■ 塩野 七生 ◇出典 http://blogs.yahoo.co.jp/e_dream21/35562429.html 歴史作家。 歴史小説 『ローマ人の物語』の著者として知られる人物であり、 ヨーロッパの歴史小説を数多く発表している。 1970年に『チェーザレ・ボルジアあるいは優雅なる冷酷』で 毎日出版文化賞を受賞。 ![]() 自分の可能性を絞っていくことです。 男も女も、可能性を絞るというのは、 可能性の限界を知るということではありません。 集注すべき的を、あくまでも絞り込むんです。 http://bunshun.jp/pick-up/nihonjinhe/ ■ マザー・テレサ ◇出典 http://blogs.yahoo.co.jp/e_dream21/35560424.html カトリック教会の修道女にして修道会「神の愛の宣教者会」の創立者。 「マザー」は指導的な修道女への敬称であり、「テレサ」は修道名である。 カトリック教会の福者。 コルカタ(カルカッタ)で始まったテレサの貧しい人々のための活動は、 後進の修道女たちによって全世界に広められている。 生前からその活動は高く評価され、 1973年のテンプルトン賞、 1979年のノーベル平和賞、 1980年のバーラ・ラトナ賞(インドで国民に与えられる最高の賞)、 1983年にエリザベス2世から優秀修道会賞など多くの賞を受けた。 1996年にはアメリカ名誉市民に選ばれている (アメリカ名誉市民はわずか7人しかいない)。 2003年10月19日、当時の教皇ヨハネ・パウロ2世によって列福された。 ![]() 私たちにあるのでしょうか。 確かに 正しくないと思うことをしている人たちがいます。 でも、なぜそうしているかという理由はわかりません。 イエスは、 人を裁くなと言われました。 もしかしたら、 他人の誤った行いの責任は、 私たちにあるのかもしれないのです。 皆、私たちの兄弟姉妹であることを忘れないでいましょう。 非難する前に、 自分の心の中を見つめる義務が 私たち一人一人にあります。 https://twitter.com/lanihaverty ■ 大前 研一 ◇出典 http://blogs.yahoo.co.jp/e_dream21/35558475.html 経営コンサルタント、起業家。 「ボーダレス経済学と地域国家論」提唱者。 早稲田大学理工学部卒、東京工業大学大学院原子核工学科で修士号、 マサチューセッツ工科大学大学院原子力工学科博士課程で工学博士号取得。 日立製作所に入社し、高速増殖炉の設計に携わる。 2年後米国マッキンゼーに移り、日本支社長、アジア太平洋支局長、 日本法人会長などを務めたのち独立し、 経営コンサルティングや世界経済などに関する記事をメディアへ寄稿、 書籍執筆を行っている。 また、ビジネス・ブレイクスルー大学立ち上げや、 カリフォルニア大学ロサンゼルス校大学院教授などで次世代の教育にあたっている。 ![]() 明治維新のときでも、 国民の1%も参加していません。 国民全部が動く革命なんて存在しない。 激しい革命の中を 全速力で走り抜けた人間だけが 勝ちます。 ほんの数人が駆け抜けるだけで 必ず変化というのは起きてくる。 http://blog.livedoor.jp/kokoronojidai/archives/51518680.html ■ 漆紫 穂子 ◇出典 http://blogs.yahoo.co.jp/e_dream21/35557215.html 教育者。品川女子学院校長。東京出身。 中央大学文学部卒業、早稲田大学国語国文学専攻科修了。 他校の国語教師を務めたのち、品川女子学院の校長に就任。 同校で「新しい役割の学校づくり」を目指す教育改革を行い実績を出す。 わずか7年間で同校への入学希望者数を60倍まで急増させた。 主な著書に「女の子が幸せになる育て方」など。 ![]() 子供が変わる時は3つある。 1つは 自分の中で「目標」ができた時。 もう一つは やったことがうまくいって 「これが好きなんだ」と気付いて 周りの人に褒めてもらったりすると ますますやる気になる。 さらにもう1つは 「みんなのためにやる」 そういう時にやる気のスイッチが入る。 