偉人の名言集【107】■ 安岡 正篤 ◇ http://blogs.yahoo.co.jp/e_dream21/34166089.html陽明学者・思想家。 戊辰戦争の際、賊魁近藤勇を捕縛し斬首した功名で知られる土佐藩士安岡良亮の曾孫にあたる。 多くの政治家や財界人の精神的指導者や御意見番として知られる人物であり、 安岡を師と仰いだ政治家には「吉田茂」「池田勇人」「佐藤栄作」「福田赳夫」「大平正芳」など 歴代の首相も名を連ねている。 「日本の黒幕」とも呼ばれた人物であるが、本人は「自分はただの教育者にすぎない」と 黒幕と呼ばれるのも嫌がっていたとのこと。 生前、「いつか昭和が終わったら次は平成というのはどうだろう?平和が成り立つのいう意味だ」と 平成の元号を考案したと言われているが、今をもって真偽は不明である 人間なにが悩みかというと、自分が自分を知らざることである。
人を論じたり、世を論じたりすることはやさしいが、自分を論じ、 自分を知るということは、実はこれが一番大事であるにかかわらず、なかなか難しいことである。 人間は、先ず自分を責むべきであって、世の中や時代を責むべきではない。 世の中が悪い、時代が悪いというのならば、そういう時世に対して、 一体自分はどれだけ役に立つのか、それをどう解釈し、 それに対してどういう信念・情熱を持っているのか、よく自分を責めるがよい。 ■ 諸橋 轍次 ◇ http://blogs.yahoo.co.jp/e_dream21/34164080.html 漢字の研究者で、大著『大漢和辞典』や『広漢和辞典』(ともに大修館書店刊)の編者。 文学博士。 東京文理科大学名誉教授。 都留短期大学および都留文科大学の(四年制大学としての)初代学長。 学ぶには大道があります。
それを通らずに小道を歩いていくと、必ず行き詰まりがあり、 もとへ戻らなくてはいけなくなります。 ところが奇をてらう人間とか、 世間の評判を得ようというような人間は、小道を行くのです。 名前を早く売るには都合がいいからでしょう。 しかし小道を行った人間は決して大成しません。 学問だけでなく何事においてもそうです。 ■ 白瀬 矗 ◇ http://blogs.yahoo.co.jp/e_dream21/34162013.html 陸軍軍人、南極探検家。 最終階級は陸軍輜重兵中尉。 1861年(文久元年)、出羽国由利郡金浦村(現在の秋田県にかほ市)出身。 浄蓮寺の住職、白瀬知道・マキエの長男として生まれた。 11歳の頃に寺子屋の教師、佐々木節斎より北極の話を聞き、探検家を志す。 この時佐々木は、白瀬に対し5つの戒めを教えた (酒・煙草・茶・湯を絶ち、そして寒くても火にあたらない)。 白瀬は18歳頃から守るようになり、生涯この戒めを守り続けたとされる。 1879年7月に僧侶となるため上京するが、2ヵ月後に軍人を目指し日比谷の陸軍教導団騎兵科に入校。 同時に幼名の知教という名を矗に改名した。 艱難(かんなん)は汝を玉にする。
困苦は忍耐の試金石なり。 人生困苦の味を知らぬ人はまことに幸福である。 そして、不幸である。 ■ 鈴木 光司 ◇ http://blogs.yahoo.co.jp/e_dream21/34159922.html 作家、小説家、エッセイスト。 静岡県立浜松北高等学校、慶應義塾大学文学部仏文科卒業。 デビュー作の1990年の『楽園』は、1万年という時を超えた男女の愛を描く壮大なスケールの小説で、 日本ファンタジーノベル大賞優秀賞を得た。 『リング』は横溝正史ミステリ大賞最終候補まで残り、 映像化され、ホラーブームの火付け役となった。 その続編である『らせん』は1995年、第17回吉川英治文学新人賞を受賞した。 たやすく得られるものに、
人は命をかけるはずがない。 ■ 石川 洋 ◇ http://blogs.yahoo.co.jp/e_dream21/34157714.html 栃木県出身の作家・講師。 17歳の時に一燈園創始者「西田天香師」に出会い、入園を決意し、同人として無所有の奉仕者となる。平成10年に一燈園を離れ、市井の托鉢者として再出発。 PHPゼミナールの他、企業・団体などの講師として多数のファンを持ち、 受講生に「人としての生きざま」を問いかけ、感動を呼ぶ。 また、海外ではカンボジアなどで幾多の危険な場面に直面しながら難民救助にもあたっている。 自分で自分に妥協し、
