■ 大原 敬子 ◇出典 http://blogs.yahoo.co.jp/e_dream21/35445950.html 幼児教育家。「大原敬子の遊育会」代表。 ニッポン放送『テレフォン人生相談』のアドバイザーも勤める。 『テレフォン人生相談』では幼児に限定せず、依頼者の子供が成人の場合でも相談に応じる。 相談者に対し、あえて厳しい言葉を投げ掛け叱りつけることが多いが、 時には逆に相談者の心情を慮って涙を流しながら優しくエールを送る一面も見せる。 ![]() あなたが 他人を愛せばいい。 ◇参考記事 (大原敬子公式ホームページ) http://keikoohara.web.fc2.com/kokoro.html ■ 菊池 寛 ◇出典 http://blogs.yahoo.co.jp/e_dream21/35444030.html 小説家、劇作家、ジャーナリスト。 文藝春秋社を創設した実業家でもある。 香川県香川郡高松の生まれ。菊池家は江戸時代、高松藩の儒学者の家柄だった。 高松中学校を首席で卒業した後、家庭の経済的事情により、 学費免除の東京高等師範学校に進んだものの、授業をサボっていたのが原因で除籍処分を受けた。 『父帰る』(1917年)、 『忠直卿行状記』(1918年)、 『恩讐の彼方に』(1919年)、 『真珠夫人』(1920年)などの作品で高い評価を獲得し、 1923年には私費で雑誌『文藝春秋』を創刊。 その後、芥川賞や直木賞を設立した他、文藝春秋社を創設。 ![]() 指し直す能わず。 ◇参考記事 (菊池寛アーカイブ)http://work.honya.co.jp/contents/archive/kkikuchi/ ■ 老子 ◇出典 http://blogs.yahoo.co.jp/e_dream21/35442623.html 古代中国の哲学者であり、道教創案の中心人物。 「老子」の呼び名は「偉大な人物」を意味する尊称と考えられている。 書物『老子』(またの名を『老子道徳経』)を書いたとされるがその履歴については 不明な部分が多く、実在が疑問視されたり、生きた時代について激しい議論が行われたりする。 道教のほとんどの宗派にて老子は神格(en)として崇拝され、三清の一人である太上老君の神名を持つ。 中国の言い伝えによると、老子は紀元前6世紀の人物とされる。 歴史家の評は様々で、彼は神話上の人物とする意見、複数の歴史上の人物を統合させたという説、 在命時期を紀元前4世紀とし戦国時代の諸子百家と時期を同じくするという考えなど多様にある。 老子は中国文化の中心を為す人物のひとりで、貴族から平民まで彼の血筋を主張する者は多く 李氏の多くが彼の末裔を称する。 ![]() 入れれば丸くなり、 四角い器に 入れれば四角になる。 万物に恩恵をあたえながら、 少しも自慢することなく、 つねに低い所へ位置する。 そのあり方は ![]() きわめて柔軟で謙虚だ。 それでいて硬い岩でも 打ち砕く力を秘めている。 一見、主体性が ないように見えるが、 その実つねに 低いところへ流れようと 強固な主体性を秘め、 何も為してないように見えながら、 万物に恩恵を与えている。 時には水蒸気となり氷となって、 その姿は臨機応変、自由自在。 人間もかくありたいものだ。 ◇参考記事 (中国国際放送局) http://japanese.cri.cn/941/2011/10/15/143s181595.htm ◇参考記事 (老子超訳・第一章) http://akioiwai.com/?p=1713 ◇参考記事 (産総研) https://unit.aist.go.jp/chubu/ci/vm/sub1/sub1_02.html ■ 竹内 一正 ◇出典 http://blogs.yahoo.co.jp/e_dream21/35440938.html 経営コンサルタント・実業家・エンジニア・ビジネス書作家。 徳島大学大学院工学研究科修了、米国ノースウェスタン大学客員研究員を経て、 松下電器産業(後のパナソニック)にエンジニアとして入社。 VHSやPC用磁気記録メディアの新製品開発、海外ビジネス等に従事し、 アップルコンピュータ社にてマーケティングにも携わる。 