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◆ 湖面に映るが如く ◆

書庫名 言 集

http://img.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/6c/a0/muhuninaninasi/folder/811243/img_811243_31285186_14?1264081500
 
先人の貴重な人生体験の中から養生され搾り出された名言。
有難く現役の虎の巻に生かすべきではなかろうか。
常々そう思っていたところ、すばらしいブログに出会った。

花の美しさと名言をひとつひとつ丁寧に取り上げどのページもすばらしい。
その量も頭の下がる膨大さだ。
良かったら、一度ご覧になっては、如何でしょうか

今日の花*花さん(←ここをクリック とにかく花が綺麗)  ・・・たくさんの名言をありがとうございます !! 
以下その名言だけ抜き出して紹介します。
   http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-6c-a0/muhuninaninasi/folder/811243/43/31285243/img_1?1422700163
↑アニメと静止画を表示したかっただけです。本文とは関係ありません。・・・でも笑顔は良いですね。(*^_^*)
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偉人の名言集【101】

偉人の名言集【101】

■ 成毛 眞  ◇ http://blogs.yahoo.co.jp/e_dream21/34009772.html
1979年中央大学商学部卒業。
自動車部品メーカー、アスキーなどを経て
1986年にマイクロソフト株式会社(日本法人、以下MSKK)入社。
1991年よりMSKK代表取締役社長。
2000年に退社後、同年5月に投資コンサルティング会社「インスパイア」を設立。
事業内容は、上場企業にコンサルティングを行い、
業績が上がることで株価上昇のキャピタルゲインを得る成果報酬型コンサルティング事業。
現在、スルガ銀行株式会社、株式会社スクウェア・エニックスの社外取締役や、
様々なベンチャー企業の取締役・顧問などを兼職。早稲田大学客員教授も務める。
2009年に逮捕された村木厚子・厚生労働省雇用均等・児童家庭局長について、
「無実の村木厚子さんの解放を求めます」との声明を発表した。
どういうわけか日本では、我慢を美徳として考える傾向がある。
そして、強い自制心を持つことが大人の証明になるとされる。
しかし、私の周囲の成功者とされる人に、我慢強い人物は見当たらない。
逆に、やりたいことがまったく我慢できない、子供のような人ばかりだ。
そういう人は、好きでやっているのだから、時間を忘れていくらでも頑張るし、
新しいアイデアも出てくる。
我慢をして嫌々ながらやっている人が、こういう人達に勝てるはずがないではないか。

■ 坂村 真民  ◇ http://blogs.yahoo.co.jp/e_dream21/34007830.html
仏教詩人。
詩は解りやすい物が多く、小学生から財界人にまで愛された。
特に「念ずれば花ひらく」は多くの人に共感を呼び、
その詩碑は全国、さらに外国にまで建てられている。
森信三が早くからその才覚を見抜き後世まで残る逸材と評した。
人間いつかは終わりがくる。
前進しながら終わるのだ。

■ 古島 一雄  ◇ http://blogs.yahoo.co.jp/e_dream21/34006141.html
明治、大正、昭和前期の日本のジャーナリスト、衆議院議員、貴族院議員。
日本新聞の記者となり、日清戦争では、同僚であった正岡子規と従軍し戦況を報道した。
他人の中傷に対して、
どこまで弁解せずにおられるか、
これを試してみるのも、
人間修練の一方法である。