http://www.13hw.com/interview/31_01.html ■ 葛藤集より ◇出典 http://blogs.yahoo.co.jp/e_dream21/35555661.html 我が国の禅門において、 口訣を秘密伝授する密参禅の公案集として作られた日本禅録である。 元禄二年(1689)、現代で言うところの第一版が出され、 安政五年(1858)、最終的に確立刊行。大正五年、『塗毒鼓』の中に編集収録され、 今日、参禅者の必須不可欠本となっている。 祗 是 未 在 (ただこれみざい) -雑感- 私は子供の頃、祖父に毛筆を習っていました。 祖父がいつまでも生きていてくれたら、 きっと私も毛筆の達人となっていたかもしれませんが、 毛筆の修行も外で遊んでばかりで僅か1年程で終わってしまいました。 毎回4字の漢字を練習するのですが、今回の言葉も記憶に有ります。 祖父の前で習字をしている私に祖父が「まだまだ」と言っていた意味が 今初めて理解できました。(汗) 祗是未在(タダコレミザイ)は 禅語の一節で、非常に簡単に言うと 「まだまだ」という意味です。 できた、と思っても、 まだまだ、という気持ちを持って、 さらに深めていく。 「まだまだ」というのは 否定的な意味合いではなく、 まだまだ伸びしろを持っている、 ![]() ということになるのだ、 と説かれています。 自分の可能性を決めてしまうのではなく、 人は死ぬまで現役であり、 どこまでも まだまだ だ、 という気持ちを いつも持っていけたら、 と思います。 日々修行です。(-_-;) http://butszo.jp/ ■ 吉野 作造 ◇出典 http://blogs.yahoo.co.jp/e_dream21/35554437.html 大正年間を中心に活躍した日本の政治学者、思想家である。 東京帝国大学で教壇に立ち、大正デモクラシーの立役者となった。 『中央公論』に発表した評論『憲政の本義を説いて其有終の美を済すの途を論ず』が 注目され、一躍大正デモクラシーをリードする存在となった。 ![]() 事為さざれば成らず。 - 意 訳 - どんな道でも、 その道を行かなければ目的地に到達することはできない。 どんな事でも やってみなければ成功することはできない。 という意味です。 http://www.yoshinosakuzou.jp/human/other.html ■ 村上 春樹 ◇出典 http://blogs.yahoo.co.jp/e_dream21/35553177.html 小説家、アメリカ文学翻訳家。 早稲田大学第一文学部演劇科卒業、ジャズ喫茶の経営を経て、 1979年、『風の歌を聴け』で群像新人文学賞を受賞しデビュー。 当時のアメリカ文学から影響を受けた文体で都会生活を描いて注目を浴び、 村上龍と共に時代を代表する作家と目される。 1987年発表の『ノルウェイの森』は上下430万部を売るベストセラーとなり、 これをきっかけに村上春樹ブームが起きる。 その他の主な作品に 『羊をめぐる冒険』 『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』 『ねじまき鳥クロニクル』 『海辺のカフカ』 『1Q84』など。 ![]() それがなくなってしまうと耐えられない。 いろんな檻というか囲い込みがあって、 そこに入ってしまうと 下手すると抜けられなくなる。 http://www.asahi.com/culture/news_culture/TKY200611290208.html ■ ジョセフ・マーフィー ◇出典 http://blogs.yahoo.co.jp/e_dream21/35551765.html 米国で活動したアイルランド出身の宗教者、著述家。 ニューソート派に属し、主に牧師として活動した。 潜在意識を利用することによって自らや周りの人さえも成功、 幸福へと導く「潜在意識の法則」を提唱した。 関連著作は自己啓発書として広く流通している。 ニューソート関係の思想家では、もっとも愛好された人物のひとりである。 日本には渡部昇一(大島淳一)や島津幸一によって、 産業能率大学出版部や三笠書房の出版を通して紹介された。 ![]() 何も与えないで手に入れられる物です。 - 雑 感 - 私は子供の頃、 悪い事をすると祖父から「因果応報」と、 何かあるごとに「○○○の報いだよ」と 懲らしめられて育ちました。(汗) 今にして思えば 「報い」とは、 ある行為の結果として身にはね返ってくる事柄なので、 「報い」は偶然ではなく 全て必然として起こっています。 改めて考えてみると、 私の何気ない日々の行動は、 全て 私の意識に刻まれて 完全な再現性で返ってきています。 故に、マーフィーの言うように、 「成さないものが、自分の物となる事などない。」 となる訳です。 という事は 私の生活の中で様々な行為を 祖父の言う「因果応報の法則」に当てはめると、 私の生活がいかに法則に従っているかが判ります。 祖父の小言に気が付くのが遅かった・・かな? 日々修行です。(-_-;) http://www.ikuji.info/hint/joseph-murphy/ ■ ウィンストン・チャーチル ◇出典 http://blogs.yahoo.co.jp/e_dream21/35550443.html イギリスの政治家、作家、軍人。 1900年に政界入りした。はじめ保守党の政治家だったが、 1904年に自由党へ移籍し、自由党政権で閣僚職を歴任した。 第一次世界大戦時には海軍大臣、軍需大臣として戦争を指導した。 1925年に保守党へ復党し、大蔵大臣を務める。 1930年代の停滞期を経て、第二次世界大戦の開戦とともに海軍大臣となる。 1940年に首相となり、 1945年に退任するまでイギリスの戦争を主導した。 チャーチルの半ば独裁的な指導のもとにイギリスは戦争を戦い抜き、 アメリカとソ連に並ぶ戦勝国の地位を得た。 しかしイギリス軍は大戦中にドイツ軍や日本軍に惨敗して 威信を傷つけられることが多く、植民地での反英闘争激化を招いた。 その結果、イギリスは戦後に植民地のほぼ全てを失うこととなり、 世界一の植民地大国の座を失って米ソの後塵を拝する国に転落した。 1951年に再び首相を務め、米ソに次ぐ原爆保有を実現した。 1955年4月にアンソニー・イーデンに首相職を譲って政界の第一線から退いた。 ノンフィクション作家としても活躍し、 1953年にはノーベル文学賞を受賞している。 ![]() 孤独な木は、 仮に育つとすれば 丈夫に育つ。 http://breguet.web.fc2.com/customer.html ■ 西郷 隆盛 ◇出典 http://blogs.yahoo.co.jp/e_dream21/35549161.html 武士(薩摩藩士)、軍人、政治家。 薩摩藩の盟友、大久保利通や長州藩の木戸孝允(桂小五郎)と並び、 「維新の三傑」と称される。 維新の十傑の1人でもある。 「西郷どん」とは「西郷殿」の鹿児島弁表現 (現地での発音は「セゴドン」に近い)であり、 目上の者に対する敬意だけでなく、親しみのニュアンスも込められている。 また「うどさぁ」と言う表現もあるが、 これは鹿児島弁で「偉大なる人」と言う意味である。 最敬意を表した呼び方は「南洲翁」である。 ![]() 正義のためなら国家と共に倒れる精神がなければ、 外国と満足できる交際は期待できない。 その強大を恐れ、和平を乞い、 みじめにもその意に従うならば、 ただちに外国の侮蔑を招く。 その結果、友好的な関係は終わりを告げ、 最後には外国につかえることになる。 とにかく国家の名誉が損なわれるならば、 たとえ国家の存続が危うくなろうとも、 政府は正義と大儀の道にしたがうのが 明らかな本務である。 戦争という言葉におびえ、 安易な平和を買うことのみに汲々するのは、 商法支配所と呼ばれるべきであり、 もはや政府と呼ぶべきでない。 http://www.kirei-ni.com/portrait/shouzouga/gallery-12.html ◇関連記事 (写真を見ながらキャンバスに一筆一筆描く油絵の肖像画!) http://www.kirei-ni.com/ |
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