■ 高濱 正伸 ◇出典 http://blogs.yahoo.co.jp/e_dream21/35825811.html ![]() 誰にもあります。 そんなときは心がモヤモヤして すべてがイヤになります。 でも、簡単に克服できる 方法があります。 日記を書くことです。 何に悩んでいるのか、 なぜ落ち込んでいるのか、 言葉にしてみると、 ドロドロした心の底が 冷静に見えてきて、 すっきりするものです。 幼稚園児〜小学生を対象とした学習塾「花まる学習会」の設立者。 野外体験を重視した独特の教育理念や学習法で注目され、 多数のメディアで取り上げられている人物であり、 保護者向けの講演会などでも人気を博している。 また教育論や勉強術に関する著書も多い。 ◇画像出典:【株式会社 こうゆう】 公教育 ■ 櫻井 よしこ ◇出典 http://blogs.yahoo.co.jp/e_dream21/35824253.html ![]() 基礎ができていなければ、 国際人になど なれないのです。 国家基本問題研究所理事長。 ベトナム・ハノイの野戦病院で日本人の両親の間に生まれた。 帰国後は大分県中津市に住むが、のちに母(小千谷市出身)が郷里である 新潟県長岡市に転居した。新潟県立長岡高等学校卒業。 その後、ハワイ大学マノア校歴史学部を卒業。 英字新聞『クリスチャン・サイエンス・モニター』東京支局などを経て、 昭和55年(1980年)5月から平成8年(1996年)3月まで 日本テレビ『NNNきょうの出来事』のメインキャスターを務めた。 歴史事実委員会の委員の一人として、『ワシントン・ポスト』2007年6月14日号に、 米下院121号決議の全面撤回を求め慰安婦動員に 日本政府や旧日本軍の組織的・計画的強制連行はなかったと主張する 意見広告「THE FACTS」を出した。 決議は後に採択された。 ◇画像出典:慶應義塾大学出身の有名人ずらり【慶応大】 - NAVER まとめ ■ 酒井 雄哉 ◇出典 http://blogs.yahoo.co.jp/e_dream21/35822660.html ![]() 往く道は精進にして、 忍びて終わり、悔いなし。 - 雑 感 -( e_dream21さん ) 今日の言葉は、高倉健さんの座右の銘です。そして、 この言葉を送られたのが酒井雄哉大阿闍梨(だいアジャリ)です。 言葉の元は、「大無量寿経(だいむりょうじゅきょう)」というお経にあり、 「たとい身を、もろもろの苦毒の中におわるとも、 わが行は精進にして、忍びてついに悔いじ」。 これは、阿弥陀仏が法蔵菩薩の時に、誓われたお言葉です。 言葉の意味は、 「行く道は精進にして」・・・ 辛いことがあっても、それは精進である。 自分を高めるために必要なことなのだ。 「忍びて終わり、悔いなし」・・・ それを我慢したまま、たとえそれで終わることがあっても、 自分の向上にとっては確実にためになっているのだから悔いはない、となります。 花開くことなく終わってもそれはそれで良し、 と言ってるのだから凄すぎます。 私は毎日外からの誘惑に負け、耐え忍ぶ事がなかなかできません・・。 日々修行です。(-_-;) 比叡山延暦寺の千日回峰行を2度満行した行者として知られる。 天台宗北嶺大行満大阿闍梨、大僧正、比叡山一山 飯室不動堂長寿院住職を務めた。 1973年(昭和48年)より千日回峰行を開始し、 1980年(昭和55年)10月に満行した。 この行の様子は 1979年(昭和54年)1月5日、NHK特集『行〜比叡山・千日回峰〜』で放送された。 しかし酒井はこれに満足せず、半年後に2度目の千日回峰行に入った。そして、 1987年(昭和62年)7月、60歳という最高齢で2度目の満行を達成した。 2度の回峰行を達成したものは1000年を越える比叡山の歴史の中でも3人しかいない。 ◇画像出典:おじPの山歩き(^^♪ブログ)写真中心の登山。