■ 司馬 遼太郎  ◇ http://blogs.yahoo.co.jp/e_dream21/34004062.html
小説家、ノンフィクション作家、評論家。
筆名の由来は「司馬遷に遼(はるか)に及ばざる日本の者(故に太郎)」から来ている。
産経新聞社記者として在職中に、『梟の城』で直木賞を受賞。
歴史小説に新風を送る。
代表作に『竜馬がゆく』『燃えよ剣』『国盗り物語』『坂の上の雲』など多くがあり、
戦国・幕末・明治を扱った作品が多い。
PS
「二十一世紀に生きる君たちへ」は、
1996年に亡くなられた司馬 遼太郎さんが、
21世紀に生きる子供向けに書かれた随筆です。
やがて21世紀を担っていくであろう子供たちに向けての
力強いメッセージと羨望の念が込められているこの文章は考えさせられる事が多くあります。
子供達が自殺しない世の中になって欲しいと切望します。
私は歴史小説を書いてきた。
もともと歴史が好きなのである。
両親を愛するようにして、歴史を愛している。
歴史とは何でしょう、と聞かれるとき、
「それは、大きな世界です。
かつて存在した何億という人生がそこにつめこまれている世界なのです。」
と、答えることにしている。
私には、幸い、この世にたくさんのすばらしい友人がいる。
歴史の中にもいる。
そこには、この世では求めがたいほどにすばらしい人たちがいて、
私の日常を、はげましたり、なぐさめたりしてくれているのである。
だから、私は少なくとも2千年以上の時間の中を、生きているようなものだと思っている。
この楽しさは、───もし君たちさえそう望むなら───おすそ分けしてあげたいほどである。

ただ、さびしく思うことがある。
私が持っていなくて、君たちだけが持っている大きなものがある。
未来というものである。
私の人生は、すでに持ち時間が少ない。
例えば、21世紀というものを見ることができないに違いない。
君たちは、ちがう。
21世紀をたっぷり見ることができるばかりか、そのかがやかしいにない手でもある。

もし「未来」という町角で、私が君たちをよびとめることができたら、どんなにいいだろう。
「田中君、ちょっとうかがいますが、あなたが今歩いている21世紀とは、どんな世の中でしょう。」
そのように質問して、君たちに教えてもらいたいのだが、ただ残念にも、
その「未来」という町角には、私はもういない。
だから、君たちと話ができるのは、今のうちだということである。
もっとも、私には21世紀のことなど、とても予測できない。
ただ、私に言えることがある。それは、歴史から学んだ人間の生き方の基本的なことどもである。

昔も今も、また未来においても変わらないことがある。
そこに空気と水、それに土などという自然があって、
人間や他の動植物、さらには微生物にいたるまでが、
それに依存しつつ生きているということである。
自然こそ不変の価値なのである。
なぜならば、人間は空気を吸うことなく生きることができないし、
水分をとることがなければ、かわいて死んでしまう。
さて、自然という「不変のもの」を基準に置いて、人間のことを考えてみたい。
人間は───繰り返すようだが───自然によって生かされてきた。
古代でも中世でも自然こそ神々であるとした。
このことは、少しも誤っていないのである。
歴史の中の人々は、自然をおそれ、その力をあがめ、
自分たちの上にあるものとして身をつつしんできた。
この態度は、近代や現代に入って少しゆらいだ。
───人間こそ、いちばんえらい存在だ。
という、思い上がった考えが頭をもたげた。
20世紀という現代は、ある意味では、自然へのおそれがうすくなった時代といってもいい。

同時に、人間は決しておろかではない。
思いあがるということとはおよそ逆のことも、あわせ考えた。
つまり、私ども人間とは自然の一部にすぎない、というすなおな考えである。
このことは、古代の賢者も考えたし、また19世紀の医学もそのように考えた。
ある意味では、平凡な事実にすぎないこのことを、20世紀の科学は、
科学の事実として、人々の前にくりひろげてみせた。
20世紀末の人間たちは、このことを知ることによって、
古代や中世に神をおそれたように、再び自然をおそれるようになった。
おそらく、自然に対しいばりかえっていた時代は、
21世紀に近づくにつれて、終わっていくにちがいない。

「人間は自分で生きているのではなく、大きな存在によって生かされている。」
と、中世の人々は、ヨーロッパにおいても東洋においても、そのようにへりくだって考えていた。
この考えは、近代に入ってゆらいだとはいえ、右に述べたように近ごろ再び、
人間たちはこのよき思想を取りもどしつつあるように思われる。
この自然へのすなおな態度こそ、21世紀への希望であり、君たちへの期待でもある。
そういうすなおさを君たちが持ち、その気分をひろめてほしいのである。
そうなれば、21世紀の人間はよりいっそう自然を尊敬することになるだろう。
そして、自然の一部である人間どうしについても、
前世紀にもまして尊敬しあうようになるのにちがいない。
そのようになることが、君たちへの私の期待でもある。

