■ 大胡田 誠 ◇出典 http://blogs.yahoo.co.jp/e_dream21/36075828.html 将来の可能性がなくなったと思うのは
静岡県出身の弁護士。自分の思い込み。 できないと思っているその先に、 実は無限に 可能性って広がっていて、 それに気づけるかどうかで人生は変わる。 全国で3人目となる全盲の弁護士として知られる人物であり、 民事・家事・刑事事件、企業法務のほか、障がい者の人権問題についても 精力的な活動を行っている。 ■ 大石 邦子 ◇出典 http://blogs.yahoo.co.jp/e_dream21/36074346.html 命は自分のものだと思っていました。 しかし、 愛情で繋がっている命は 一つの体のようなもの。 私が苦しいとき、母も苦しいんだ。 父も兄弟も同じで 私が死ぬっていうことは 最悪の苦しみを与えることになる。 自分のものだから どうしても構わないというものじゃなかった。 1961年、県立会津女子高等学校卒業。 1964年、通勤途中のバスの事故で半身麻痺となる。 1967年、不治宣告、下半身及び左上肢不全麻痺に進む。 1968年、昏睡状態の中で、カトリックの緊急洗礼を受ける。 1971年、麻痺のまま退院。 熱海市にリハビリのために転地療養。5年間過ごす。 1976年、会津の自宅に戻り車椅子生活を続けながら、今日に至る。 1978年、福島民報出版文化賞受賞。 1981年、文化庁芸術祭大賞・テレビドラマ原作賞。 1983年、福島県文学賞受賞。皇居での新年「歌会始の儀」に、 陪聴者として招待を受ける。 1984年、第1回会津本郷町教育文化功労顕彰者表彰。 1990年、福島県文化振興基金顕彰者表彰。 1998年、NHK東北ふるさと賞受賞。 <主な著書> 「この生命ある限り」 「この愛なくば」 「この胸に光は消えず」 「この窓の向こうへ」 「私の中の愛と死」 「遥かなる心の旅」 「この生命を凛と生きる」 歌集「くちなしの花」 歌集「冬の虹」 児童文庫「野口英世」。 ■ 山藤 章二 ◇出典 http://blogs.yahoo.co.jp/e_dream21/36072984.html 我が人生が幸せだったかどうか。 それは他人が決めることではない。 自分で自分に 幸福だったと言い聞かせればいいのだ。 タレントや話題の人物を現代の世相に合致させた作風が特徴とされる。 「現代の戯れ絵師」を自認しているほか、 週刊朝日の巻末ページイラスト(当初は表紙イラスト)を担当したことから 「週刊誌を裏から開かせる男」という異名もとった。 2004年に紫綬褒章を受章。 ■ 塩沼 亮潤 (しおぬま りょうじゅん) ◇出典 http://blogs.yahoo.co.jp/e_dream21/36071569.html 人は誰でも一人では 生きていけませんし、 それぞれに辛いこと苦しいこと、 そして さまざまな迷いを抱えながら 生きていかねばならない時もあります。 そんな時こそ、 自分一人だけが苦しいと悲観的にならず、 世の中にはもっと 苦しい思いや 悲しい思いをしながらも 頑張っている人達がいるんだと自分に言い聞かせ、 みんな共に生きているんだという思いやりの心をもち、 笑顔を心がけることです。 61年東北高校卒業。62年吉野山金峯山寺で出家得度。 平成3年大峯百日回峰行満行。11年吉野・金峯山寺1300年の歴史で2人目となる 大峯千日回峰行を果たす。 12年四無行満行。18年八千枚大護摩供満行。 現在、仙台市秋保・慈眼寺住職。大峯千日回峰行大行満大阿闍梨。 1991年から48キロ・高低差1300メートル以上の山道を一日16時間かけて、 1000日間休まず往復する修行「大峯千日回峰行」(おおみねせんにちかいほうぎょう) に入行し、1999年に満行(大阿闍梨となる。 できることなら、 あのイヌワシのように生きてみたいと思う。 イヌワシのように生きる資格の一つとしては、 おれはまず第一に決して群れないことをあげたい。 周囲を見まわしてみるがいい。 群れている人間ばかりが目につくじゃないか。 カラス人間やスズメ人間ばかりじゃないか。 ひとりでは呼吸もできない連中が、 その必要もないのに、 互いに軽蔑しあいながら いたるところに群れているじゃないか。 