偉人の名言集【80】■ 福島 正伸 ◇ http://blogs.yahoo.co.jp/e_dream21/33454835.html実業家・作家・講演家。 早稲田大学を卒業後、コンサルタント会社に就職するも同月に退社し、様々な事業に挑戦、 1988年に株式会社「就職予備校」(後のアントレプレナーセンター)を設立。 人材の育成、組織活性化や新規事業立ち上げ、地域活性化支援の専門家として知られる人物であり、 通産省の産業構造審議会委員など数々の委員も歴任している。 できない言い訳をしません。
やると決めたら、どうしたらできるかだけ毎日考えます。 それが不可能を可能にする、秘訣であることを知っているからです。 ■ 大西 良慶 ◇ http://blogs.yahoo.co.jp/e_dream21/33452951.htm 京都清水寺の貫主を務め、その晩年は日本の長寿記録保持者としても有名であった北法相宗の僧である。 良慶節と呼ばれる独特の説法でも親しまれた。 1976年、鹿児島県に生まれて話題となった日本初の五つ子の名付け親としても有名である。 1983年、107歳で天寿を全うした。) 「我」があるから苦しくなる。
「我」があるから人と比べて劣等感を感じる。 自分の寸法の行いを心がけたらええ。 ■ 高田 好胤 ◇ http://blogs.yahoo.co.jp/e_dream21/33451238.html 法相宗の僧侶。薬師寺第百二十四世管主。 法相宗(ほっそうしゅう)管長。 写経勧進というユニークな方法で金堂、西塔など薬師寺の伽藍を復興し名物管長と呼ばれた。 太平洋戦争における戦没者慰霊にも熱心で各地の戦跡で法要して回った。 また、日本を守る国民会議代表委員も務めた。 とらわれない こころ
かたよらない こころ こだわらない こころ ひろく ひろく もっとひろく これが般若心経 空のこころなり ■ 武者小路 実篤 ◇ http://blogs.yahoo.co.jp/e_dream21/33449064.html 小説家・詩人・劇作家・画家。 学習院初等科、同中等学科、同高等学科を経て、 1906年(明治39年)に東京帝国大学哲学科社会学専修に入学。 1907年(明治40年)、学習院の時代から同級生だった志賀直哉や木下利玄らと「一四日会」を組織する。 1910年(明治43年)には志賀直哉、有島武郎、有島生馬らと文学雑誌『白樺』を創刊。 彼らはこれに因んで白樺派と呼ばれた。 実篤はトルストイに傾倒したが、その彼はまた白樺派の思想的な支柱だった。 天与の花を咲かす喜び
共に咲く喜び 人見るもよし 人見ざるもよし 我は咲くなり -note- 自身を花に例えたこのことばを直訳すると、 「天から与えられた自分自身を咲かす喜び、他者と共に咲く喜び、そして、 人が自分を見ていても、見ていなくても構わない、私は私として咲きます」 となるでしょうか。 植物が人の目を気にせず、季節が廻ればその花を美しく咲かせるように、 私たちも自然のままに、自らの尊い命を咲かせればいいという意味だと思います。 社会生活を送る上で、時に私たちは他人の評価や世間の価値観に振り回されてしまいます。 しかしこのことばは、一人ひとりそれぞれが、かけがえのない命を、 自分らしく凛とした姿勢で生きていけばいいのだと伝えているように思います。 ■ 南 壮一郎 ◇ http://blogs.yahoo.co.jp/e_dream21/33447509.html 株式会社ビズリーチ代表取締役。 1999年、大学卒業後、モルガン・スタンレー証券に入社。 2004年、「楽天イーグルスの創業メンバー」の座を獲得する。 楽天イーグルスでは、チーム運営や各事業の立ち上げをサポートした後、 GM補佐、ファン・エンターテイメント部長、パリーグ共同事業会社設立担当などを歴任し、 初年度から球団事業においては不可能とされていた黒字化成功に貢献する。 著書;絶対ブレない「軸」のつくり方。 根拠があるわけではなくても、小さな一歩を踏み出してみる。
すると、そうした行動が、次に何をすればいいのかの 大きな手がかりにつながっていく。 ■ ますい 志保 ◇ http://blogs.yahoo.co.jp/e_dream21/33445338.html 東京・銀座のクラブのママ兼作家。 元タレント。 13歳からタレント活動を始める。 明治大学仏文科卒。 大学在学中からホステスとして働き、その後、 双子の妹とともに銀座に会員制クラブふたご屋を開店。 最近、銀座にいらっしゃるお客様を拝見していて、
成功する男性のタイプが変わってきていると実感しています。 少し前までは、いわゆる「俺についてこい」タイプというか、 強力なリーダーシップを発揮する人が出世していたものでした。 ところがいまは、周囲の共感を得ながら進むタイプの方が成功を収める傾向にあるようです。 ■ 坂村 真民 ◇ http://blogs.yahoo.co.jp/e_dream21/33442737.html 仏教詩人。 一遍の生き方に共感し、癒しの詩人と言われる。 熊本県立玉名中学校を経て、神宮皇學館卒業。 愛媛県砥部町に「たんぽぽ堂」と称する居を構え、 毎朝1時に起床、近くの重信川で未明の中祈りをささげるのが日課であった。 詩は解りやすい物が多く、小学生から財界人にまで愛された。 特に「念ずれば花ひらく」は多くの人に共感を呼び、 その詩碑は全国、さらに外国にまで建てられている。 森信三が早くからその才覚を見抜き後世まで残る逸材と評した。 日の昇るにも