さて、君たち自身のことである。
君たちは、いつの時代でもそうであったように、自己を確立せねばならない。
───自分に厳しく、相手にはやさしく。
という自己を。
そして、すなおでかしこい自己を。
21世紀においては、特にそのことが重要である。
21世紀にあっては、科学と技術がもっと発達するだろう。
科学・技術がこう水のように人間をのみこんでしまってはならない。
川の水を正しく流すように、君たちのしっかりした自己が科学と技術を支配し、
よい方向に持っていってほしいのである。
右において、私は「自己」ということをしきりに言った。
自己といっても、自己中心におちいってはならない。
人間は、助け合って生きているのである。
私は、人という文字を見るとき、しばしば感動する。
斜めの画がたがいに支え合って、構成されているのである。
そのことでも分かるように、人間は、社会をつくって生きている。
社会とは、支え合う仕組みということである。
原始時代の社会は小さかった。
家族を中心とした社会だった。
それがしだいに大きな社会になり。
今は、国家と世界という社会をつくりたがいに助け合いながら生きているのである。
自然物としての人間は、決して孤立して生きられるようにはつくられていない。

このため、助けあう、ということが、人間にとって、大きな道徳になっている。
助け合うという気持ちや行動のもとのもとは、いたわりという感情である。
他人の痛みを感じることと言ってもいい。
やさしさと言いかえてもいい。
「いたわり」
「他人の痛みを感じること」
「やさしさ」
みな似たような言葉である。
この三つの言葉は、もともと一つの根から出ているのである。
根といっても、本能ではない。
だから、私たちは訓練をしてそれを身につけねばならないのである。
その訓練とは、簡単なことである。
例えば、友達がころぶ。
ああ痛かったろうな、と感じる気持ちを、その都度自分中でつくりあげていきさえすればいい。
この根っこの感情が、自己の中でしっかり根づいていけば、
他民族へのいたわりという気持ちもわき出てくる。
君たちさえ、そういう自己をつくっていけば、
二十一世紀は人類が仲よしで暮らせる時代になるのにちがいない。

鎌倉時代の武士たちは、
「たのもしさ」
ということを、たいせつにしてきた。
人間は、いつの時代でもたのもしい人格を持たねばならない。
人間というのは、男女とも、たのもしくない人格にみりょくを感じないのである。
もう一度くり返そう。
さきに私は自己を確立せよ、と言った。自分に厳しく、相手にはやさしく、とも言った。
いたわりという言葉も使った。
それらを訓練せよ、とも言った。それらを訓練することで、自己が確立されていくのである。
そして、“たのもしい君たち”になっていくのである。

以上のことは、いつの時代になっても、人間が生きていくうえで、
欠かすことができない心がまえというものである。
君たち。
君たちはつねに晴れあがった空のように、たかだかとした心を持たねばならない。
同時に、ずっしりとたくましい足どりで、大地をふみしめつつ歩かねばならない。
私は、君たちの心の中の最も美しいものを見続けながら、以上のことを書いた。
書き終わって、君たちの未来が、
真夏の太陽のようにかがやいているように感じた。

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偉人の名言集【100】

偉人の名言集【100】

■ カール・グスタフ・ユング  ◇  http://blogs.yahoo.co.jp/e_dream21/34001998.html
スイスの精神科医・心理学者。
深層心理について研究し、分析心理学(通称・ユング心理学)の理論を創始した。
ユング心理学は、個人の意識・無意識の分析をする点でフロイトの精神分析学と共通しているものの、
人間の無意識の奧底には個人を超え人類共通の素地「集合的無意識」(普遍的無意識)が
存在するという考え方が大きな特長となっている。
あなたが向き合わなかった問題は、いずれ運命として出会うことになる。