「一日一生」酒井雄哉 ■ 塚本 徳臣 ◇出典 http://blogs.yahoo.co.jp/e_dream21/35820743.html ![]() 反省することによって 我欲が取り除かれていくんです。 悪い行ないをしていると、 心は曇ってきます。 その曇りは 反省をすることによって 取れていくんです。 極真空手(大山派)第6回世界王者(史上最年少での戴冠)、 新極真会第10回世界王者(史上最年長での戴冠)。 全日本大会の優勝は5回。新極真会世田谷杉並支部長。 長崎県出身。身長186センチメートル・体重93キログラム。 軽快なフットワークと、 「マッハ蹴り」と称される変則回し蹴り・ 膝蹴り・かかと落とし・胴回し回転蹴りなど、 派手な大技を主体とした組手で一本勝ちを積み重ねたことから、 革命児と呼ばれた。 ◇画像出典:鎌倉ブルースリー・代表ブログ 2010年01月 ■ アーネスト・ミラー・ヘミングウェイ ◇出典 http://blogs.yahoo.co.jp/e_dream21/35819206.html ![]() を試すのに、 一番良い方法は、 彼らを信頼してみる ことである。 冒険的な生活や一般的なイメージとともに、 20世紀の文学界と人々のライフスタイルに多大な影響を与えた。 ヘミングウェイはほとんどの作品を1920年代中期から1950年代中期に書き上げて、 1954年にノーベル文学賞を受賞するにいたった。 彼は6つの短編集をふくめて7冊の小説と2冊のノンフィクション小説を出版した。 3冊の小説、4つの短編集、3冊のノンフィクション小説が死後、発表された。 これらはアメリカ文学の古典として考えられている。 ◇画像出典:名言・格言『アーネスト・ヘミングウェイさんの気になる言葉』一覧リスト | iso.labo ■ 林 典子 ◇出典 http://blogs.yahoo.co.jp/e_dream21/35817349.html ![]() 目標を実践するために 努力をする自由があります。 目標を持つことが出来ること、 当たり前のようで 恵まれていることだと思うんです。 活躍するフォトジャーナリスト。 大学生の頃にガンビア共和国の新聞社「The Point Newspaper」で 写真スタッフとして働いたのを機に、フォトジャーナリストを志すようになり、 社会問題や女性の人権問題を中心に取材を行う。 OnAsia Photojournalism contest 2010奨励賞、第7回名取洋之助写真賞、 DAYS国際フォトジャーナリズム大賞1位(2012年)&3位(2013年)、 2013年フランス世界報道写真祭・報道写真特集部門金賞など 国内外で数々の賞を受賞し高い評価を獲得している。 ◇画像出典:林 典子 | 私のNIKKOR | ニコンイメージング ■ 浅田 次郎 ◇出典 http://blogs.yahoo.co.jp/e_dream21/35815500.html ![]() 不必要な人間など 一人もいません。 それを 不必要だと言うのは 己のわがままだ。 自衛隊に入隊、除隊後はアパレル業界など様々な職につきながら投稿生活を続け、 1991年、 『とられてたまるか!』でデビュー。悪漢小説作品を経て、 『地下鉄に乗って』で吉川英治文学新人賞、 『鉄道員』で直木賞を受賞。時代小説の他に 『蒼穹の昴』、 『中原の虹』などの清朝末期の歴史小説も含め、映画化、テレビ化された作品も多い。 エッセイも多く、日本の大衆小説の伝統を受け継ぐ代表的な小説家といえる。 ◇画像出典:浅田次郎氏 「侵略という文字入れるべき」「お互い大人になれる」・ここが危ない日本 ■ 小西 政継 ◇出典 http://blogs.yahoo.co.jp/e_dream21/35814288.html ![]() 金では絶対に買うことのできない偉大な体験と、 一人の筋金入りの素晴らしい人間を作るところだ。 