その後、日本ゲートウェイ(株)やメディアリング(株)の代表取締役などを歴任した後、 ビジネスコンサルタント事務所「オフィス・ケイ」を立ち上げ、代表に就任。 ![]() 「楽」にはできないが、 「楽しみ」にはできる。 ◇参考記事 (BookScan・著者インタビュー) http://www.bookscan.co.jp/interview2/113/all/ ■ 川口 能活 ◇出典 http://blogs.yahoo.co.jp/e_dream21/35439171.html FC岐阜に所属する静岡県富士市出身のプロサッカー選手。 ポジションはゴールキーパー。長年にわたって日本代表に選出。 日本代表選手としての国際Aマッチ出場数は116試合で、ゴールキーパーでは最多、 歴代の代表選手では遠藤保仁・井原正巳に次ぐ3位を記録している。 ![]() 運やツキはまわってこない。 運やツキも努力の結果。 ◇参考記事 (サッカー観戦写真) http://www.syukyu.com/archives/2007/04/2007414.html ■ 野口 健 ◇ http://blogs.yahoo.co.jp/e_dream21/35437330.html 登山家。了徳寺大学客員教授。 日本人(元外交官の野口雅昭)の父親と、エジプト人の母親とのハーフ。 幼少期を海外で過ごす。 亜細亜大学入学後から、世界の名立たる山々へ挑戦を挑み、各地で最年少登頂記録を樹立する。 大学と並行して登山を続け、卒業前の1999年、25歳の時に 世界最高峰エベレスト(ネパール名サガルマータ)にネパール側から登頂し3度目の挑戦で登頂。 当時の七大陸最高峰の世界最年少登頂記録を更新。 ![]() 「これはダメだ」 とあきらめるのではなく、 「ではどうするか」 と考えることに 大きな意味がある。 ◇参考記事 (野口健公式ウェブサイト) http://www.noguchi-ken.com/index.html ◇参考記事 (鼓動館ブログ) http://blog.livedoor.jp/kodohkan/archives/51887173.html ■ 高橋 歩 ◇出典 http://blogs.yahoo.co.jp/e_dream21/35435490.html 「自由人」を自称する日本の実業家、随筆家。 東京都港区生まれ。 A-Works、play earth、アイランドプロジェクト代表取締役。26歳で結婚。 結婚式の3日後、全ての肩書きをリセットし、妻との新婚旅行として、 二人で1年8ヶ月間にわたる世界一周旅行を敢行。 南極から北極まで、世界数十ヶ国を旅した。 帰国後、2000年12月に沖縄県に移住し、 出版社のA-Works、飲食業のPLAY EARTH、アイランドプロジェクトの代表取締役代表として 活動する傍ら、講演や執筆活動を行っている。 ![]() 勇気ではなく、 覚悟。 決めてしまえば、 すべては 動き始める。 ◇参考記事 (STAFF Message・オンザロード理事長) http://fw-p.jp/indoorp/staff_takahashi.html ◇参考記事 (高橋 歩・オフィシャルウェブサイト) http://www.ayumu.ch/topics/ ■ トーマス・エジソン ◇出典 http://blogs.yahoo.co.jp/e_dream21/35433452.html アメリカ合衆国の発明家、起業家。 傑出した発明家として知られている。 生涯におよそ1,300もの発明を行った人物であり、 また人々の生活を一変させるような重要な発明をいくつも行ったことで知られている。 例えば蓄音器、白熱電球、活動写真である。 エジソンは「努力の人」「非常な努力家」「不屈の人」などとして知られている。 幼いころから正規の教育を受けられないという困難に見舞われたが、図書館などで独学した。 新聞の売り子(販売員)として働くことでわずかなお金をコツコツと貯め 自分の実験室を作った逸話などでも知られている。 ![]() 夜中の2時まで働くこと。 これを最初に描いた図面が 形になるまでやり続けるのだ。 すぐにはうまくいかなくても、 睡眠時間を減らし、 起きている時間は 精魂こめて働くようにする。 