■ 栗山 英樹 ◇出典 http://blogs.yahoo.co.jp/e_dream21/35003831.html 元プロ野球選手(外野手)、プロ野球監督、野球解説者・野球評論家、 スポーツジャーナリスト・スポーツライター、大学教授。 2012年から北海道日本ハムファイターズの監督を務める。 日本のプロ野球の監督で、国立大学出身・大学教授の経歴を持つ人物は史上初めてである。 人生でも野球でも
運・不運がついてまわります。 その運を味方にするには、 やれることをやり尽くして はじめて可能になる。 ■ 瀬戸内 寂聴 ◇出典 http://blogs.yahoo.co.jp/e_dream21/35002796.html 小説家、天台宗の尼僧。 僧位は僧正。1997年文化功労者、2006年文化勲章。 学歴は徳島県立高等女学校(現:徳島県立城東高等学校)、東京女子大学国語専攻部卒業。 学位は文学士(東京女子大学)。 徳島県徳島市名誉市民の称号を取得。 京都市名誉市民。 元天台寺住職現名誉住職。 比叡山延暦寺禅光坊住職。 元敦賀短期大学学長。 代表作には『夏の終り』や『花に問え』『場所』など多数。 人生にはいろいろなことがあります。
しかし、 悲しいことは忘れ、 辛いことはじっと耐え忍んでいきましょう。 それがこの四苦八苦の世を生きる 唯一の方法ではないかと思います。 ■ 石川 啄木 ◇出典 http://blogs.yahoo.co.jp/e_dream21/35000942.html 歌人、詩人。 かの時に 言ひそびれたる 大切の
言葉は今も 胸にのこれど - 雑 感 - 私は石川啄木の歌が大好きです。 今日の言葉は、石川啄木の歌集「一握(いちあく)の砂」にある22首の歌の内の1首で、 全て、たった一人の女性、橘(たちばな)智恵子を詠んだものです。 二人は3ヶ月ほど、北海道・函館の弥生尋常小学校で同僚教師でした。 智恵子の印象を「真直(まっすぐ)に立てる鹿ノ子百合(かのこゆり)」と記す啄木は、 学校を辞めて札幌に移る前日に智恵子の下宿を訪ねて、詩集「あこがれ」を贈りました。 翌年に上京後の日記には「なぜかたまらないほど恋しくなってきた。 「人の妻にならぬ前に、たった一度でいいから会いたい!」。 そう思った」としたためてありました。 啄木が出版したばかりの歌集「一握の砂」を郵送すると、 智恵子から届いた礼状は北村姓でした。 「お嫁には来ましたけれど心はもとのまんまの智恵子ですから」とあり、 嫁ぎ先の牧場で作られたバターが送られてきた。 啄木が恋いこがれた橘智恵子とは、どんな女性だったのか。 啄木の「言ひそびれたる大切の言葉」とは何だったのだろう。 もし言ってしまっていたら、その言葉は長く彼の胸に大切に残ることはなかったかもしれない。 こんな事を思いながら、今日はホワイトデーのお届けに追われていました。 恋とは儚く切ないものなのでしょうか? 日々修行です。(-_-;) ■ 宮本 武蔵 ◇出典 http://blogs.yahoo.co.jp/e_dream21/34998860.html 江戸時代初期の剣術家、兵法家。 文武に優れ、二刀を用いる二天一流兵法の開祖である一方で、 重要文化財指定の水墨画や工芸品を残している。 観見二つのこと、
