◇出典:Youtube:チャンネル:dubianyazz さんの動画 ![]() 「遊ぼう」っていう。 「馬鹿」っていうと 「馬鹿」っていう。 「もう遊ばない」っていうと 「遊ばない」っていう。 ![]() そうして、あとで さみしくなって、 「ごめんね」っていうと 「ごめんね」っていう。 こだまでしょうか、 いいえ、誰でも ![]() -公益社団法人ACジャパンHPより引用- たった一言で、人は傷つく。たった一言で、人は微笑む。 自分がやさしく話しかければ、きっと相手も、おだやかに答えを返してくれる。 ことばは、人から人へ「こだま」します。 この広告が、人と人のやさしい会話のきっかけになることを願いを込めました。 ◆第64回広告電通賞 テレビ広告公共部門 優秀賞 ◆ユーキャン新語・流行語大賞 トップ10 -矢崎節夫 著「みすゞコスモス2」より引用- 「こだまでしょうか」を読むと、本当にそうだな、と思います。 人と人、人と自然、私たちの世界はすべて「こだま」で成り立っているのです。 「こだまとは、こちらの存在を丸ごと受け入れて返してくれる行為」です。 そして、返ってくる時は、半分の大きさになって戻ってくるのです。 幸いなことに、かつて私たちはこだましてくれる大人に囲まれていました。 「痛い」といったら、「痛いね」といってくれる、お父さん、お母さん、 おじいさん、おばあさん、先生でした。 痛い時に、「痛いね」といってくれたおかげで、 私の痛さはいつの間にか半分になったのです。 さらに、「痛いね、痛いね、かわいそうだね」と繰り返し、 こだましてくれ、こころに添ってくれたおかげで、 私の痛さはいつの間にか消えていったのです。 「痛いの、痛いの、飛んでいけ!」という呪文も、 まず丸ごと受け入れてくれて、初めて効果を発揮できたのです。 今は、どうでしょうか。 小さい人たちは、こだまをしない大人によって囲まれている、そんな気がします。 「痛い」といった時、「痛くない」という大人が増えました。 否定することで、痛みは消えると思ってしまったのでしょう。 「このお父さんなら、このお母さんなら、 愛してくれると思って生まれてきた子どもたち」です。 この愛してくれるべき大人から、「痛くない」と否定された時、 その子の痛さはどこへいくのでしょうか。 痛さやさびしさやかなしさを入れる、こころの中にある器に、 そのまま入れるしかないのです。 そして、とても残念なことに、 この器が中学生ぐらいでいっぱいになってしまう人がいるのです。 そうすると、新しい痛さやさびしさ、かなしさに出合った時、 器にはもう入れられないので、一度、その器をひっくり返して、 からにしなければならないのです。 このからにする行為が、 「なんであんないい子が、あんなことしたんだろう」とか、 「あんないい子が、あんなことをいうんだろう」と、 大人が驚くような行動や発言になるのでしょう。 それなのに、私たち大人は、「時代が変わった」とか、 「世の中が変わった」と、まるで自分とは関係がないかのようにいうのです。 でも、時代を変えたのも、小さい人たちではありません。私たち大人なのです。 一番大切な人たちに「こだます」ことを忘れ、一方的に否定することで、 痛みをそのまま置いてきたことにも気づかずにいる私たち大人が、 小さい人たちを追いつめてきたのです。 だからこそ、みすゞさんは、今、甦ってくれたのでしょう。 小さい人たちのためだけでなく、いえ、私たち大人が、 忘れてきてしまった大切なことを思い出すために、 みすゞさんは甦ってくれた、そんな気がします。 - 雑 感 - (e_dream21さん) 私は最後の一節がとても心に刺さります。 相手の言葉にこだまし合うことで、相手の気持ちと響き合い、 寄り添うことができる、それは誰でもできるのだよ! そういう意味がこめられているのだと思います。 私は言葉を大切に扱っているだろうか・・。日々修行です。(-.-) 大正時代末期から昭和時代初期にかけて活躍した童謡詩人。 大正末期から昭和初期にかけて、 26歳の若さでこの世を去るまでに512編もの詩を綴ったとされる。 1923年(大正12年)9月に 『童話』『婦人倶楽部』『婦人画報』『金の星』の4誌に 一斉に詩が掲載され、西條八十からは若き童謡詩人の中の巨星と賞賛された。 ◆画像出典:詩のある暮らし Blog ◆参考記事:山陽山陰の旅 金子みすゞ記念館 ・
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