問題への答えばかりを
  見つけようとする。
◇画像出典 (こころの時代 : 今日のコトバ<36> 大前研一(6))
 http://blog.livedoor.jp/kokoronojidai/archives/51518680.html



■ 山本 周五郎  出典 http://blogs.yahoo.co.jp/e_dream21/35509325.html
小説家。
市井に生きる庶民や名も無き流れ者を描いた作品で高い評価を得ている人物であり、
登場人物が辛酸を嘗め尽くし、志半ばで力尽きてしまうものも少なくないが、
生きる上でのヒントとなる含蓄のある台詞を彼らに吐かせるというのも
山本の作風の特長となっている。
また、山本周五郎の多くの作品が映画・テレビドラマ・舞台化されている。
イメージ 8
  読書、
  なかんずく
  小説を読む喜びは、


   もうひとつの人生を
   経験することができる、
   という点にある。

◇画像出典 (朝日新聞デジタル:山本周五郎に関するトピックス)
 http://www.asahi.com/topics/word/山本周五郎.html



■ 井上 ひさし  ◇出典 http://blogs.yahoo.co.jp/e_dream21/35507924.html
小説家、劇作家、放送作家。文化功労者、日本藝術院会員。
人形劇『ひょっこりひょうたん島』(NHK総合テレビ)を山元護久と共に手掛け、
同番組で国民的な人気を獲得。
その後、戯曲の執筆や小説・随筆等なども手掛けるようになり、
1983年に「劇団こまつ座」を創設。
イメージ 7  ある選択をする
  ということは、

  その選択によって
  生まれるはずのマイナスを
  すべて背負うぞということ。
◇画像出典 (井上 ひさしの名言集 | 名言学.com)
 http://名言学.com/hisashi-inoue



■ 神辺 四郎  ◇出典 http://blogs.yahoo.co.jp/e_dream21/35506197.html
1946年生まれ。早稲田大学政治経済学部卒業後、出版社編集部勤務を経て、
1971年に独立。編集プロダクション代表を務めるかたわら、
制作集団「ランダムプレス」を主宰している。
日本語・漢字の研究・執筆のかたわら、世界の宗教や民族紛争に関する著書を
多く出版する。
   やっかいなことに、
   かなり多くの人が
   寛容の精神を
   身につけていない。




■ 渡辺 茂  ◇出典 http://blogs.yahoo.co.jp/e_dream21/35504574.html
システム工学・情報科学の権威として知られる人物であり、
1976年に日本マイコンクラブを創設し、日本のマイコン普及に尽力。
東京都立工科短期大学学長やAI協会会長などを歴任。
   せっぱつまった崖っぷちに
   立たされたときこそ、
   きらめくような発想が生まれる。

   危機感の中に身をさらすことこそ、
   発想の原点だ。




■ ヴィクトル・ユーゴー
   ◇出典 http://blogs.yahoo.co.jp/e_dream21/35502957.html
フランス・ロマン主義の詩人、小説家。
七月王政時代からフランス第二共和政時代の政治家。
1959年から1965年まで発行されていた5フラン紙幣に肖像画が採用されていた。
ロマン主義フランス文学の大河小説『レ・ミゼラブル』の著者として知られる人物で
あり、七月王政時代からフランス第二共和政時代にかけては政治家としても活躍。
しかし、政治家としてはナポレオンの強力な反対者となっていたため、
ナポレオンの独裁体制樹立後にベルギーへ亡命し、
以後約19年に及ぶ亡命生活を送ることになる。
この亡命期間中に「レ・ミゼラブル」が完成し、
ベルギーより出版され大反響を巻き起こした。
イメージ 6  友よ、逆境にあるときは、
  つねに、こう叫びなさい。

 「希望がある、希望がある、
  まだ 希望がある」
  
  と。
◇画像出典 (Advertisement・フランスの文豪・ヴィクトル・ユーゴーについて)
 http://hayatocafe.blog.fc2.com/blog-entry-36.html



■ アリストテレス・ソクラテス・オナシス
   ◇出典 http://blogs.yahoo.co.jp/e_dream21/35501525.html
ギリシャの実業家、ミリオネア。
「20世紀最大の海運王」と言われた。
第二次世界大戦後に余剰化した連合国軍の船舶を安値で購入し海運業をはじめ、
さらにギリシアの海運王のスタブロス・リバノスの娘の
アシーナ・リバノスと結婚した。
これにより規模を拡大した海運業は、戦後復興を進めるギリシアと
ヨーロッパ諸国においてまたたくまに成功し、
1957年にはギリシャのフラッグ・キャリアであるオリンピック航空を設立するなど
さらに事業領域を拡大し、間もなくオナシスは「海運王」と称されるようになった。
イメージ 5  成功の鍵は、
  まだ誰にも
  見つかっていない物を
  探すことだ。