観の目つよく、 見の目よわく、 遠き所を近く見、 近き所を遠く見ること、 それが兵法の要である。 - 雑 感 - 私の祖父と父は、NHKラジオで吉川英治原作「宮本武蔵」を聞く事が大好きで、 父は今でも当時の事を懐かしみながら話をしてくれます。 二天一流の開祖でもある剣豪・宮本武蔵の剣士として自己を確立するに至るまでの成長を描き、 同時に、彼を取り巻く武芸者たちの人生も描かれています。 剣禅一如を目指す求道者・宮本武蔵を描いたこの作品は、 太平洋戦争下の人心に呼応し、新聞小説史上かつてないほどの人気を得た 大衆小説の代表作だったそうです。 「観見二眼」とは、宮本武蔵が60歳で完成させたとされる著作、 五輪書(ごりんのしょ)に登場する言葉です。 地・水・火・風・空 の五巻からなる五輪書の水の巻に今日の言葉が記載されています。 心で見るのが「観の目」、目で見るのが「見の目」だと云われ、 「目に見えるものだけに頼らず、動きや変化に動じない心の目で本質を捕らえろ」 という意味なのだそうです。 私は何をするにも部分的な事を真っ先に見てしまいがちですが、 大局(全体像)から小局(部分)を見る事の重要さが ビジネス社会での兵法の要なのだと言っているように感じます。 日々修行です。(-_-;) ■ 安井 息軒 ◇出典 http://blogs.yahoo.co.jp/e_dream21/34997145.html 江戸時代の儒学者。 名は衡、字は仲平、息軒は号。 日向国宮崎郡清武郷(現・宮崎県宮崎市)出身。 その業績は江戸期儒学の集大成と評価され、近代漢学の礎を築いた。 門下からは谷干城や陸奥宗光など延べ2000名に上る逸材が輩出された。 妻の佐代は、森鴎外の歴史小説『安井夫人』のモデル。 百里(ひゃくり)を行く者は九十を半(なか)ばとす
- 雑 感 - 私の祖父は将棋が大好きで、よく相手をさせられていました。 勝敗はいつも私の負け、たったの一度も勝った事が有りません。 祖父は10枚落ちといって、「玉」と「歩」だけでも私は全く歯が立ちませんでした。 祖父は将棋を指しながら、いつも笑って「詰めが甘い」と言うのです。 今日の言葉の意味は、 「物事は終わりのわずかの部分に困難が多いから、 九分通りを半分と心得、 最後まで緊張と努力を続けなければいけない。」 という意味です。 「半九」とは、中国の古典である「戦国策」の中に出てくる今日の言葉を縮めたものとなります。 人生、仕事と、時々振り返ってみる時、最後の詰めが甘くないかと・・・。 日々修行です。(-_-;) ■ 犬丸 徹三 ◇出典 http://blogs.yahoo.co.jp/e_dream21/34995649.html 実業家。元帝国ホテル社長。 私のところでは特別なサービスはしない。
つまり普通のサービスなのだ。 しかしそれはあくまでも 心のこもったものでなくてはならない。 それから、 自分がしてもらいたいと思うことを 客に対して してあげるのが ほんとうの親切だと、 いつも従業員に教えている。 ■ 一休宗純 ◇出典 http://blogs.yahoo.co.jp/e_dream21/34993523.html 室町時代の臨済宗大徳寺派の僧、詩人。 京都の大徳寺の高僧、華叟宗曇(かそうそうどん)の弟子となる。 「洞山三頓の棒」という公案に対し、 「有ろじより 無ろじへ帰る 一休み 雨ふらば降れ 風ふかば吹け」 と答えたことから華叟より一休の道号を授かる。 なお「有ろじ(有漏路)」とは迷い(煩悩)の世界、 「無ろじ(無漏路)」とは悟り(仏)の世界を指す。 此の世にて慈悲も悪事もせぬ人は
さぞや閻魔(えんま)も困り給(たま)わん。 - 雑 感 - 私は知恵の輪が大好きで、たまに難易度の激高なもので気分転換しています。 昨日、キャストスパイラルという知恵の輪を買ってきて、 何気にいじっていたら偶然外れてしまいました。 一度バラバラにできたとしても、ソレを元通りに組むのもまた地獄。 全く歯が立ちません。 今日の言葉の意味は、必死に生きてみる事が大事と一休さんはおっしゃっているのだと思います。 ※「悪事」とは残酷卑劣な犯罪行為ではありません。 私は知恵の輪で気分転換しているふりして、現実逃避しているのだと父に笑われてしまいました。 必死に生きるとは難しいです。日々修行です。