進学のため一時期仙台に、その後東京に住むが、 1968年以降現在に至るまで長野県在住。 1964年に国立仙台電波高等学校(現在の仙台高等専門学校広瀬キャンパス)を卒業後、 東京の商社江商(現在の兼松)に勤務。 テレックスのオペレーターをこなす傍ら、小説を書き始める。 作風は簡潔だが詩情溢れる文体と、緻密な心理や状況の描写、 追い詰められた人間や苦難の只中に置かれた人間をめぐる物語が特徴。 ■ 加藤 諦三 ◇出典 http://blogs.yahoo.co.jp/e_dream21/36068456.html あるアメリカ人の物語です。 1831年、その人は事業に失敗しまた。 32年、州議会選挙に落選しました。 35年 に恋人が死亡、36年に神経衰弱を患い、 38年 に州議会議長選挙に敗北。 40年 には大統領選挙人団の選に漏れました。 43年 には下院議員に落選しました。 48年 にも落選しました。 54年、上院議員に落選しました。 56年、副大統領選挙に落選。 58年、上院議員に落選しました。 そして、60年にどうなったか。 その人はアメリカで最も尊敬される大統領になりました。 リンカーンです。 リンカーンはなぜ失敗に強いのでしょうか。 なぜ奴隷解放という偉大な事業ができたのでしょうか。 人を見ていないで、頂上を見ていたからです。 人を見ていないで、自分の努力を見ていたからです。 早稲田大学理工学部名誉教授(2008年3月31日に定年退職)、 早稲田大学エクステンションセンター講師。 理工学部時代は一般教養の社会学を教えていた、ラジオパーソナリティ。 ラジオの人生相談番組で数多くの相談を受けた。 自己啓発系の著作を数多く執筆した。 「テレフォン人生相談」では番組の最後に、 その回の相談・回答内容に対する意見や感想などを短くまとめた格言を述べる。 以前は先人の格言を引用することが多かったが、 最近は自らの言葉で締めるケースが主流になっている。 ■ 浅田 次郎 ◇出典 http://blogs.yahoo.co.jp/e_dream21/36067004.html 不景気でジタバタするのは、 甘やかされて育った人間だ。 職がないなどと悲観的な論調が強いが、 自分勝手な思い込みであることも多いのではないか。 私が若かったころ、選べるほど仕事はなかった。 実家は商家だったから、 中学を卒業したばかりの若者を集団就職で何人もとった。 無休で、休みは日曜日と盆と正月だけ。 若い衆はいつも三畳一間に5、6人で暮らしていた。 住み込みで飯は食わせてやる。 給料がない代わりに、 仕事を覚えさせてやるという奉公の時代である。 私自身も貧苦に耐えた。 9歳のとき家業が没落し、父母は失踪、離婚。 あばら家で祖父と暮らすことになった。 自衛隊に入隊、除隊後はアパレル業界など様々な職につきながら投稿生活を続け、 1991年、『とられてたまるか!』でデビュー。悪漢小説作品を経て、 『地下鉄に乗って』で吉川英治文学新人賞、『鉄道員』で直木賞を受賞。 時代小説の他に『蒼穹の昴』、『中原の虹』などの清朝末期の歴史小説も含め、 映画化、テレビ化された作品も多い。エッセイも多く、 日本の大衆小説の伝統を受け継ぐ代表的な小説家といえる。 ■ 川村 妙慶 ◇出典 http://blogs.yahoo.co.jp/e_dream21/36065436.html 「私は誰にも迷惑をかけてない」 という完璧に生きようとする人に、 人は寄ってきません。 「お世話になったね」と 自分の行動に 深く頭が下げられたとき、 周りは「お互いさま」 と仲間意識が持てるのです。 お寺のみならず カルチャーセンター、喫茶店などでの法話会を実践。 又、番組のパーソナリティー・ナレーション・司会を勤める。 学生時代から、松竹芸能に所属していた。 北九州にある西蓮寺(さいれんじ)の娘として生まれ、池坊短期大学を卒業後、 仏教の勉強をするために東本願寺の関連学校に入学。 しかし、元々憧れであったアナウンサーを目指すようになり、 ローカル番組のリポーターなど担当。 その一方で、僧侶として兄とお寺の復興を手掛け、その様子が 「兄妹僧侶、寺の復興奮闘記」として放送され話題を集める。 