■ 関羽(かんう) ◇出典 http://blogs.yahoo.co.jp/e_dream21/35310736.html 中国後漢末期の将軍。 小説『三国志演義』では、 「雲長、関雲長或いは関公、関某と呼ばれ、一貫して諱を名指しされていない」、 「大活躍する場面が壮麗に描かれている」など、 前述の関帝信仰に起因すると思われる特別扱いを受けている。 ![]() すべて物事は、 体を基とする。 体形を整えていないことに 成功はあり得ない。 ■ 魯迅 ◇出典 http://blogs.yahoo.co.jp/e_dream21/35310162.html 中国の小説家、翻訳家、思想家。 代表作に『阿Q正伝』、『狂人日記』など。 ![]() うしろをふり向く必要はない。 あなたの前には、 いくらでも道があるのだから。 ■ 相田 一人 ◇ http://blogs.yahoo.co.jp/e_dream21/35307546.html 著作家。詩人・書家であった相田みつをの長男で、相田みつを美術館の館長。 ![]() 高校生の頃、ラジオを聴きながら 試験勉強をしていたら、 ひどく怒られた思い出があります。 ラジオを聴くならラジオを聴け、 勉強するなら勉強しろ、 というわけです。 いわゆる”ながら”の行為を 非常に嫌っていました。 食べるなら食べる、 話すなら話す、 勉強するなら勉強する。 そのときどきの 「いま」を一つのことに集中して、 全力を傾けることを 大切にしていたのでしょう。 ◇参考記事 http://chichis.s190.xrea.com/leader1.html ■ 臨済禅師 ◇出典 http://blogs.yahoo.co.jp/e_dream21/35305580.html 中国唐の禅僧で、臨済宗の開祖。 当初、経論を学ぶも満ち足りず、禅宗へ転向して黄檗希運に師事し、 いわゆる黄檗三打の機縁で大悟した。 その後河北省の有力軍閥である成徳府節度使王紹懿(中国語版、英語版)(禅録では王常侍)の 帰依を受け、真定府の臨済院に住み、興化存奬を初めとする多くの弟子を育て、 北地に一大教線を張り、その門流は後に臨済宗と呼ばれるようになった。 ![]() 見ることができる目を持ち、 聞くことが出来る耳を持ち、 動かすことが出来る手足を持っているのに、 それ以上何が不服か。 ■ 白洲 次郎 ◇出典 http://blogs.yahoo.co.jp/e_dream21/35303924.html 官僚、実業家。 終戦連絡中央事務局次長、経済安定本部次長、貿易庁長官、 東北電力会長などを歴任した。 連合国軍占領下の日本で吉田茂の側近として活躍し、 終戦連絡中央事務局や経済安定本部の次長を経て、 商務省の外局として新設された貿易庁の長官を務めた。 吉田茂の側近として連合国軍最高司令官総司令部と渡り合う。 吉田政権崩壊後は、実業家として東北電力の会長を務めるなど 多くの企業の役員を歴任した。 ![]() 今の日本の若い人に、 一番足りないのは勇気だ。 「そういう事を言ったら損する」 って事ばかり考えている。 ◇参考記事 http://www.hakko-group.co.jp/blog/jaguar_lr/2009/08/post-26.html ◇参考記事 http://ootsuru.cocolog-nifty.com/blog/2008/05/post_16e0.html ◇参考記事 http://www.enpitu.ne.jp/usr4/bin/day?id=45126&pg=20050908 ◇参考記事 http://www.ifsa.jp/index.php?shirasujiro ◇参考記事 http://blog.goo.ne.jp/sakura-sakura_1966/e/765f081a8eac237d18295e407ceec379 ◇参考記事 http://www.buaiso.com/ ■ 伊藤 肇 ◇出典 http://blogs.yahoo.co.jp/e_dream21/35302111.html 評論家。安岡正篤(陽明学者・東洋思想道徳家)の高弟と言われ、弟子に佐高信がいる。 中国古典に詳しく、幅広い人脈に基づく豊富なエピソードを織り交ぜた人物論は 特に経営者層の幅広い支持を集めた。 死後もその著作は幾度となく再版され、現在でも根強い人気がある。 ![]() 一番最高の道徳とは何か、 それは 無私に徹して、 世のため、人のために 尽くすこと。 ■ ヴィクトル・ユーゴー ◇出典 http://blogs.yahoo.co.jp/e_dream21/35300009.html フランス・ロマン主義の詩人、小説家。 七月王政時代からフランス第二共和政時代の政治家。 1959年から1965年まで発行されていた5フラン紙幣に肖像画が採用されていた。 ![]() 「未来」というのは、 いくつもの名前をもっている。 弱き者には「不可能」という名。 卑怯者には「わからない」という名。 そして勇者と賢人には「理想」という名がある。 ◇参考記事 http://www.yasumaroh.com/2013/01/07/たそがれ映画談義: パリ・コミューンの序章と/ 心理カウンセラー。 佐川急便に入社し、現場営業や営業企画部門管理職として19年間勤務。 その後、家族に起こった事件がきっかけとなり、心理療法を学び始める。 「性格改善」を専門とした心理カウンセラー。 ![]() 憂鬱になりがちな人は、自分の評価をすべて人に委ねる傾向があります。 人にどう思われようと自分で自分を尊重できるだけの基盤がないのです。 憂鬱から抜け出すには自信という基盤が必要ということになります。 ◇参考記事 http://weekly.ascii.jp/elem/000/000/181/181086/ ◇参考記事 http://woman.excite.co.jp/feature/d/kokoroya/ ◇参考記事 http://www.10sokudoku.jp/special/free-stream-seminar.html ◇参考記事 http://www.business-college.jp/knd/ ■ 亀井 勝一郎 ◇出典 http://blogs.yahoo.co.jp/e_dream21/35296230.html 昭和期の文芸評論家、日本藝術院会員。 1959年(昭和34年)より『文學界』に、ライフワークとして「日本人の精神史研究」を連載開始した。 1964年(昭和39年)に、日本芸術院賞受賞、翌年には芸術院会員に選ばれた。 1965年(昭和40年)『日本人の精神史研究』等で、菊池寛賞を受賞したが、 翌年ガンにより亡くなった。 「日本人の〜」は全6巻予定だったが、5巻目の半ばで中絶した。 ![]() 絶望は人生に 必ずつきまとうものだ。 絶望しないような人間は ある意味で たよりない人だといえる。 なぜなら 小さな自己に満足し、 なんらの 努力も 考えごとも しない人に、 絶望は起こりえないからだ。 ◇関連記事 http://manaviba.exblog.jp/18482733/ ◇参考記事 http://yamabukipoem.blog76.fc2.com/blog-entry-335.html ◇参考記事 http://www.yomiuri.co.jp/local/nara/feature/CO004206/20130821-OYT8T01240.html ◇参考記事 http://www.peoplechina.com.cn/zhongrijiaoliu/2007-11/29/content_87866.htm ■ 本田 宗一郎 ◇出典 http://blogs.yahoo.co.jp/e_dream21/35294514.html 実業家、技術者。本田技研工業(通称:「ホンダ」)の創業者。 ![]() 耐える心に、新たな力が湧くものだ。 全てそれからである。心機一転、 やり直せばよいのである。 長い人生の中で、 そのための一年や二年の遅れは、 モノの数ではない。 ◇関連記事 http://hon.bunshun.jp/articles/-/1863 ◇参考記事 http://www.geocities.co.jp/MotorCity/2790/honda.html ◇参考記事 http://4travel.jp/travelogue/10484193 ◇参考故事 http://www.alterna.co.jp/ ■ 松原 治 ◇出典 http://blogs.yahoo.co.jp/e_dream21/35292568.html 実業家。元紀伊國屋書店名誉会長。 山口県佐波郡徳地町(現在の山口市)に軍人の息子として生まれる。 旧制大阪府立市岡中学校から旧制浪速高等学校を経て東京帝国大学法学部に進む。 