(-_-;) ■ 国木田 独歩日記「欺かざるの記」より − ◇出典 http://blogs.yahoo.co.jp/e_dream21/34989640.html 小説家、詩人、ジャーナリスト、編集者。田山花袋、柳田國男らと知り合い「独歩吟」を発表。 詩、小説を書いたが、次第に小説に専心。 「武蔵野」「牛肉と馬鈴薯」などの浪漫的な作品の後、 「春の鳥」「竹の木戸」などで自然主義文学の先駆とされる。 また現在も続いている雑誌『婦人画報』の創刊者であり、 編集者としての手腕も評価されている。 夏目漱石は、その短編『巡査』を絶賛した他、 芥川龍之介も国木田独歩の作品を高く評価していた。 忍耐と
勤勉と 希望と 満足と は 境遇に勝つものなり - 雑 感 - 私は逆境に立ち向かうのが人生だと悟るくらい、 日々逆境の中に何故か身を置いています。 今日の言葉の意味は、 「逆境に立ち向かうには、困難に耐え、向上するための努力と未来への望みを抱き、 生きていることへの感謝の気持ちが大切だ。どんな境遇も乗り越えられるはず。」 です。 私は、うまくいかないことがあった時、 不平や不満を口にして自分の外に責任を求めることが多々あります。 しかし、困難に直面したといって、嘆いてみても仕方がないし、 誰も助けてはくれません。 人生ずっと順風満帆と言うことはありえないわけで、 誰も向かい風の時はあります。 その時にどうするか?そこが大事な点なのですよね。 人間、逆境の時に真価が問われる訳だし・・。 確かに、「忍耐と勤勉と希望と満足」が大事だと思います。 日々修行です。(-_-;) ■ 良寛 ◇出典 http://blogs.yahoo.co.jp/e_dream21/34987909.html 江戸時代後期の曹洞宗の僧侶、歌人、漢詩人、書家。 今日生家跡には「良寛堂」が建っている。 その中には、良寛が生涯肌身離さず身につけていた念持仏「枕地蔵」が収められている。 良寛は昼寝の際にこの石地蔵を枕にした、という。 石塔に刻まれた句には 『いにしえへにかはらぬものはありそみとむかいにみゆるさどのしまなり』 裏手には良寛の坐像がありその視線の先には日本海が広がっている。 沖に見える島影は、良寛の母のふるさと佐渡島である。 古に変わらぬもの、それは打ち寄せる波と佐渡の島影。 良寛はそこに母の姿を見たのであろう。 災難に逢う時節には
災難に逢うがよく候 死ぬる時節には 死ぬがよく候 是はこれ 災難をのがるゝ 妙法にて候 - 雑 感 - 私は阪神大震災で被災し、 東日本大震災の後に 今日の言葉と出会いました。 越後の良寛さんは与板の山田杜皐(やまだとこう)という俳人と親友でした。 良寛さんの住む五合庵から与板まで行くには時間がかかりましたが、 与板へ行けば杜皐さんの家に泊まり、話に花を咲かせるのが常でした。 杜皐さんは造り酒屋でもあったので、 良寛さんは大好きな酒を心ゆくまで飲ませてもらいました。 良寛さんが71才の時、三条市を中心に大地震(越後地震)が起こりました。 良寛さんの住んでいる地域は被害が少なく、 与板の方は被害が甚大であったそうで、今日の言葉は、 良寛さんが杜皐さんへ見舞の手紙を送った一文です。 その意味は、 「災難にあったら慌てず騒がず災難を受け入れなさい。 死ぬ時が来たら静かに死を受け入れなさい、 これが災難にあわない秘訣です」 ということです。 聞きようによっては随分と冷たい言葉です。 「大変でしょうが、頑張ってください」 とは誰でも言えます。 「頑張って」の一言も書いていませんが、 受けとった杜皐さんはきっと、 「そうだ、この災難の中で生き抜いていくしか道はないのだ」 と思われたに違いありません。 良寛さんは、腹を決めて現実を見捉えることが、 迷いから抜け出る最良の方法だと言いたかったのです。 