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◆ 湖面に映るが如く ◆

書庫名 言 集

偉人の名言集【99】

偉人の名言集【99】

■ 河井 継之助  ◇ http://blogs.yahoo.co.jp/e_dream21/33995991.html
幕末期の越後長岡藩牧野家の家臣。
現在までに数多くの小説やドラマなどに取り上げられている人物でもあり、
特に司馬遼太郎の小説『花神』『世に棲む日日』『十一番目の志士』『峠』の
4作を原作としたNHK大河ドラマ『花神』によって
「河井継之助」の名前が全国へ浸透することにつながった。
不遇を憤るような、その程度の未熟さでは、とうてい人物とはいえぬ。

■ マザー・テレサ  ◇ http://blogs.yahoo.co.jp/e_dream21/33994059.html
カトリック教会の修道女にして修道会「神の愛の宣教者会」の創立者。
「マザー」は指導的な修道女への敬称であり、「テレサ」は修道名である。
カトリック教会の福者。コルカタ(カルカッタ)で始まったテレサの貧しい人々のための活動は、
後進の修道女たちによって全世界に広められている。
生前からその活動は高く評価され、
1973年のテンプルトン賞、
1979年のノーベル平和賞、
1980年のバーラ・ラトナ賞(インドで国民に与えられる最高の賞)、
1983年にエリザベス2世から優秀修道会賞など多くの賞を受けた。
1996年にはアメリカ名誉市民に選ばれている(アメリカ名誉市民はわずか7人しかいない)。
2003年10月19日、当時の教皇ヨハネ・パウロ2世によって列福された。
けさ、私は、この豊かな美しい国で孤独な人を見ました。
この豊かな国の大きな心の貧困を見ました。」
「カルカッタやその他の土地に比べれば、貧しさの度合いは違います。
また、日本には貧しい人は少ないでしょう。」
「でも、一人でもいたら、その人はなぜ倒れ、なぜ救われず、
その人に日本人は手をさしのべないのでしょうか。
その人が飲んだくれだから!
でも、彼もわたしたちも兄弟です。
本人はきっと孤独でしょう。
みなから無視されての…。
やけ酒かもしれません。」
「私は、短い間しか日本に滞在しないので手を貸してあげるのは、せんえつだと思い、
何もしませんでしたが、もし、女の人が路上に倒れていたらその場で、語りかけたり、
助けていたと思います。
豊かそうに見えるこの日本で、心の飢えはないでしょうか。
だれからも必要とされず、だれからも愛されていないという心の貧しさ。
物質的な貧しさに比べ、心の貧しさは深刻です。
心の貧しさこそ、一切れのパンの飢えよりも、もっともっと貧しいことだと思います。
日本のみなさん、豊かさの中で貧しさを忘れないでください。」

■ 王 貞治  ◇ http://blogs.yahoo.co.jp/e_dream21/33991295.html
元プロ野球選手、監督。
読売ジャイアンツの主軸打者として積み上げた公式戦通算本塁打数868本は、
メジャーリーグのハンク・アーロンの755本、バリー・ボンズの762本、
ニグロリーグ他のジョシュ・ギブソンの962本と並び証される本塁打記録である。
日本シリーズ29本、オールスターゲーム13本、日米野球23本、春秋オープン戦98本、
東西対抗1本を合算すると計1032本の本塁打を記録。
その他数々の日本プロ野球記録を保持する。
初めて日本の国民栄誉賞を受賞した人物であり、
2010年には文化功労者として顕彰された。
自分のためにやるからこそ、それがチームのためになるんであって、
「チームのために」なんて言うやつは言い訳するからね。
オレは監督としても、自分のためにやってる人が結果的にチームのためになると思う。
自分のためにやる人がね、一番、自分に厳しいですよ。
何々のためとか言う人は、うまくいかないときの言い訳が生まれてきちゃうものだから。

■ 服部 金太郎  ◇ http://blogs.yahoo.co.jp/e_dream21/33989761.html
1860年、江戸の貧困な夜店商人の家に生まれる。13歳より唐物屋に奉公し、
1874(明治7)年から時計店に勤め、時計の修繕販売に従事する。その後、
1881(明治14)年に個人経営で時計小売業として服部時計店(現・セイコー株式会社)を開業した。
商売熱心だったため、早くも3年後には「東京時計商繁盛鏡」と言う時計商番付の最下段に登場した。
また、良い商品を仕入れていたため「浜の屋敷(横浜外国商館)」の信頼も得るようになった。
こうして実績を重ね銀座にも進出し、開業6年目にして服部時計店は時計販売の大手に育った。
当時、我が国の時計製造業は未発達ですべて輸入に頼っていたが、
1892年に精工舎をおこし、掛時計・懐中時計・目覚まし時計の製造に着手。
欧米の技術を学び国産時計製造業の発展に尽し、
ついに外国製品に比肩しうる精巧品の製造に成功した。
第一次大戦時には欧米に輸出するに至った。
「SEIKO(セイコー)」はその商標である。
「一人一業主義」を守り、始終時計業に専念した。
正直は、最善の商道である。
外国商館が私の小さな店を信用し、
何ぞざん新なものとか、
何ぞ珍しい時計でも入荷すると、
他の店よりまず私の店に売ってくれた。
私の店に来れば、時計は豊富で、おのずから客足が多くなり、
ここに店運発展の機運を形成するに至った。