自分を甘えさせたら、 そこから自分は堕落してしまう。 栗原 貞子 ◇ http://blogs.yahoo.co.jp/e_dream21/34154844.html 『生ましめんかな』で知られる日本の詩人。 峠三吉などの原爆詩人の一人。 広島県広島市生まれ。 この詩は原子爆弾が投下された夜、地下壕に避難していた被爆者の1人が突然産気づき、 赤子を取り出す為に同じ地下壕内に避難していた1人の産婆が、 自らの怪我を省みずに無事赤子を取り上げるが、それと引き換えに命を落としたという内容である。 この詩の内容は架空の物語ではなく、広島市千田町の郵便局地下壕で 実際に起った出来事を聞いた栗原が、脚色を加えて作った詩である(事実では産婆は生き残り、 後に取上げた子供と再会している)。 消えていく命と生まれ出る命を対比的に表現し、原爆を主題とした詩の中で、 原爆の悲劇と人間のたくましさ、未来への希望を表現した名作との評価は高く、 原爆詩の代表作の1つとされている。 現在詩の舞台となった日本郵政株式会社中国支社の敷地内にある 『郵政関係職員慰霊碑』と共に『生ましめんかな』の歌碑が建てられている。 生ましめんかな
こわれたビルディングの地下室の夜だった。 原子爆弾の負傷者たちは ローソク1本ない暗い地下室を うずめて、いっぱいだった。 生ぐさい血の匂い、死臭。 汗くさい人いきれ、うめきごえ その中から不思議な声が聞こえて来た。 「赤ん坊が生まれる」と言うのだ。 この地獄の底のような地下室で 今、若い女が産気づいているのだ。 マッチ1本ないくらがりで どうしたらいいのだろう 人々は自分の痛みを忘れて気づかった。 と、「私が産婆です。私が生ませましょう」 と言ったのは さっきまでうめいていた重傷者だ。 かくてくらがりの地獄の底で 新しい生命は生まれた。 かくてあかつきを待たず産婆は血まみれのまま死んだ。 生ましめんかな 生ましめんかな 己が命捨つとも ■ 梅森 浩一 ◇ http://blogs.yahoo.co.jp/e_dream21/34151948.html 1958年仙台市生まれ。 青山学院大学経営学部卒業後、三井デュポン・フロロケミカル入社。 88年チェース・マンハッタン銀行に転職。 93年、35歳の若さでケミカルバンク東京支店の人事部長に就任。 以後、人事・雇用の専門家としてチェース・マンハッタン銀行、 ソシエテ・ジェネラル証券東京支店で人事部長を歴任。 現在、エグゼクティブ・人事コンサルティング「アップダウンサイジング・ジャパン」主宰。 企業コンサルティング活動のかたわら、執筆活動、全国での講演活動を積極的に行っている。 『「クビ!」論。』(朝日新聞社)『ボスと上司』(ちくま新書)『残業しない技術』(扶桑社) 『チャンピオンを探せ!』(講談社)など著書多数。 仕事には「質」と「量」、ふたつの側面があることを忘れないでください。
質を追求しても量がこなせなければ、結局その人は仕事ができないと評価されるのです。 ■ レイ・クロック ◇ http://blogs.yahoo.co.jp/e_dream21/34150002.html アメリカ合衆国の実業家で、マクドナルドコーポレーションの創業者。 マクドナルドをフランチャイズ展開し、世界最大のファーストフードチェーンに仕立て上げた。 チェコ系の両親のもと、イリノイ州シカゴ西郊のオークパークに生まれる。 高校中退後、第一次世界大戦中に15歳で救急車ドライバーの訓練を受け衛生隊に所属、 同じ衛生隊にはウォルト・ディズニーも居た。 終戦後はピアニスト、紙コップのセールスマン、ジャズ演奏家、バンドメンバーなど職を転々とした。 1941年には5種類のミルクセーキを同時に作る機械「マルチミキサー」の独占販売者となり、 国中を旅してまわった。 1954年、カリフォルニア州サンバーナーディーノで 1940年に最初のマクドナルドを開いたマクドナルド兄弟と出会う。 クロックは効率化された調理システムに興味を持ち、兄弟と交渉してフランチャイズ権を獲得、 1955年4月にイリノイ州デスプレーンズに最初のフランチャイズ店を出店した。 粘り強くやろう。