■ 宮崎 駿  ◇ http://blogs.yahoo.co.jp/e_dream21/33999874.html
アニメーション作家、映画監督、漫画家。
一貫して子供に向けて作品を作り続けている。
これについて、
「厳しい現実世界からの、子供の一時の逃げ場が必要だ」という趣旨の発言をしている。
児童文学を愛読し、「アニメーションは基本的に子供の物」と公言し、
その作品はほぼ一貫して子供の視点に立ち、悪役を大人にすることが多い。
ただし宮崎作品では悪役もまた、多くの場合重層的で複雑なキャラクターであり、
どこかしら憎めない存在として描かれる。
さらに、『千と千尋の神隠し』以降の作品ではそうした悪役が登場することもなくなっている。
主人公が少女であることが多いが、この理由は同性であると対象化しきれず、
元気な女の子の方がやる気が出るからのとのこと。
同性だと自身と重ね合わせすぎて悲観的な物語にしかならないとも語っている。
宝島なんてないと思ってる子供たちがたくさんいる。
だけど、本当はそう思い込んで世界を狭くしてるだけじゃないのかなあ。
出会えたら素晴らしい人とか心打たれる風景はたくさんある。
出会う前、見る前に諦めちゃいけない。

■ 小栗 上野介  ◇ http://blogs.yahoo.co.jp/e_dream21/33997838.html
幕末三傑のひとり(ほか、岩瀬忠震、水野忠徳)。
江戸時代末期の幕臣、勘定奉行、江戸町奉行、外国奉行。
万延元年(1860年)、日米修好通商条約批准のため米艦ポーハタン号で渡米し、
地球を一周して帰国した。
その後は多くの奉行を務め、江戸幕府の財政再建や、
フランス公使レオン・ロッシュに依頼しての洋式軍隊の整備、横須賀製鉄所の建設などを行う。
徳川慶喜の恭順に反対し、薩長への主戦論を唱えるも容れられず、
慶応4年(1868年)に罷免されて領地である上野国群馬郡権田村(群馬県高崎市倉渕町権田)に隠遁。
同年閏4月、薩長軍の追討令に対して武装解除に応じ、
自身の養子をその証人として差し出したが逮捕され、翌日、斬首。
逮捕の理由としては、大砲2門・小銃20挺の所持と農兵の訓練が理由であるとする説や、
勘定奉行時代に徳川家の大金を隠蔽したという説(徳川埋蔵金説)などが挙げられるが、
これらの説を裏付ける根拠は現在まで出てきていない。
戦後、明治政府中心の歴史観が薄まると小栗の評価は見直され、
司馬遼太郎は小栗を「明治の父」と記した。
一言で国を滅ぼす言葉は「どうにかなろう」の一言なり。
幕府が滅亡したるはこの一言なり。

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偉人の名言集【99】

偉人の名言集【99】

■ 河井 継之助  ◇ http://blogs.yahoo.co.jp/e_dream21/33995991.html
幕末期の越後長岡藩牧野家の家臣。
現在までに数多くの小説やドラマなどに取り上げられている人物でもあり、
特に司馬遼太郎の小説『花神』『世に棲む日日』『十一番目の志士』『峠』の
4作を原作としたNHK大河ドラマ『花神』によって
「河井継之助」の名前が全国へ浸透することにつながった。
不遇を憤るような、その程度の未熟さでは、とうてい人物とはいえぬ。