また、ネットで公開していた「日替わり法話」でも注目を集めるようになり、 ラジオ法話や出版も多数手がけている。 ■ 中島 義道 ◇出典 http://blogs.yahoo.co.jp/e_dream21/36064323.html プライドを捨てる苦しさより、 一流を目指す苦しさのほうが楽。 マスコミ曰く「戦う哲学者」。 専攻はドイツ哲学、時間論、自我論。イマヌエル・カントが専門。 ■ トーマス・エジソン ◇出典 http://blogs.yahoo.co.jp/e_dream21/36062828.html 決して時計を見るな。 これは若い人に 覚えてもらいたいことだ。 傑出した発明家として知られている。 生涯におよそ1,300もの発明を行った人物であり、 また人々の生活を一変させるような重要な発明をいくつも行ったことで知られている。 例えば蓄音器、白熱電球、活動写真である。 エジソンは「努力の人」「非常な努力家」「不屈の人」などとして知られている。 幼いころから正規の教育を受けられないという困難に見舞われたが、 図書館などで独学した。新聞の売り子(販売員)として働くことで わずかなお金をコツコツと貯め自分の実験室を作った逸話などでも知られている。 ■ アルフレッド・アドラー ◇出典 http://blogs.yahoo.co.jp/e_dream21/36061382.html 誰かが始めなければならない。 他の人が協力的ではないとしても、 それはあなたには関係がない。 私の助言はこうだ。 あなたが始めるべきだ。 他の人が協力的であるかどうかなど考えることなく。 ジークムント・フロイトおよびカール・グスタフ・ユングと並んで 現代のパーソナリティ理論や心理療法を確立した1人。 アドラーについては、初期の頃のフロイトとの関わりについて誤解があるが、 アドラーはフロイトの共同研究者であり、 1911年にはフロイトのグループとは完全に決別し、 個人心理学(アドラー心理学)を創始した。 アドラーは楽観的な意見の持ち主で、個人心理学の知識を通じて、 世界をよりよくするための機会を提供できると確信していた。 アドラーは、個人心理学の未来について次のように述べている。 「誰ももう、わたしの名前など覚えていないときがくるかもしれません。 個人心理学という学派の存在さえ、忘れられるときがくるかもしれません。 けれども、そんなことは問題ではないのです。 なぜなら、この分野で働く人の誰もが、まるでわたしたちと一緒に 学んだように行動するときがくるのですから。」 ■ 丸山 清人 ◇出典 http://blogs.yahoo.co.jp/e_dream21/36059883.html 必死。 必死しかないよ プロになるには。 日本に2人残っているペンキ絵師の一人である。 東京都杉並区高円寺で生まれ、小学生のときに山梨県へ疎開。 親戚が経営する背景広告社に就職後、独立。 繊細な画風が特色とされる。 ■ 山田 太一 ◇出典 http://blogs.yahoo.co.jp/e_dream21/36058288.html 努力をしなさいと小さい頃から 言われ続けてきます。 夢を持って努力をすれば、 それは必ず叶うのだと。 でも、人間とは そんな可能性の塊ではありません。 どんなに努力をしても、必死になって頑張っても、 どうにもならない事がある。 物事がうまく いかない人に対して、 「うまくいかないのは君の努力が足りないからだ」 と責めてしまう。 努力しないからダメだというその考え方が、 不当にたくさんの人を傷つけているように 私は思うのです。 元々は教師になるつもりであったが就職難で教師の口がなかったため、 大学卒業後に松竹に入社。 松竹では木下惠介監督に師事し、木下恵介の映画をテレビドラマに 脚色する仕事などを手掛ける。 1965年に同社を退社し、フリーの脚本家に転身。 1973年に発表した『それぞれの秋』で芸術選奨新人賞受賞。 1976年にはNHKのテレビドラマ「男たちの旅路」が山田太一シリーズとして発表され、 高い人気を獲得。 また、自身の小説をテレビ化した『岸辺のアルバム』(1977年)では 中流家庭の崩壊をリアルに描き、大きな反響を呼んだ。 ■ ケント・M・キース ◇出典 http://blogs.yahoo.co.jp/e_dream21/36056669.html ![]() それでもなお、人を愛しなさい。 