■ 本橋 涼 ◇ http://blogs.yahoo.co.jp/e_dream21/34624869.html 東京都出身のヒーリングアーティスト、著述家。 東京デザイナー学院などでデザインや色彩学を学び、 化粧品会社やイラストレーションスタジオ勤務を経て、 心の交流をテーマにした創作活動を開始。 ヒーリング講座のほか、NLP(神経言語プログラミング)講座を開講し、 毎年1000名以上の受講生の指導を行っている。 この世にムジュンがあるかぎり、
チャンスはごろごろ転がっている。 不満を言っている場合じゃありません。 何だかおかしいと思うことの中から 宝の山が生まれてくるのですから。 ■ 西尾 幹二 ◇ http://blogs.yahoo.co.jp/e_dream21/34623139.html ドイツ文学者、思想家、評論家。 学位は文学博士(東京大学)。 電気通信大学名誉教授。 いやしくも男子ならば、
次々と新たなジャンルにチャレンジしていくのが、 あるべき姿である。 ■ たかの 友梨 ◇ http://blogs.yahoo.co.jp/e_dream21/34621376.html エステティシャン、アンチエイジング美容研究家。 たかの友梨ビューティクリニック創業者。 群馬県前橋市の養護施設「鐘の鳴る丘少年の家」の後援会長として毎年寄付を続け、 夏には施設の子供達を東京ディズニーランドに招待し、クリスマスにはプレゼントをしている。 体育館施設「たかの友梨レインボーホール」や食育のケアハウス「たかの友梨レインボーハウス」の 寄贈、カンボジアの小学校・中学校へ校舎を寄付、東日本大震災での、 エステボランティアや物資支援など、社会貢献活動も積極的に行っている。 矢沢永吉の「成り上がり」と藤田田の「ユダヤの商法」が愛読書。 「できっこない!」
つい弱気になることもあるでしょう。 けれど、 その弱気を打ち消して、 努力を続けることこそ、 「人生のツボ」なのです。 ■ 野末 陳平 ◇ http://blogs.yahoo.co.jp/e_dream21/34619487.html 静岡県出身の放送作家、経済評論家、政治家。 野末陳平事務所代表。 貧しい社会では、
助け合いが美徳でした。 豊かな社会では、 自立こそ美徳です。 ■ 藤本 義一 ◇ http://blogs.yahoo.co.jp/e_dream21/34616411.html 小説家、放送作家。 1968年(昭和43年)に長編小説第1作「残酷な童話」を発表。 次作「ちりめんじゃこ」で 1969年(昭和44年)第61回直木賞候補、 62回に「マンハッタン・ブルース」で候補、 65回に「生きいそぎの記」で候補となり、 1974年(昭和49年)に 上方落語家の半生を描いた「鬼の詩」で 第71回直木賞受賞。 迷ったらダメなんだな。
人生の答えなんて、考えたって分かるものじゃない。 ただ、そのときそのときを、 ぎりぎり一杯生きている奴だけに その答えは見えてくるんじゃないだろうか。 ■ 本田 宗一郎 ◇ http://blogs.yahoo.co.jp/e_dream21/34616019.html 本田技研工業(通称:「ホンダ」)の創業者。 従業員からは親しみをこめて「オヤジ」と呼ばれていたが、 一方で共に仕事をした従業員は共通して「オヤジさんは怖かった」とも述べている。 作業中に中途半端な仕事をしたときなどは怒声と同時に容赦なく工具で頭を殴ったり、 実験室で算出されたデータを滔滔と読み上げる社員に業を煮やし 「実際に走行させたデータを持ってこい」と激怒して灰皿で殴るなどしていた。 しかし、殴られたはずの者よりも、殴った宗一郎の方が泣いていたということもあったという。 悲しみも、喜びも、感動も、落胆も、
つねに素直に 味わうことが 大事だ。 ■ 五木 寛之 ◇ http://blogs.yahoo.co.jp/e_dream21/34613505.html 小説家、エッセイスト、評論家、作詞家、作曲家。 女優黒木瞳が、五木と同郷ということで、芸名の名付け親になった。 また、歌手五木ひろしの芸名は、当時人気作家であった五木寛之からとって、 プロデューサーが名づけたものである。 ちなみに「金沢望郷歌」の松原健之を五木ひろしに紹介し、 デビューのきっかけを作ったのも五木である。 なお、松原健之の芸名も五木寛之の「之」から名付けられている。 女優裕木奈江の芸名も五木の命名である。 二十一世紀は情報社会だけど、
情報の情は「情(こころ)」なんです。 そう考えれば、 現代は“こころ”の時代と いうことになりますね。 ■ 亀井 勝一郎 ◇ http://blogs.yahoo.co.jp/e_dream21/34611840.html 昭和期の文芸評論家、日本藝術院会員。 1942年(昭和17年)に、日本文学報国会評論部会幹事となった。 1945年(昭和20年)8月、第二国民兵として3日間軍事教練を受け、その3日目に敗戦の報を聞いた。 戦前・中は、武者小路実篤の人生論を解説つきで出したが、 戦後昭和30年代に再びこれを再刊し重版した。 自身の人生論・恋愛論の類もベストセラーで、 複数の版元で多く重版された。新版再刊も多かった。 私は年をとるにつれて、