■ マザー・テレサ  ◇ http://blogs.yahoo.co.jp/e_dream21/33994059.html
カトリック教会の修道女にして修道会「神の愛の宣教者会」の創立者。
「マザー」は指導的な修道女への敬称であり、「テレサ」は修道名である。
カトリック教会の福者。コルカタ(カルカッタ)で始まったテレサの貧しい人々のための活動は、
後進の修道女たちによって全世界に広められている。
生前からその活動は高く評価され、
1973年のテンプルトン賞、
1979年のノーベル平和賞、
1980年のバーラ・ラトナ賞(インドで国民に与えられる最高の賞)、
1983年にエリザベス2世から優秀修道会賞など多くの賞を受けた。
1996年にはアメリカ名誉市民に選ばれている(アメリカ名誉市民はわずか7人しかいない)。
2003年10月19日、当時の教皇ヨハネ・パウロ2世によって列福された。
けさ、私は、この豊かな美しい国で孤独な人を見ました。
この豊かな国の大きな心の貧困を見ました。」
「カルカッタやその他の土地に比べれば、貧しさの度合いは違います。
また、日本には貧しい人は少ないでしょう。」
「でも、一人でもいたら、その人はなぜ倒れ、なぜ救われず、
その人に日本人は手をさしのべないのでしょうか。
その人が飲んだくれだから!
でも、彼もわたしたちも兄弟です。
本人はきっと孤独でしょう。
みなから無視されての…。
やけ酒かもしれません。」
「私は、短い間しか日本に滞在しないので手を貸してあげるのは、せんえつだと思い、
何もしませんでしたが、もし、女の人が路上に倒れていたらその場で、語りかけたり、
助けていたと思います。
豊かそうに見えるこの日本で、心の飢えはないでしょうか。
だれからも必要とされず、だれからも愛されていないという心の貧しさ。
物質的な貧しさに比べ、心の貧しさは深刻です。
心の貧しさこそ、一切れのパンの飢えよりも、もっともっと貧しいことだと思います。
日本のみなさん、豊かさの中で貧しさを忘れないでください。」

■ 王 貞治  ◇ http://blogs.yahoo.co.jp/e_dream21/33991295.html
元プロ野球選手、監督。
読売ジャイアンツの主軸打者として積み上げた公式戦通算本塁打数868本は、
メジャーリーグのハンク・アーロンの755本、バリー・ボンズの762本、
ニグロリーグ他のジョシュ・ギブソンの962本と並び証される本塁打記録である。
日本シリーズ29本、オールスターゲーム13本、日米野球23本、春秋オープン戦98本、
東西対抗1本を合算すると計1032本の本塁打を記録。
その他数々の日本プロ野球記録を保持する。
初めて日本の国民栄誉賞を受賞した人物であり、
2010年には文化功労者として顕彰された。
自分のためにやるからこそ、それがチームのためになるんであって、
「チームのために」なんて言うやつは言い訳するからね。
オレは監督としても、自分のためにやってる人が結果的にチームのためになると思う。
自分のためにやる人がね、一番、自分に厳しいですよ。
何々のためとか言う人は、うまくいかないときの言い訳が生まれてきちゃうものだから。

■ 服部 金太郎  ◇ http://blogs.yahoo.co.jp/e_dream21/33989761.html
1860年、江戸の貧困な夜店商人の家に生まれる。13歳より唐物屋に奉公し、
1874(明治7)年から時計店に勤め、時計の修繕販売に従事する。その後、
1881(明治14)年に個人経営で時計小売業として服部時計店(現・セイコー株式会社)を開業した。
商売熱心だったため、早くも3年後には「東京時計商繁盛鏡」と言う時計商番付の最下段に登場した。
また、良い商品を仕入れていたため「浜の屋敷(横浜外国商館)」の信頼も得るようになった。
こうして実績を重ね銀座にも進出し、開業6年目にして服部時計店は時計販売の大手に育った。
当時、我が国の時計製造業は未発達ですべて輸入に頼っていたが、
1892年に精工舎をおこし、掛時計・懐中時計・目覚まし時計の製造に着手。
欧米の技術を学び国産時計製造業の発展に尽し、
ついに外国製品に比肩しうる精巧品の製造に成功した。
第一次大戦時には欧米に輸出するに至った。
「SEIKO(セイコー)」はその商標である。
「一人一業主義」を守り、始終時計業に専念した。
正直は、最善の商道である。
外国商館が私の小さな店を信用し、
何ぞざん新なものとか、
何ぞ珍しい時計でも入荷すると、
他の店よりまず私の店に売ってくれた。
私の店に来れば、時計は豊富で、おのずから客足が多くなり、
ここに店運発展の機運を形成するに至った。