◇画像出典 (ポルトチェルボ 大富豪の変遷とチップ)
◇参考記事 (巨大タンカーのように)
 http://d.hatena.ne.jp/pract/20050107
◇参考記事 (世界の成功者に学ぶ - 富と幸せをもたらす方程式)
 http://wealthhappiness.seesaa.net/article/324254478.html



■ 山本 寛斎  ◇出典 http://blogs.yahoo.co.jp/e_dream21/35499923.html
ファッションデザイナー、イベントプロデューサー。
寛斎スーパースタジオ会長。
1971年(昭和46年)に、日本人として初めて、
ロンドンでファッション・ショーを開催したことでも知られる。
イメージ 4  どんなに苦しいことがあっても、
  必ずベターな道がある。

  ベストではないかもしれないけど、
  すべての道が閉ざされることはない。

◇画像出典 ( 太田プロダクション・山本寛斎 )
 http://www.ohtapro.co.jp/talent/yamamotokansai/



■ 高田 郁  ◇出典 http://blogs.yahoo.co.jp/e_dream21/35498219.html
時代小説作家。 兵庫県宝塚市生まれ。中央大学法学部卒業。
2006年、短編「志乃の桜」で第4回北区 内田康夫ミステリー文学賞区長賞を受賞。
この作品は『月刊J-novel』(実業之日本社)4月号に掲載された。
翌2007年には、短編「出世花」で第2回小説NON短編時代小説賞奨励賞を受賞[1]。
2008年6月、同題の短編集を祥伝社より刊行して時代小説作家としてデビューした。
以降、みをつくし料理帖シリーズなどの時代小説を執筆している。
イメージ 3   つらい時、私は
  「まわりの人を”ゴミ箱”にしない」
   ことを心がけています。

   自分のつらい思いや悲しい思いを
   人に投げつけることは、
   その人をゴミ箱にするのと同じです。

   だからすごく不安で怖い時にも、
   その気持を口にすることはありません。
◇画像出典 (エンタ魂・ドラマスペシャルみをつくし料理帖)
 http://www.ent-mabui.jp/program/3408
◇参考記事 (西島歯科医院・花散らしの雨 高田 郁[著])
 http://www.nishijima-dental.net/blog/437.html




■ 平井 正修  ◇出典 http://blogs.yahoo.co.jp/e_dream21/35496573.html    
臨済宗国泰寺派全生庵の住職を務める僧侶。
学習院大学法学部政治学科を卒業後、静岡県三島市龍沢寺専門道場に入山。
同所での修行を経て、2003年に全生庵の第七世住職に就任。
イメージ 2   座禅の基本は、
  「調身、調息、調心」だ。

   姿勢を整え、
   呼吸を整え、
   そして心を整える。
◇画像出典 (「竹葉々清風」無心の境地とは二心を持たずに生きること也 )
 http://hoshutube.army.jp/archives/7730



■ 武者小路 実篤  ◇出典 http://blogs.yahoo.co.jp/e_dream21/35494914.html
小説家・詩人・劇作家・画家。
位階は従三位。文化勲章受章。
授与された称号には名誉都民などがある。
日本芸術院会員。
1910年に「志賀直哉」「有島武郎(ありしま たけお/1878-1923)」
「有島 生馬(ありしま いくま/1882-1974)」らと文学雑誌「白樺」を創刊。
1918年には、理想的な調和社会、階級闘争の無い世界という理想郷の実現を目指し、
宮崎県児湯郡木城村に「新しき村」を建設(後にダム建設による
水没のため埼玉県に新設)。
1948年に主幹として「心」を創刊。
1951年に文化勲章を受章。
晩年は色紙に書いた野菜の絵に毛筆で文を添えた作品を数多く制作した。
イメージ 1

  人生は楽ではない。  
  そこが面白いとしておく。



◇画像出典 (Wikipedia・貴族院勅選議員,東京都出身の人物,千葉工業大学の人物) 
 http://ja.wikipedia.org/wiki/武者小路実篤

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