幸福の反対を不幸だとは思わなくなった。 幸福の反対は怠惰というものではなかろうか。 ■ 増田 紀彦 ◇ http://blogs.yahoo.co.jp/e_dream21/34610116.html 株式会社タンク代表取締役を務める実業家。 地方新聞社や広告企画会社を経て、 1987年に株式会社タンクを設立し起業。 企業広報やイベント企画、物販などの事業を展開した後、 1997年に「月刊アントレ」(リクルート発行)に創刊メンバーとして参加。 同誌と別冊「独立事典」の編集デスクとして、起業・独立支援に奔走し、 毎年1000名以上の起業家や予備軍と交流を深める。 現在は起業・独立界のカリスマ的存在として、 講演やセミナーなどで人気を博している。 ひとつ言っておくけど、
どんな仕事なら食えるか、 なんて思考回路だと起業はできないよ。 起業ってのは、 やりたい仕事で、どうやって食うか を考えるもんだ。 ■ 大西 瀧治郎 ◇ http://blogs.yahoo.co.jp/e_dream21/34607777.html 旧日本海軍軍人。最終階級は海軍中将。海軍兵学校第40期生。 戦争末期第一航空隊司令長官として、神風特攻隊を指揮。 終戦直後、その責任をとり次長官舎で割腹自殺。 陣頭に立って指揮をとり、口先だけの人間を嫌った。 戦闘機無用論を支持し、日本軍の真珠湾攻撃に反対した。 大西には、最期には必ず自分も特攻隊員の後を追うという覚悟ができあがっていたのであろう。 しかし、自らにそのような覚悟があるからといって、 特攻が正当化されることはないということを彼は次のように語っていたようである。 「特攻は統率の外道である」 「わが声価は棺を覆うて定まらず、百年ののち、また知己なからんとす」 つまり、自分が死んで後その評価は百年経っても定まらない、 誰も自分がやったことを理解しないだろうと語っていたのである。 大西は、敗戦の翌日未明、自らの命を絶つことによって責任をとった。 「吾死を以て旧部下の英霊とその遺族に謝せんとす」 から始まる遺書を残して。 遺 書
特攻隊の英霊に申す 善く戦いたり深謝す 最後の勝利を信じつつ肉弾として散花せり 然れ共其の信念は遂に達成し得ざるに至れり、 吾死を以って旧部下の英霊と其の遺族に謝せんとす 次に一般青壮年に告ぐ 我が死にして軽挙は利敵行為なるを思い 聖旨に副い奉り自重忍苦するの誡ともならば幸なり 隠忍するとも日本人たるの矜持を失う勿れ 諸士は国の宝なり 平時に処し猶お克く 特攻精神を堅持し 日本民族の福祉と 世界人類の和平の為 最善を尽せよ 海軍中将 大西瀧治郎 ■ 野口 誠一 ◇ http://blogs.yahoo.co.jp/e_dream21/34606632.html 昭和5年 東京生まれ、日本大学卒業。 昭和31年 25歳で玩具メーカーを設立し、従業員5名・月商150万円でスタート。 わずか5年で従業員100人・年商12億円を売り上げるまでに成長させる。 ドルショックと放漫経営がたたり、 昭和52年に倒産。 自宅や工場などの全資産を処分して負債を処理し、会社を畳む。 翌53年、倒産経験者同士が助け合う倒産者の会設立を呼び掛け、『八起会』を設立。 弁護士や税理士、再起に成功した会員らが無料で電話相談に乗る『倒産110番』を開設。 再起・整理などの実務的なアドバイスや経験談を交えた人生相談を無料で奉仕している。 昭和59年 株式会社ノグチプランニングを設立し、再起をはかり、 執筆活動や全国各地で講演活動を展開している。 私は息子が「疲れた」と言ったら、
怒鳴りつけることにしている。 疲れるほど仕事があるのは、 ありがたいことなんだ。 ■ ベンジャミン・フランクリン ◇ http://blogs.yahoo.co.jp/e_dream21/34604961.html
アメリカ合衆国の政治家、外交官、著述家、物理学者、気象学者。 印刷業で成功を収めた後、政界に進出しアメリカ独立に多大な貢献をした。 また、凧を用いた実験で、雷がelectricity(電気)であることを明らかにしたことでも知られている。 現在の米100ドル紙幣に肖像が描かれている他、 ハーフダラー銀貨にも1963年まで彼の肖像が使われていた。 勤勉性、探究心の強さ、合理主義、社会活動への参加という 18世紀における近代的人間像を象徴する人物。 己を含めて権力の集中を嫌った人間性は、 個人崇拝を敬遠するアメリカの国民性を超え、 アメリカの父として讃えられる。 「フランクリン自伝」はアメリカのロング・ベストセラーの一つである。 人生の秘訣は、
自分が必要としていることではなく、 世の中が必要としていることを やることだ。 |
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