■ 安藤 美冬  ◇ http://blogs.yahoo.co.jp/e_dream21/33986856.html
ソーシャルメディアでの発信とセルフブランディングを駆使し、
企業経営や、コミュニケーションデザイナー、コンテンツディレクター等、
様々な肩書きで仕事をするノマドワーカー。
多数のメディア、講演に出演している。
企画やコピーを考える場合など、アイデアを出す場面では天井が高い場所に行きます。
ホテルのティールームなどが最適です。
そういう場所はなぜか発想が豊かになるんです。

■ 玉塚 元一  ◇ http://blogs.yahoo.co.jp/e_dream21/33984936.html
実業家。
リヴァンプ顧問。
ユニクロを運営するファーストリテイリング元社長。
慶應義塾大学法学部政治学科卒業後、旭硝子へ入社。
旭硝子シンガポール支店駐在、ケース・ウェスタン・リザーブ大学大学院でMBA取得、
サンダーバード国際経営大学院で国際経営学修士号取得。
その後、旭硝子を退職し、日本IBMでコンサルティング業務に関わったのち、
ファーストリテイリングにヘッドハントされて入社。
3年間社長を務めたのち退社。
マーケティングと経営支援会社のリヴァンプを創設。
そのほか、ロッテリア会長、ローソン副社長・顧問などを務めた。
コンビニ業界に限らず、
これだけ世の中が目まぐるしく変化する時代においてビジネスで成果を出すには、
将来の方向性を見据えた適切な課題設定と、
PDCA(計画・実行・評価・改善)の高速回転が不可欠です。

■ 木村 耕一  ◇ http://blogs.yahoo.co.jp/e_dream21/33983654.html
エッセイスト。
人生哲学についてのエッセイで知られる人物。
主な著書に
「まっすぐな生き方」「思いやりのこころ」「おむすびの味 親のこころ」
「親のこころ」「こころの朝 たった1つの教訓で、もっと明るく生きられる」
「こころの道 ものの見方、考え方ひとつで、新しい風が吹いてくる」等。
心が変われば、それは必ず、言葉と態度に表れてくる。

■ 櫻井 秀勲  ◇ http://blogs.yahoo.co.jp/e_dream21/33981938.html
編集者、評論家。
文芸誌の編集者を務め、色川武大、松本清張、三島由紀夫、川端康成等
多くの文豪達と交流の後に31歳で『女性自身』の編集長に抜擢、
最高部数147万部の新記録を達成したが、1970年に発生した労働争議を機に光文社を退社し、
祥伝社の設立に参加する。
不平不満は心の中で燃やせ!

■ コンラッド・ヒルトン  ◇ http://blogs.yahoo.co.jp/e_dream21/33980337.html
アメリカの実業家で、ヒルトンホテルの創業者。
ニューメキシコ軍人養成学校で教育を受けた後、
第一次世界大戦にアメリカが参戦すると、従軍してフランスへ送られた。
退役後テキサス州シスコに移住し、当初銀行を買収して銀行家になろうと思ったが、
買収に手ごろな銀行がなく、たまたま見つけたモブレー・ホテルを
1919年に買収したのが彼のホテル経営の最初である。
その後はホテル経営に才能を発揮し、
1930年にはヒルトン・ホテル最初の高級ホテルとなる
エル・パソ・ヒルトン(現プラザ・ホテル)を開業した。
成功する人は、動き続けている。
間違いを犯すことはあっても、
決して立ち止まることはない。

■ 吉岡 彌生  ◇ http://blogs.yahoo.co.jp/e_dream21/33979077.html
教育者、医師。位階は正五位。
勲等は勲二等。
東京女医学校・東京女子医学専門学校・東京女子医科大学創立者。
東京女医学校校長、東京女子医科大学学頭、至誠会会長などを歴任した。
難しい問題にぶつかった場合でも、
それに負けてしまわず、微笑して考えれば、
そこに解決の道はあるのです。