私は何をするにも、直ぐに肩の力が入ってしまいます。 そんな私の肩の力を抜いてくれるのが良寛さんの、この言葉です。 自分にできる事をできる限りすればいいという事なのですよね。 日々修行です。(-_-;) ■ 無財の七施とは ◇出典 http://blogs.yahoo.co.jp/e_dream21/34986342.html 仏教には、財施(ざいせ)、法施(ほうせ)、無畏施(むいせ)という 3つの 布施の行があるといわれています。 では、施すべき財、説くべき教え、恐れを取り除く力がなければ布施の行ができないかというと、 そうではないと言われています。 地位や財産がなくても、誰もがいつでも容易にできる布施の行、 それが「無財の七施」です。 1 眼施(がんせ)
慈(いつく)しみの眼(まなこ)、優しい目つきですべてに接することである。 2 和顔施(わげんせ) いつも和やかに、おだやかな顔つきをもって人に対することである。 3 愛語施(あいごせ) ものやさしい言葉を使うことである。しかし叱るときは厳しく、 愛情こもった厳しさが必要である。 思いやりのこもった態度と言葉を使うことを言うのである。 4 身施(しんせ) 自分の体で奉仕すること。 模範的な行動を、身をもって実践することである。 人のいやがる仕事でもよろこんで、気持ちよく実行することである。 5 心施(しんせ) 自分以外のものの為に心を配り、心底から、共に喜んであげられる、 ともに悲しむことが出来る、他人が受けた心のキズを、 自分のキズのいたみとして感じとれるようになることである。 6 牀座施(しょうざせ) わかり易く云えば、座席を譲(ゆず)ることである。疲れていても、 電車の中ではよろこんで席を譲ってあげることを言う。さらには、 自分のライバルの為にさえも、自分の地位をゆずっても悔いないでいられること等。 7 房舎施(ぼうしゃせ) 雨や風をしのぐ所を与えること。 たとえば、突然の雨にあった時、自分がズブ濡れになりながらも、 相手に雨のかからないようにしてやること、 思いやりの心を持ってすべての行動をすることである。 - 雑 感 - 私は・・・全くダメです。 毎日の仕事を通じて多くの方と接しているのですが、 これでいいのだろうかと恥ずかしくなります。 日々修行です。(-_-;) ■ 表 三郎 ◇出典 http://blogs.yahoo.co.jp/e_dream21/34984578.html 経済学者、思想家、予備校講師(英語科)。 元大阪市立大学全学共闘会議議長、桃山学院大学講師、駿台予備学校英語科講師。 1976年から1991年まで、駿台予備学校関西地区英語科主任。その後、関西地区英語科顧問。 「夢見る」という言葉には、
どこかロマンチックな響きがある。 ところが、実際はそんな生易しいものではない。 私にいわせれば、何かを夢見るのは まさに命がけの行為なのだ。 命懸けで夢見ない限り、 その夢は決して実現しないし、 命懸けで夢見たものは必ず実現する。 ■ 豆腐仙人 ◇出典 http://blogs.yahoo.co.jp/e_dream21/34982720.html 煮てもよし 焼くもよし
なまのままでも重宝がられ 柔らか過ぎず硬すぎず 程よい硬さと程よい白さ 連れずれに 味を変えては誰にも好かれる 人生すなわち、かくあるべし - 雑 感 - 私の祖父も、父も、私も「湯豆腐」が大好きなんです。 大豆は「畑の肉」と言いながら、子供の頃、夕食の定番でした。 祖父に一度だけ京都南禅寺の湯豆腐をご馳走になった事が有ります。 とても美味しくて、口当たりのよい洗練された味覚に魅了されながら、 豆腐仙人の教えのような事を話題にして食べていたような記憶が有ります。 私もかくありたいと思います。 日々修行です。(-_-;) ■ 二宮 尊徳 ◇出典 http://blogs.yahoo.co.jp/e_dream21/34980928.html 江戸時代後期の農政家・思想家。 通称は金治郎(きんじろう)であるが、一般には「金次郎」と表記されてしまうことが多い。 また、諱の「尊徳」は正確には「たかのり」と訓むが、有職読みで「そんとく」と訓まれることが多い。「報徳思想」を唱えて「報徳仕法」と呼ばれる農村復興政策を指導した。 人と生まれ出た以上必ず死ぬと覚悟すれば、