未知なる山との 厳しい試練の積み重ねの中で、 人間は 勇気、忍耐、不屈の精神力、強靭な肉体を 鍛え上げていくのである。 登山とは、 ただこれだけで僕には十分である。 会社の山岳部の山行で見た一ノ倉の岩壁に感動。19歳のとき山学同志会入会。 本格的に山をはじめる。 1996年10月1日- マナスルに登頂後、消息を絶つ。 主な著書・・ 『マッターホルン北壁:日本人冬期初登攀』(山と渓谷社)、 『凍てる岩肌に魅せられて』(毎日新聞社)、 『グランドジョラス北壁:ウオーカー稜冬期日本人初登攀』(山と渓谷社,1971年)、 『ジャヌー北壁』(白水社)、『ロッククライミングの本』(白水社)、 『北壁の七人:カンチェンジュンガ無酸素登頂記』(山と渓谷社)、 『山は晴天』(中央公論社)、 『砂漠と氷雪の彼方に:チョゴリ登頂の全記録』 ーーーーーーーーーーーーーーーーー(山と渓谷社)、小西政継監修,内田修写真 『実戦登山セミナー:北八ガ岳から穂高岳へ-北八ガ岳から穂高岳へ』 ーーーーーーーーーーーーーーーーー(山と渓谷社)、 『小西政継僕のザイル仲間たち』(山と渓谷社)など。 ◇画像出典:nomoshinさんのHP > 日記・最近読んだ山の本・グランドジョラス北壁 ■ 清川 妙 ◇出典 http://blogs.yahoo.co.jp/e_dream21/35812724.html ![]() 誰もがもっているものです。 でも、そればかりを考えていると、 いつも不安感に襲われ、 いつも寂しさだけに包まれる。 それはとても もったいないこと。 とくにマイナスの感情というのは、 放っておくとどんどん増えていくもの。 そうなってしまえば、 せっかく目の前に落ちている楽しさが 見えなくなってきます。 そうならないように、 悲しみや寂しさを 上手に逸らすことです。 自分が大好きなこと、 時間を忘れるようなもの、 そんなものを見つけることです。 教職を経たのち、30代半ばから文筆活動に入る。 古典評論、エッセイ、手紙の書き方、映画評論など、 多方面にわたる執筆や講演会で活躍している。 ◇画像出典:定年時代/横浜・川崎版/平成25年11月号 ■ 河野 進 ◇出典 http://blogs.yahoo.co.jp/e_dream21/35811170.html ![]() 一言 足りなかった 悔いは幾度かある だが いつかわかってもらえた 一言 多すぎた 悔いは幾度もある だが あっさり忘れてくれても わたしの心にとげはのこる 満州教育専門学校、神戸中央神学校で学ぶ。玉島教会において牧師となる。 賀川豊彦より、岡山ハンセン病療養所での慰問伝道をすすめられ、 50年以上たずさわる。 インド救ライセンター設立の運動、 またマザー・テレサに協力する「おにぎり運動」に尽力する。 日本基督教団玉島教会名誉牧師、日本キリスト教救ライ教会理事、 社会福祉法人恵聖会(養護施設岡山県立玉島学園、 保育施設富田保育園)理事長を務めた。「聖良寛文学賞」を受賞。 ◇画像出典:たまテレ・ケ‐ブルテレビ・たましま歴史百景のア‐カイブス。・・・・・・・・・・・・★ご覧になりたいコンテンツをクリックして下さい。もちろん、河野進も有ります。
◇出典 http://blogs.yahoo.co.jp/e_dream21/35809007.html - 雑 感 - (e_dream21 さん) ![]() 「照 顧 脚 下 」とは 寺のトイレ・玄関などによく掲げてあり、 意味は一般的に 「玄関で靴を脱いだり履いたりする時にはあなたの足元に気をつけなさい」 と一見ありきたりな注意ととらえてしまいがちですが、 真意はもっと深いところにあります。 脚下とは自分の足下を指し、自分の足下を顧みるとは 「我が身」や「我が心」を顧みよ、 自分の立場を見極めて事に当たれ ということです。 人間は他人の批判は簡単にできますが 自分を批判することは容易ではありません。 ![]() 他人のことを批判するより、 まず自分を顧みなくてはいけないという事・・。 日々修行です。(-_-;) ■ 福岡 伸一 ◇出典 http://blogs.yahoo.co.jp/e_dream21/35807087.html ![]() 「遺伝子レベルの天才」 なんて言いますよね。 ピアノの遺伝子でも、 将棋の遺伝子でも いいです。 でも、物質レベルでは、 そんな遺伝子はありません。 だったら 何が その人の 運命を、人生を 決めるのか? ということになります。 答えは 「それにどれだけ時間をかけてきたか」 です。 天才と呼ばれる人たちを調べてみると、 ピアノでも将棋でも、 それに費やしている時間が、 最低でも1万時間はあるんです。 1日3時間として10年間。 5歳から何かをやったとして、 15歳までそれを続けて、 それである種のプロフェッショナルになる。 つまり、 環境が運命を決めているんです。 専攻は分子生物学。農学博士。 一般に向けた科学書(翻訳・執筆)の発表を行っている他、 雑誌の随筆や新聞の文化面、読書面の常連筆者としても知られ、 専攻である分子生物学の観点から狂牛病問題などの際には 頻繁に新聞や雑誌に登場している。 ◇画像出典:福岡伸一−どうすれば動揺せずに生きられるか: PRESIDENT Online ■ 西田 幾多郎 ◇出典 http://blogs.yahoo.co.jp/e_dream21/35805500.html ![]() それは自由であり、平等であり、博愛だ。 しかし、それにはちゃんと裏付けがある。 すなわち自由の後ろに責任があり、 平等の背後に差等あり、 博愛の陰にペナルティ(懲罰)がある。 単に表面だけの自由、平等、博愛では駄目で、 そこまでいかねば本当の民主主義ではない。 東京帝国大学文科大学哲学科選科修了後、尋常中学校教諭、四高講師、 山口高等学校教授、四高講師、学習院教諭、日大講師、 豊山大学(のちの大正大学)講師、京都帝大助教授、 真宗大谷大学(のちの大谷大学)講師、 京都高等工芸学校(のちの京都工芸繊維大学)講師などを経て、 京都帝国大学文科大学教授に就任。 京都学派の創始者。 禅をベースとした西田哲学を生み出し、多くの人々に強い影響を与えた。 代表的な著書に『善の研究』など。 西田幾多郎が散策した琵琶湖疏水沿いの道は「哲学の道」と呼ばれ、 日本の道百選にも選ばれている。 ◇画像出典:1086夜『西田幾多郎哲学論集』西田幾多郎|松岡正剛の千夜千冊 ■ 中條 高徳 ◇出典 http://blogs.yahoo.co.jp/e_dream21/35804112.html ![]() 「必勝の信念は百の知識を撃倒するものだ」 と教え込まれました。 つまり、 「これでいく」「この方向に進む」という、 確固とした燃えるような信念は、 ああでもないこうでもないと 評論する凡百の小賢しい知識など 吹っ飛ばしてしまう、 ということです。 帝国陸軍の将校を目指し、陸軍予科士官学校に第60期生として入校するが、 第二次世界大戦の敗戦を受けて同校が閉校。 戦後は旧制松本高等学校文科乙類(現・信州大学)、 学習院大学文政学部政治学科で学び、 1952年にアサヒビールに入社。 東京支店長、取締役、大阪支店長、常務取締役営業本部長などを経て、 1988年に代表取締役副社長、 1998年に名誉顧問に就任。 常務取締役営業本部長時代に「アサヒスーパードライ」作戦を指揮し、 業績の低迷していたアサヒビールをシェアNo.1にまで 成長させた立役者として知られている。 2007年3月14日に浅草倫理法人会が主催するモーニングセミナーで、 「勝者の論理で歪められてきた歴史を見なおし日本民族の誇りと公の精神を 取り戻さなければ明日の日本は無い。今がその最後に残された機会である。」 と主張している。 ◇画像出典:気と骨 中條高徳 ・
|
この記事に