昨日は 利休忌 でした。
利休 と 秀吉
どっちもどっちだったのでしょうか 子供の 「好き・嫌い」 と同じレベルで 共に生きた仲間を切腹曝し首とは。 己が平和に生きるためには、 やはり、敵は抹殺、すべき が「正しい」のでしょうか。 何千年たっても人は、成長していません。 67億人⇒100億人 世界の平和は維持できるのか。 歴史は、繰り返されます。 同じ轍を踏まず、 「仲良くせいよ」 と 冷静になった二人が、握手をしながら、 こちらに怒鳴ってる かもしれませんね。 利休の死罪の理由は 定かではないようですが、
以下のような利休の増長した態度が秀吉の癪にに障ったのではないでしょうか
天下人には一歩下がってリードすべきだったかも知れませんね。
◆ 金毛閣の改修に当たって、自身の雪駄履きの木像の下を秀吉に通らせた疑い。
◆ 安価の茶器類を高額で売り私腹を肥やした疑い。 ◆ 天皇陵の石を勝手に持ち出し手水鉢や庭石などに使った疑い。 ◆ 秀吉と茶道に対する考え方で対立した疑い。 ◆ 利休の娘を秀吉の妾にと望まれたが、拒否されたことへの恨み。 |
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