このルールを守れば、 発明家として成功できるだろうし、 もっと言えば、 どんな分野においても成功できる。 ◇参考記事 (米国の歴史の概要) http://aboutusa.japan.usembassy.gov/j/jusaj-ushist17.html ◇参考記事 (あの人検索) http://spysee.jp/トーマス・エジソン/714 ◇参考記事 (世界映画史) http://www.greaseontour.com/edison.html ■ さかもと 未明 ◇出典 http://blogs.yahoo.co.jp/e_dream21/35431562.html 漫画家、作家、コメンテーター。 OL、主婦を経て1989年に漫画家としてデビューを果たす。 レディースコミック誌を中心に活動し、一躍人気漫画家となる。 その後、小説やエッセイ、美容本などを発表した他、 音楽活動も行っておりCDリリースやライブ活動も行っている。 ![]() 「個性」だの「好きなことを仕事に」だの、 眠たいこと言ってますが、 好きなことを仕事に出来る人なんて、 千人とか数万人に一人くらいなもんですよ。 そういうアホみたいに確率の低いことを、 全員に勧めるなんて、 教育自体に思慮がない。 ◇参考記事 (ブログ) http://blog.goo.ne.jp/sakamoto-mimei ■ 藤原 正彦 ◇ http://blogs.yahoo.co.jp/e_dream21/35429901.html 数学者。 お茶の水女子大学名誉教授。専門は数論で、特に不定方程式論。エッセイストしても知られる。 戦後いずれも作家となった新田次郎、藤原てい夫妻の次男として、満州国の首都新京に生まれる。 小学校からの英語教育必修化に批判的で 「一に国語、二に国語、三四がなくて五に算数。あとは十以下」であると述べ、国語教育の充実を推奨。 「読書をもっと強制的にでもさせなければならない」 「教育の目的は自ら本に手を伸ばす子を育てること」と主張している。 教育学者の齋藤孝明治大学教授は『祖国とは国語』の解説で 「ああ、この人(藤原)に文部科学大臣になってもらいたい」と記している。 ![]() その人の重みなのです。 教養があれば、 自然と自信が湧いてきます。 それは、教養を身につけると、 ものの見方が 大きくなるからなのです。 大局観が身につく といってもいい。 ◇参考記事 (リーディング&カンパニー株) http://lrandcom.com/japan_1 ◇参考記事 (俳句アラモード・黛まどか) http://madoka575.co.jp/pub/tag/藤原正彦さん ◇参考記事 (日本教育のここがダメ・YouTube) https://www.youtube.com/watch?v=3EklJA3U6JI ■ マルセル・ビジャール ◇ http://blogs.yahoo.co.jp/e_dream21/35428280.html フランス陸軍軍人、政治家。 第一次インドシナ戦争とアルジェリア戦争において重要な役割を果たした人物である。 その軍歴は兵卒から始まり、陸軍士官学校と陸軍大学校を経ることなく将官にまで登りつめた。 ジャン・ラルテギーの作品中では、世が世なら軍曹止まりであったと評される。 ![]() 可能なら実行する。 不可能でも断行する。 ◇参考記事 (ウキペディア) http://ja.wikipedia.org/wiki/マルセル・ビジャール ◇参考記事 (研究記録) http://blog.goo.ne.jp/sharu26/m/200910/1 ◇参考記事 (軍人の名言集) http://matome.naver.jp/odai/2134786043749154801 ■ 敦盛 (幸若舞) ◇出典 http://blogs.yahoo.co.jp/e_dream21/35426566.html 幸若舞の演目のひとつ。 作者と製作年は不詳。 織田信長がこの節を特に好んで演じたと伝えられている。 特に、桶狭間の戦い前夜、今川義元軍の尾張侵攻を聞き、 清洲城の信長は、まず「敦盛」のこの一節を謡い舞い、陣貝を吹かせた上で具足を着け、 立ったまま湯漬を食したあと甲冑を着けて出陣したという『信長公記』の伝記がある。 ![]() 草葉に置く白露、水に宿る月よりなほあやし 金谷に花を詠じ、榮花は先立つて無常の風に誘はるる 南楼の月を弄ぶ輩も 月に先立つて有為の雲にかくれり 人間五十年、化天のうちを比ぶれば、夢幻の如くなり 一度生を享け、滅せぬもののあるべきか これを菩提の種と思ひ定めざらんは、口惜しかりき次第ぞ ◇参考記事 (能の誘い) http://www.sense-nohgaku.com/noh/articles/whats_no/youatsumori.php ◇参考記事 (平敦盛) http://www.ichigenkuyou.jp/atumori.htm ■ 吉川 英治 ◇出典 http://blogs.yahoo.co.jp/e_dream21/35423384.html 小説家。様々な職についたのち作家活動に入り、『鳴門秘帖』などで人気作家となる。 1935年(昭和10年)より連載が始まった『宮本武蔵』は広範囲な読者を獲得し、 大衆小説の代表的な作品となった。戦後は『新・平家物語』、『私本太平記』などの大作を執筆。 幅広い読者層を獲得し、「国民文学作家」といわれる。 ![]() すべて我が師なり。 − 補 足 − 今日の言葉は、吉川英治の座右銘です。 吉川英治「新書太閤記」の『大坂築城』より。 秀吉は、卑賤に生れ、逆境に育ち、特に学問する時とか教養に暮らす年時などは持たなかったために、 常に、接する者から必ず何か一事を学び取るということを忘れない習性を備えていた。 だから、彼が学んだ人は、ひとり信長ばかりでない。 どんな凡下な者でも、つまらなそうな人間からでも、彼は、その者から、 自分より勝る何事かを見出して、そしてそれをわがものとして来た。 ――我れ以外みな我が師也――と、しているのだった。 ◇参考記事 (新潮CD宮本武蔵) http://www.nichigai.co.jp/yomikata/musashi.html ◇参考記事 (久恒啓一図解WEB) http://www.hisatune.net/ ◇参考記事 (追悼の森・著名人訃報) http://memory-jp.com/ ■ 笠原 将弘 ◇出典 http://blogs.yahoo.co.jp/e_dream21/35420262.html
料理人。『賛否両論』オーナー兼料理人。 実家は焼き鳥店『とり将』を営んでおり、高校1年の時に母がガンで死去した事をきっかけに 料理への道を志し、高校卒業後は、日本料理の『正月屋吉兆』で9年間修行をする。 その後、父までもガンで倒れた事を機に家業の焼き鳥屋を継ぐ決心をするが、 継いだ事を確認するかのように父も死去する。 2004年、家業が30周年を迎えたことをきっかけに、自分自身の店である『賛否両論』を恵比寿に開店。 「万人に好かれなくてもいい、自分の料理とやり方を認めてくれる人が来てくれれば…」 との思いで店名を名付ける。 そして、コース料理しか提供しないスタイルであったものの、 独自の感性と味覚で作り上げた日本料理が評判となり、 現在では押しも押されもせぬ人気店に成長し、予約が取れないことでも有名になる。 ![]() 無限じゃない。 だから仕事でも遊びでも、 今できることを精一杯やる。 一瞬一瞬を楽しく過ごす 努力をする。 毎日がつまらないとか、 楽しくないとか思うのって、 本当にもったいないですよ。 ◇参考記事 (東京ガス・くらしの情報) http://home.tokyo-gas.co.jp/shoku/special/07_01.html ◇参考記事 (リクナビ・プロ論) http://next.rikunabi.com/proron/1339/proron_1339.html ◇参考記事 (テレビ朝日・ウチノゴハン) http://www.tv-asahi.co.jp/uchigohan/about.html ◇参考記事 (TBS・元気の源泉) http://www.tbs.co.jp/genkinogensen/20071208.html ◇参考記事 (コモ・知っとく情報) http://mama.shufunotomo.co.jp/como_shittoku/?p=7346
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