2.何か良いことをすれば、 隠された利己的な動機があるはずだと 人に責められるだろう。 それでもなお、良いことをしなさい。 3.成功すれば、うその友だちと本物の敵を得ることになる。 それでもなお、成功しなさい。 4.今日の善行は明日になれば忘れられてしまうだろう。 それでもなお、良いことをしなさい。 5.正直で率直なあり方はあなたを無防備にするだろう。 それでもなお、正直で率直なあなたでいなさい。 6.最大の考えをもった最も大きな男女は、 最小の心をもった最も小さな男女によって撃ち落されるかもしれない。 それでもなお、大きな考えをもちなさい。 7.人は弱者をひいきにはするが、勝者の後にしかついていない。 それでもなお、弱者のために戦いなさい。 8.何年もかけて築いたものが一夜にして崩れ去るかもしれない。 それでもなお、築きあげなさい。 9.人が本当に助けを必要としていても、 実際に助けの手を差し伸べると攻撃されるかもしれない。 それでもなお、人を助けなさい。 10.世界のために最善を尽くしても、 その見返りにひどい仕打ちを受けるかもしれない。 それでもなお、世界のために最善を尽くしなさい。 - n o t e - 「逆説の10ヵ条」とは 1968年、当時ハーバード大学2年生在学中に、 高校の生徒会のリーダーたちを激励すべく150回以上の講演を行なう。 代表作「逆説の10ヵ条」は、 その活動の一環として自治活動のリーダーの為に 19歳の時に書いた小冊子「リーダーシップの逆説10ヵ条」 の一部から初めて出版された。 後にそれがマザー・テレサの目に触れて、彼女が感動し 「カルカッタの孤児の家」の壁にその言葉を書きとめた。 ルシンダ ・ヴァーディ編著の『マザー・テレサ語る』に掲載され、 マザー・テレサの言葉として世界中に広まった。 ケント・M・キース本人は、それを25年後に初めて知った。 長い年月をかけて今日に至るまで、 口伝で、写しで、インターネットで 本人の知らない間に、ゆっくりと広まり、 世界中で愛される格言となっている。 米ニューヨーク・タイムズ紙も、 その出版までの不思議な経緯と格言の価値を1面で報じた。 ハーバード大学、オックスフォード大学で哲学と政治学、 早稲田大学で日本語を学び、ハワイ州立大学で法学博士号を取得。 1979年よりハワイ州の経済企画開発局の要職を歴任し、 同局長として州政府の閣僚を務めた。その後も私立大学の学長、 YMCAのリーダーなどを務める。 ◆画像出典:逆説の10か条 : 5つのパンと2匹の魚 ■相川 圭子 ◇ http://blogs.yahoo.co.jp/e_dream21/36055260.html ![]() あなたが背負わなければならないとき、 自分は周りに比べて損していると感じてしまうものです。 でも、いま、目の前で起こっている大変なことは、 あなたが成長している機会をいただいているととらえましょう。 仕事でも何でも、自分がやった分は、自分に返ってきます。 自分が苦労したら、それは全部、自分の功徳、学びになり、 どんなことにも対応できる力強い人になれるのです。 日本で40年以上にわたり瞑想・ヨガの第一人者として活躍。 1985年より高度5000メートルを超えるヒマラヤの秘境にて 死を超える厳しい修行を重ね、女性として史上初めて、 瞑想の最高の境地である「究極のサマディ」に到達。 1991年より世界各都市で、現代人のための科学的かつ効果的で安全な瞑想法、 自己変革法を指導・監修。 一人一人の内なる平和こそが世界の平和につながるとして、 個人のレベルから世界に愛と平和の輪を広げる運動 「ワールドピースキャンペーン」を行っている。 日本では、真の幸せと悟りのための各種研修とリトリートを開催し、 人々の意識の進化と能力開発をガイド。 インド無医村への救急車寄贈、学校建設などチャリティ活動も行い、 日本からの愛を伝え、日印友好にも大きく貢献している。 ◆画像出典:ヨグマタ相川圭子 FMヨコハマ「Naturally 〜本当のあなたと出会う旅」 ・
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