■ 杉田 満裕  ◇ http://blogs.yahoo.co.jp/e_dream21/33977279.html
作家。
会社勤めのかたわら執筆活動を行っている人物であり、
新聞や雑誌に連載を持つほか、講演活動なども行っている。
主な著書に
「“運のいい人”になる12週間の小さな心がけ」
「少しずつ元気を取り戻すヒント うつ、落ち込みから立ち直るきっかけの作り方」
「少しずつ毎日を充実させるヒント 幸せ、夢、成功への「あと一歩」の踏み出し方」等。
人生の晩年に
「私はこれを世に送り出した」
「これを生み出した」
と胸を張って言える人は、幸せである。
私自身もそういう人生でありたい。

■ 鈴木 清一  ◇  http://blogs.yahoo.co.jp/e_dream21/33975388.html
明治44年12月21日生まれ。
ワックス製造のケントク社長をへて,昭和38年大阪にサニクリーンを設立。
39年社名をダスキンにあらためて化学ぞうきんのレンタルをはじめ,フランチャイズ方式で成功。
45年外食産業にも進出した。宗教家西田天香の影響をうけ,祈りの経営を提唱。
昭和55年8月22日死去。68歳。

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偉人の名言集【98】

偉人の名言集【98】

■ 安岡 正篤  ◇ http://blogs.yahoo.co.jp/e_dream21/33973638.html
陽明学者・思想家。
戊辰戦争の際、賊魁近藤勇を捕縛し斬首した功名で知られる土佐藩士安岡良亮の曾孫にあたる。
岸信介以降の歴代首相(田中角栄・三木武夫を除く)に
施政方針演説の推敲を依頼されていたと言われる。
最後まであきらめなかった人間が、成功しているのである。

■ 望月 俊孝  ◇  http://blogs.yahoo.co.jp/e_dream21/33971303.html
ヴォルテックス/レイキ・ヒーリング・システムの設立者。
主にレイキ(健康法)や宝地図(夢実現)、
フォトリーディング(速読系)などのセミナー・講演会を開催。
レイキは1990年代前半から取り組み、
日本で普及するようになった立役者の一人。
宝地図という夢実現・願望達成法を提唱。
夢がいつまでも「夢のまま」で、終わっているのはなぜでしょうか?
大変厳しいようですが、一言で言うと、
「本気になっていないから」だと思います。
「本気」であれば当然しているはずのことを、
行動に移していないケースが多々あります。

■ 平 秀信  ◇ http://blogs.yahoo.co.jp/e_dream21/33969194.html
株式会社インプロビック、株式会社輝点。
株式会社エルハウスを経営するかたわら、
INPO法人住宅法律相談室理事長、ローコスト住宅研究会代表を兼任している。
私の大好きな言葉で、「かなわない夢はない」という言葉があります。
私の人生は、この言葉どおりでした。
あなたの夢がかなわないとしたら、あなたが夢を見ていないからです。
夢を見ないから、方法論までも見えてこないのです。

■ 大隈 重信  ◇ http://blogs.yahoo.co.jp/e_dream21/33967571.html
武士(佐賀藩藩士)、政治家、教育者。
位階は従一位。勲等は大勲位。爵位は侯爵。
政治家としては参議兼大蔵卿、外務大臣(第3・4・11・14・29代)、
農商務大臣(第13代)、内閣総理大臣(第8・17代)、
内務大臣(第30・32代)、貴族院議員などを歴任した。
早稲田大学の創設者であり、初代総長である。
わが輩は楽観説である。
人生を重んじて、常に未来に光明を望んで行くのである。

■ 徳冨 蘆花  ◇ http://blogs.yahoo.co.jp/e_dream21/33965654.html
日本文学の小説家。
「徳冨」の表記にこだわり、各種の文学事典、文学館、記念公園などは「冨」の字を採用している。
号の由来は、自ら述べた
「『蘆の花は見所とてもなく』と清少納言は書きぬ。然もその見所なきを余は却って愛するなり」
からきている。
諸君、謀反(むほん)を恐れてはならぬ。
新しいものは常に謀反である。
肉体の死は何でもない。
恐るべきは霊魂の死である。
人が教えられたる信条のままに執着し、
言わせらるるごとく言い、
させらるるごとくふるまい、
型からいだした人形のごとく、
形式的に生活の安を偸(ぬす)んで、
一切の自立自信、自化自発を失う時、
すなわちこれ霊魂の死である。
我らは生きねばならぬ。
生きるために謀反しなければならぬ。