同期に中曾根康弘がいた。 卒業後は南満洲鉄道に入社するも召集を受け、陸軍経理学校を首席卒業。 中国各地を転戦し、陸軍主計中尉として敗戦を迎える。 復員後、1946年、大蔵省の子会社の日本塩業に取締役業務部長として入社。 1950年、東大の先輩の亀井茲建の招きで紀伊國屋書店に入社。 大番頭として田辺茂一を補佐し、紀伊國屋書店の事業拡大に貢献した。 1970年、代表取締役専務に就任。 1980年に代表取締役社長、 1999年に代表取締役会長を兼任、 2002年代表取締役会長兼最高経営責任者(CEO)。 2010年に代表取締役会長兼CEOを退任し、 名誉会長へと退いたが生涯現役として影響力を保持し続けた。 2009年まで紀伊国屋演劇賞選考委員を務めた。 ![]() 知識は忘れたころに知恵となる。 ■ 池波 正太郎 ◇出典 http://blogs.yahoo.co.jp/e_dream21/35290678.html エッセイ「男のリズム」より 戦後を代表する時代小説・歴史小説作家。『鬼平犯科帳』『剣客商売』『仕掛人・藤枝梅安』『真田太平記』など、戦国・江戸時代を舞台にした時代小説を次々に発表する傍ら、美食家・映画評論家としても著名であった。 ![]() その中間の色合が、まったく消えてしまった。 その色合こそ、「融通」というものである。 ■ 高山 樗牛 ◇出典 http://blogs.yahoo.co.jp/e_dream21/35288798.html 明治時代の日本の文芸評論家、思想家。東京大学講師。 文学博士。明治30年代の言論を先導した。 明治30年代の言論を先導したことで知られる人物であり、 『太陽』編集主幹時代に「日本主義」を鼓吹する評論を多く発表。 その一方で『わがそでの記』のようなロマン主義的な美文も残しており、 美学をめぐっては森鴎外と論争も行っている。 そのほかに東京大学講師なども務めた。 ![]() 唯二つあるのみである。 己の小さきを悟るのは 其の一つである。 己の大いなるを信ずるは 他の一つである。 - 雑 感 - 「己の小さきを悟る」とは、謙虚な心をもって何事からも学ぶ姿勢を忘れないという事です。 なりたい自分に向かって日々精進するのみ。 「己の大いなるを信ずる」とは、他人に対して劣等感を感じるのではなく、 人の能力や価値は差など有りません。強いて言うならその志のみに差があるはず。 信じた自分に近づこうと切磋琢磨するのみなのに、忙しさに追われて疲れて寝る毎日です。 なにをやっているんだろう。日々修行です。(-_-;) ■ 藤原 東演 ◇出典 http://blogs.yahoo.co.jp/e_dream21/35287023.html 一九四四年(昭和一九年)、静岡市に生まれる。 京都大学法学部卒業。 京都東福寺専門道場にて林恵鏡老師のもとで修行し、 現在、宝泰寺住職、サールナートホール館長。 中国やインド仏跡巡拝、シルクロードの踏破、 臨濟宗青年僧の会会長、テレビ説法、高校英語講師、 静岡青年会議所文化開発室長を勤めた経験もある。 現在、臨済宗妙心寺派教学部部長を経て 花園大学にて教鞭をとる。 著書に 『人生、不器用に生きるのがいい』 『禅の名僧列伝』 『賢愚のすすめ』 『生きることに自信がつく本』 『出会いの人間学』 『心とからだの禅道場』 などがあり 実体験をふまえて具体的にわかりやすく説く人生論は、 多くの人の心をとらえている。 ![]() という考えは、 人生を意義あるものに してくれない。 ◇参考記事 http://www.s-liv.com/column/sunpu/04.html ■ アルフレッド・スローン ◇出典 http://blogs.yahoo.co.jp/e_dream21/35285073.html
ゼネラル・モーターズ(GM)で長年社長を務め、 ゼネラル・モーターズを全米のみならず世界最大級の製造業企業へと成長させた人物。 社会貢献にも熱心であった。 ![]() 失敗を気にしていては革新はできない。 打率三割といえば強打者と呼ばれるが、 それはつまるところ、 十回のうち七回までが失敗だった ということである。 参考記事 http://bizacademy.nikkei.co.jp/management/
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