この世に粘り強さに代わるものはない。 才能も粘り強さには敵わない。 世界は教育を受けた落伍者で溢れている。 粘り強さと決断こそが絶対的な力をもつのだ。 ■ 成田 きん ◇ http://blogs.yahoo.co.jp/e_dream21/34148776.html 100歳を過ぎても元気な姿は「理想の老後像」と言われ、国民的アイドルとして慕われた。 長寿を全うした時点では、二人とも名古屋市南区に居住していた。 くよくよせずに、
嫌なこともいいことも、 忘れることが長寿の秘訣。 ■ 榊 莫山 ◇ http://blogs.yahoo.co.jp/e_dream21/34147066.html 書家・作家。 バクザン先生の愛称で知られる。 前衛的な書画と、作品のイメージ通りの飄々とした印象で、 宝酒造の「よかいち」のテレビCMをきっかけにバラエティ番組などにも多数出演。 また、エッセイなども多数著し、関連も含めると100冊を超える。 また、商品のロゴなども多数手掛けている。 真っすぐ前ばかり見とっても、何も見えてこんで。
人生、大事なことは横っちょの方に転がってるもんや。 ■ 小沢 正光 ◇ http://blogs.yahoo.co.jp/e_dream21/34145234.html 1951年生。 博報堂 執行役員。 企業、商品のブランド確立のマネージメントを行っている。 アサヒスーパードライの広告等を手がけてきた。 すべてのアイディアは、
引用からはじまります。 ■ ヨハネ・パウロ・2世 ◇ http://blogs.yahoo.co.jp/e_dream21/34142904.html
ポーランド出身の第264代ローマ教皇(在位:1978年10月16日 - 2005年4月2日)。 世界平和と戦争反対への呼びかけと、呼びかけだけにとどまらない数々の平和行動の実践、 反共産主義と東欧の民主化運動への精神的支援、諸宗教や文化間の対話の呼びかけとその実行、 生命倫理などの分野でのキリスト教的道徳観の再提示など、 宗教の枠を超えて現代世界全体に大きな影響を与えた。 特に宗教間の問題に温和な態度で臨み、多くの信者・宗教関係者から尊敬されている。 |
この記事に
戦争は結果又は手段であり、原因を根絶することが、未だされていない。
戦争が怖いと感情に訴えても、結果又は手段が、怖いと言うことになる。
戦争という結果又は手段にいたる原因は、未解決で残っている。
どんなに結果又は手段を避けようとしても、原因を究明しないと又繰り返す。
戦犯が悪かったという。
あれだけ、教員、マスコミ、世論が火の玉になって、
満州国を建設し、鬼畜米英を叫んでいて、
戦争末期の一握りの一部戦犯が悪いという。
日本の官僚組織が、方向転換できぬ、年功序列と前例踏襲だったから
戦争に突入したのです。その官僚はそっくりそのまま、
まだ生き残っています。また、やらかしました。
経済でも原発でも。
[ 悲歌慷慨 ]
2013/10/14(月) 午後 8:32
返信する人間が賢くならない限り、戦争はなくなりません。
世界の人々は、平等です。
だれもが、地球に存在し、楽しく生きる権利を有します。
人を殺した場合、人は殺されねばなりません。
それを見逃していたら、戦争はなくなりません。
兵隊が一人を殺したら、その兵隊は死なねばなりません。
今は、民間の女、子供、何も悪いことをしない人々を無差別に
多数、抹殺しても、軍職業として何の罪も問われません。
多数殺したら、同数の兵隊が抹殺されるべきです。
ルールを守る。ウソはつかない、義務を果たして権利を主張する。
地球を汚さない。公共物破損は、最大の罪とする。
これらを実践しない人間は、地球上に存在させない。
こんな、世界統一の法でも作れない限り、戦争はなくなりません。
2013/10/15(火) 午前 8:15
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