手を合わさず 月の沈むにも 心ひかれず あくせくとして 一世を終えし人の いかに多きことぞ 道のべに花咲けど見ず 梢に鳥鳴けど聞かず せかせかとして 過ぎゆく人の いかに多きことぞ 二度とないこの人生を いかに生き いかに死するか 耳かたむけることもなく うかうかとして 老いたる人の いかに多きことぞ 川の流れにも 風の音にも 告げ給う声のあることを 知ろうともせず 金に名誉に地位に 狂奔し終わる人の いかに多きことぞ 生死事大無常迅速 時人を待たず 噫(ああ) ■ 日野原 重明 ◇ http://blogs.yahoo.co.jp/e_dream21/33440207.html 医師・医学博士である。 聖路加国際病院理事長、同名誉院長。 日本で最初に人間ドックを開設、早くから予防医学の重要性を説き、 終末期医療の普及にも尽くすなど、長年にわたって日本の医学の発展に貢献してきた功績により、 1999年に文化功労者に選ばれ、2005年には文化勲章を授与された。 人のために自分を捧げる喜びを知っている人を、プロと言います。
■ 宗次 直美 ◇ http://blogs.yahoo.co.jp/e_dream21/33438558.html カレーハウスCoCo壱番屋の創業者の一人。 愛知県出身。一宮女子高校卒業後、大和ハウス工業勤務を経て夫とともに喫茶店を開業し独立。 その後、カレーハウスCoCo壱番屋を創業し夫婦で同社を大きく成長させた。 客目線の接客を徹底する! 客が喜んでくれる事をしていれば間違いはない! いつか客は絶対にきてくれる! と信じ、客の声に耳を傾けた。 店を徹底的に磨き、おいしいカレーを提供し、 夫婦で励まし合いながら店に立ち続け続けた。 「ココイチ」の愛称で親しまれ、今では世界5カ国で1179店舗を展開する。 私は率先垂範で働きます。
脱サラして喫茶店をはじめ、カレーチェーンを創業したのも自分たちが決めてやったことです。 誰に強制されたわけでもありません。 徹底的に死に物狂いでやるのが当たり前です。 1000店舗を達成したときは、半年間、制服を着てカウンターの中に立ちました。 ■ 杉原 千畝 ◇ http://blogs.yahoo.co.jp/e_dream21/33436768.html 第二次世界大戦の際、リトアニアのカウナス領事館に赴任していた杉原は、 ナチス・ドイツの迫害によりポーランド等欧州各地から逃れてきた難民たちの窮状に同情。 外務省からの訓命に反して、大量のビザ(通過査証)を発給し、 およそ6,000人にのぼる避難民を救ったことで知られる。 その避難民の多くは、ユダヤ系であった。海外では、 「日本のシンドラー」などと呼ばれることがある。 恐らく百人が百人、東京の回訓通り、ビザ拒否の道を選んだだろう。
それは何よりも昇進停止、乃至、馘首が恐ろしいからである。 私も何をかくそう、回訓を受けた日、一晩中考えた。 公安配慮云々を盾にとって、ビザを拒否してもかまわないが、 それが果たして、国益に叶うことだというのか。 苦慮、煩悶の揚句、私はついに、人道、博愛精神第一という結論を得た。 そして私は、何も恐るることなく、職を賭して忠実にこれを実行し了えたと、今も確信している。 ■ 矢沢 永吉 ◇ http://blogs.yahoo.co.jp/e_dream21/33434469.html 広島県広島市出身のロックミュージシャン。 愛称は「永ちゃん」「ボス」。 実母が家を出て、実父は原爆後遺症で早逝したため、幼少期は親戚中をたらい回しにされる。 その後は祖母に育てられ、極貧の少年時代を過ごした。 この頃、近所の裕福な家の子供に「お前の家は貧乏でケーキなんか買えないだろう」と ケーキの一部を顔に投げつけられるなどの屈辱を受けた。 このような経験が積み重なり「BIGになる」との思いが芽生えたと語っている。 言いたいのは、それひとつだよ。
その生き方を人のせいにしちゃダメだ。 ■ 渡邉 美樹 ◇ http://blogs.yahoo.co.jp/e_dream21/33432641.html
実業家。 ワタミ株式会社取締役会長。 学校法人郁文館夢学園理事長、岸和田盈進会病院理事長。 ワタミ株式会社の創業者で、過去に同社代表取締役の他、 教育再生会議(安倍内閣)委員、神奈川県教育委員会教育委員を務めた。 私の欲というのは、「ありがとう」がたくさん集まることなんです。
つまり、「お前がこの世にいてよかった」という存在になりたい。 だからこそ、最大の「ありがとう」のために、どこを攻めたらいいのか、 どの扉を開けたら「ありがとう」が詰まっているのかを、常に考えていますね。 |
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