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◆ 湖面に映るが如く ◆

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偉人の名言集【175】

http://www.geocities.jp/douki_37m1/blg/ph141104_03.gif
    (文中使用の画像↓はyahooの画像検索からのコピペです)



■ 峠 三吉
     ◇出典 http://blogs.yahoo.co.jp/e_dream21/35926940.html

イメージ 1
   

 ちちをかえせ ははをかえせ
 としよりをかえせ
 こどもをかえせ イメージ 2

 わたしをかえせ わたしにつながる
 にんげんをかえせ

 にんげんの にんげんのよのあるかぎり
 くずれぬへいわを
 へいわをかえせ

 八月六日



 あの閃光が忘れえようか!
 瞬時に街頭の三万は消え
 圧しつぶされた暗闇の底で
 五万の悲鳴は絶え

 渦巻くきいろい煙がうすれると
 ビルデイングは裂け、橋は崩れ
 満員電車はそのまま焦げ
 涯しない瓦礫と燃えさしの堆積であった広島
イメージ 5
 やがてぼろ切れのような皮膚を垂れた
 両手を胸に
 くずれた脳漿を踏み
 焼け焦げた布を腰にまとって
 泣きながら群れ歩いた裸体の行列

 石地蔵のように散乱した練兵場の屍体
 つながれた筏へ這いより折り重なった
 河岸の群も
 灼けつく日ざしの下でしだいに屍体と
 かわり夕空をつく火光の中に
 下敷きのまま生きていた
 母や弟の町のあたりも焼けうつり

 兵器廠の床の糞尿のうえに
 のがれ横たわった女学生らの
 太鼓腹の、片眼つぶれの、半身あかむけの、丸坊主の
 誰がたれとも分らぬ一群の上に朝日がさせば
 すでに動くものもなく
 異臭のよどんだなかで
 金ダライにとぶ蝿の羽音だけ イメージ 3

 三十万の全市をしめた
 あの静寂が忘れえようか
 帰らなかった妻や子のしろい眼窩が
 俺たちの心魂をたち割って
 込めたねがいを
 忘れえようか!


 仮繃帯所にて

 あなたたち
 泣いても涙のでどころのない
 わめいても言葉になる唇のない
 もがこうにもつかむ手指の皮膚のない
 あなたたち

 血とあぶら汗と淋巴液とにまみれた四肢をばたつかせ
 糸のように塞いだ眼をしろく光らせ
 あおぶくれた腹にわずかに下着のゴム紐だけをとどめ
 恥しいところさえはじることをできなくさせられたあなたたちが
 ああみんなさきほどまでは愛らしい
 女学生だったことを
 たれがほんとうと思えよう

 焼け爛れたヒロシマの
 うす暗くゆらめく焔のなかから
 あなたでなくなったあなたたちが イメージ 4
 つぎつぎととび出し這い出し
 この草地にたどりついて 
 ちりちりのラカン頭を苦悶の埃に埋める

 何故こんな目に遭わねばならぬのか
 なぜこんなめにあわねばならぬのか
 何の為に
 なんのために
 そしてあななたちは
 すでに自分がどんなすがたで
 にんげんから遠いものにされはてて
 しまっているかを知らない

 ただ思っている
 あなたたちはおもっている
 今朝がたまでの父を母を弟を妹を
 (いま逢ったってたれがあなたとしりえよう)
 そして眠り起きごはんをたべた家のことを
 (一瞬に垣根の花はちぎれいまは灰の跡さえわからない)
  
 おもっているおもっている
 つぎつぎと動かなくなる同類のあいだにはさまって
 おもっている
 かつて娘だった
 にんげんのむすめだった日を。

   1945年8月6日、
   広島に投下された原子爆弾により命を奪われた人、
   また現在にいたるまで死の恐怖と苦痛にさいなまれつつある人、
   そして生きているかぎり憂悶と悲しみを消すよしもない人、
   さらに全世界の原子爆弾を憎悪する人々に捧ぐ       峠 三吉


- 雑 感 -(e_dream21さん)
本日8月6日は、広島に原子爆弾が投下されて70年目を迎えます。
原爆の犠牲となった御霊に哀悼の想いを捧げ、ご存命の被爆者の皆様、
そしてご遺族の皆様とともに、世界の平和実現、核兵器廃絶の実現を誓うべく、
8時15分に1分間の黙とうを捧げたいと存じます。

詩人。
1945年(昭和20年)8月6日、
爆心地より3kmの広島市翠町(現在の南区翠町)で被爆。
敗戦後は広島を拠点とする地域文化運動で中心的な役割を果たし、
広島青年文化連盟委員長に就任した。広島県庁での勤務や雑誌『ひろしま』編集の
かたわら、1951年(昭和26年)には「にんげんをかえせ」で始まる『原爆詩集』を
自費出版、原爆被害を告発しその体験を広めた。
1952年(昭和27年)3月、新日本文学会全国大会出席のため上京の途上で大喀血し、
静岡赤十字病院に入院。その後は再び精力的に活動に奔走する日々を送る。
1953年(昭和28年)2月、創作活動・社会活動に耐えうる健康な身体を
確実にするため、持病(気管支拡張症)の本格的治療を決意し、
国立広島療養所に入院。肺葉切除手術を受けたが術中に病状が悪化、
14時間の苦闘のすえ手術台上で死没した。
36歳没 。被爆から8年後のことだった。
◆画像出典:峠三吉の最期 克明に 文学仲間の故坪田さん 遺品の手帳を確認 | ヒロシマ平和メディアセンター
◆画像出典:原爆詩集
◆画像出典:風のように炎のように
◆画像出典:魔法使いの杖:広島原爆記念日・・・

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