■ 安藤 美冬  ◇ http://blogs.yahoo.co.jp/e_dream21/33986856.html
ソーシャルメディアでの発信とセルフブランディングを駆使し、
企業経営や、コミュニケーションデザイナー、コンテンツディレクター等、
様々な肩書きで仕事をするノマドワーカー。
多数のメディア、講演に出演している。
企画やコピーを考える場合など、アイデアを出す場面では天井が高い場所に行きます。
ホテルのティールームなどが最適です。
そういう場所はなぜか発想が豊かになるんです。

■ 玉塚 元一  ◇ http://blogs.yahoo.co.jp/e_dream21/33984936.html
実業家。
リヴァンプ顧問。
ユニクロを運営するファーストリテイリング元社長。
慶應義塾大学法学部政治学科卒業後、旭硝子へ入社。
旭硝子シンガポール支店駐在、ケース・ウェスタン・リザーブ大学大学院でMBA取得、
サンダーバード国際経営大学院で国際経営学修士号取得。
その後、旭硝子を退職し、日本IBMでコンサルティング業務に関わったのち、
ファーストリテイリングにヘッドハントされて入社。
3年間社長を務めたのち退社。
マーケティングと経営支援会社のリヴァンプを創設。
そのほか、ロッテリア会長、ローソン副社長・顧問などを務めた。
コンビニ業界に限らず、
これだけ世の中が目まぐるしく変化する時代においてビジネスで成果を出すには、
将来の方向性を見据えた適切な課題設定と、
PDCA(計画・実行・評価・改善)の高速回転が不可欠です。

■ 木村 耕一  ◇ http://blogs.yahoo.co.jp/e_dream21/33983654.html
エッセイスト。
人生哲学についてのエッセイで知られる人物。
主な著書に
「まっすぐな生き方」「思いやりのこころ」「おむすびの味 親のこころ」
「親のこころ」「こころの朝 たった1つの教訓で、もっと明るく生きられる」
「こころの道 ものの見方、考え方ひとつで、新しい風が吹いてくる」等。
心が変われば、それは必ず、言葉と態度に表れてくる。

■ 櫻井 秀勲  ◇ http://blogs.yahoo.co.jp/e_dream21/33981938.html
編集者、評論家。
文芸誌の編集者を務め、色川武大、松本清張、三島由紀夫、川端康成等
多くの文豪達と交流の後に31歳で『女性自身』の編集長に抜擢、
最高部数147万部の新記録を達成したが、1970年に発生した労働争議を機に光文社を退社し、
祥伝社の設立に参加する。
不平不満は心の中で燃やせ!

■ コンラッド・ヒルトン  ◇ http://blogs.yahoo.co.jp/e_dream21/33980337.html
アメリカの実業家で、ヒルトンホテルの創業者。
ニューメキシコ軍人養成学校で教育を受けた後、
第一次世界大戦にアメリカが参戦すると、従軍してフランスへ送られた。
退役後テキサス州シスコに移住し、当初銀行を買収して銀行家になろうと思ったが、
買収に手ごろな銀行がなく、たまたま見つけたモブレー・ホテルを
1919年に買収したのが彼のホテル経営の最初である。
その後はホテル経営に才能を発揮し、
1930年にはヒルトン・ホテル最初の高級ホテルとなる
エル・パソ・ヒルトン(現プラザ・ホテル)を開業した。
成功する人は、動き続けている。
間違いを犯すことはあっても、
決して立ち止まることはない。

■ 吉岡 彌生  ◇ http://blogs.yahoo.co.jp/e_dream21/33979077.html
教育者、医師。位階は正五位。
勲等は勲二等。
東京女医学校・東京女子医学専門学校・東京女子医科大学創立者。
東京女医学校校長、東京女子医科大学学頭、至誠会会長などを歴任した。
難しい問題にぶつかった場合でも、
それに負けてしまわず、微笑して考えれば、
そこに解決の道はあるのです。

■ 杉田 満裕  ◇ http://blogs.yahoo.co.jp/e_dream21/33977279.html
作家。
会社勤めのかたわら執筆活動を行っている人物であり、
新聞や雑誌に連載を持つほか、講演活動なども行っている。
主な著書に
「“運のいい人”になる12週間の小さな心がけ」
「少しずつ元気を取り戻すヒント うつ、落ち込みから立ち直るきっかけの作り方」
「少しずつ毎日を充実させるヒント 幸せ、夢、成功への「あと一歩」の踏み出し方」等。
人生の晩年に
「私はこれを世に送り出した」
「これを生み出した」
と胸を張って言える人は、幸せである。
私自身もそういう人生でありたい。

■ 鈴木 清一  ◇  http://blogs.yahoo.co.jp/e_dream21/33975388.html
明治44年12月21日生まれ。
ワックス製造のケントク社長をへて,昭和38年大阪にサニクリーンを設立。
39年社名をダスキンにあらためて化学ぞうきんのレンタルをはじめ,フランチャイズ方式で成功。
45年外食産業にも進出した。宗教家西田天香の影響をうけ,祈りの経営を提唱。
昭和55年8月22日死去。68歳。

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    喜びのタネって面白い考えですね。

    [ bsos ]

    2012/10/3(水) 午後 1:57

    返信する
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    bsosさん。
    人は、知らず知らずのうちに、いろんな種を蒔いているのでしょうね
    その蒔いた種が実る。喜びの種からは、喜びの実が・・・。
    得する種を蒔きたいものです。面白い発想ですね。

    〜 無風 〜

    2012/10/5(金) 午後 2:03

    返信する

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