1日生き延びれば1日得したと考え、 1年生きれば1年の得ということだ。 本来人間として、わが身も無く、 我が家も無いものと覚悟すると、 その後は、この世のあらゆることが、 全て儲けである。 - 雑 感 - 私の学生時代、学校には二宮金治郎さんの銅像が必ず有りました。 部活に入り、先輩から学校の7不思議を伝授されるのですが、 その中に「真夜中に金治郎さんが校庭を走っている」と聞かされ、 今でも金治郎さんの銅像を見ると、走っている姿を想像してしまいます。 「死ぬと覚悟」する事で全て儲けなら、人生を肯定的に考えて、 楽しい思いを抱いて生きていかねばと思います。 日々修行です。(-_-;) ■ 開高 健 ◇出典 http://blogs.yahoo.co.jp/e_dream21/34978899.html 小説家。 熱心な釣師としても知られ、日本はもちろんブラジルのアマゾン川など世界中に釣行し、 様々な魚を釣り上げ、『オーパ!』、『フィッシュ・オン』など釣りをテーマにした作品も多い。 現在では浸透している「キャッチ・アンド・リリース(釣った魚を河に戻す)」 という思想を広めたのも開高だと言われている。 また食通でもあり、食と酒に関するエッセイも多数ある。 悠々として急げ
- 雑 感 - 作家の開高健さんの口癖だったそうです。 私はこの言葉が大好きで、心に余裕をもって、どっしりと構えている姿を感じます。 「人生は何事も経験するには短いから、積極的に行動するべし。」と怒られているみたいです。 毎日、決まった事をするだけで精一杯の私ですが、人生こうありたいと思います。 日々修行です。(-_-;) ■ 加島 祥造 ◇出典 http://blogs.yahoo.co.jp/e_dream21/34976627.html
詩人、翻訳家、タオイスト、墨彩画家。 早稲田大学文学部英文科卒。 1954年フルブライト留学生としてカリフォルニア州クレアモント大学院に留学。 信州大学、横浜国立大学、青山学院女子短期大学で英米文学を教える。 1990年より長野県伊那谷に独居する。 伊那谷の心象風景や自然を描き、老子の言葉や自らの詩などを画賛に添えた墨彩画により、 現代の文人画の世界をつくっている。 終戦後の日本には何もなかったから、
人々は多くのモノを求めて働いてきた。 そして日本は、 モノがあふれる社会になった。 もういい加減、 求めることはセーブしたほうがいい。 自分にとってほんとうに 必要なものは何か。 不必要なものまで 求め過ぎていないか。 そんなことをしっかりと 個々人が考えることが大事。 - 雑 感 - 私の祖父は京都のお寺巡りが大好きで、 よくお伴をしていました。 シンプルな禅寺の枯山水や、 お寺の部屋には簡素な生け花が飾ってあるだけの、 わび、さびの極みでした。 そんな祖父の部屋もいたってシンプル。 私はというと・・。 モノが溢れているこの時代、 本当に必要なモノだけを持つという考え方は、 素敵に思えます。 物欲を抑え、「持たない暮らし」を実践する事で、 味わいのある人生を過ごしてみたいと思うのですが、 なかなか思うようにはいきません。 日々修行です。(-_-;)
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