■ 倉本 聰  ◇ http://blogs.yahoo.co.jp/e_dream21/33963677.html
脚本家・劇作家・演出家。
たとえば、「富士山に登った」と言う人は多いけれど、たいていは5合目辺りまで車などで行き、
そこからスタートして登ったと言っているわけです。
でも、本当に標高3776メートルの富士山を登り切ったと言うなら、
僕は駿河湾から歩き出すのが本筋だと思う。
つまり、いつの間にか5合目スタートが常識になってしまっているわけです。
物事には「そもそも」という根本があります。
根本が進化し、社会基盤になり、常識になっていく。
5合目が常識になってしまうと、人はこの「そもそも」の部分、
根本を考えなくなる。それが僕は怖い。
だから、物を書くときでも何かを考えるときも、
僕自身、常に根底に戻り、根本を見つめるようにしている。

■ 長谷川 町子  ◇ http://blogs.yahoo.co.jp/e_dream21/33961860.html
漫画家。日本初の女性プロ漫画家として知られる。
代表作に『サザエさん』、『いじわるばあさん』、『エプロンおばさん』など。
1992年(平成4年)5月27日、心不全のため死去。
享年73(満72歳没)。遺言により1か月間は公表されなかった。
訃報は1カ月後の6月末に朝日新聞社とフジテレビの両社から公表された
(フジテレビでは、火曜日の『サザエさん』再放送のラストで逝去の公表)。
同年7月、家族漫画を通じ戦後の日本社会に潤いと安らぎを与えたとして国民栄誉賞が授与された。
他に第8回(1962年(昭和37年)度)文藝春秋漫画賞、
第20回(1991年(平成3年)度)日本漫画家協会賞を受賞。
常に温かく誠実な一人の女性が、あるとしたら、
社会的にどんなに見映えのしない、存在であろうとも、
その人こそ、世の中を善くする、大きな原動力であると思います。

■ 神田 昌典  ◇ http://blogs.yahoo.co.jp/e_dream21/33959717.html
経営コンサルタント・作家
株式会社ALMACREATIONS 代表取締役
「全脳思考(R)」考案者。
完璧を目指さないこと。
不完全、曖昧さを許容すること。
会社も人生もすべて100%完璧ということはない。
逆に100%完璧だったら、
逆にどこからか影が噴出すると思って、
気をつけたほうがいい。
家は汚れてるぐらいがいい。
家庭は不満なぐらいがいい。
会社も不満なぐらいがちょうどいい。
表があれば裏もある。
突出すれば、欠けるものがでてくる。
だからカリカリしないで、
気楽にやったほうがいい。

■ 菅野 泰蔵  ◇  http://blogs.yahoo.co.jp/e_dream21/33957957.html
学習院大学卒(心理学)。臨床心理士。
学習院大学、代々木の森診療所などを経て、
現在東京カウンセリングセンター所長。
ベストセラー「こころの日曜日」シリーズを始め、
「淋しい女と困った男」など著書多数。
世の中のほとんどのことは
自分の思い通りにはならないということ、
それを肝に銘じることだ。
このことがわかると
「うまくいかなくても当たり前」
「失敗しても当たり前」
「そんなに驚くことじゃない」
という考えにもなっていく。

■ ジョナス・ソーク  ◇ http://blogs.yahoo.co.jp/e_dream21/33956692.html
アメリカ合衆国の医学者。
ポリオ・ワクチンを開発した。
ポリオ・ワクチン開発に際しては安全で効果的なものを
できるだけ早く開発することだけに集中し、
個人的な利益は一切求めなかった。
テレビのインタビューで
「誰がこのワクチンの特許を保有しているのか」
と聞かれたのに対して
「特許は存在しない。
 太陽に特許は存在しないでしょう。」と述べた。
仕事を立派に成し遂げたことの見返りは、
それ以上の仕事ができる機会を
得られることである。

■ 三浦 綾子  ◇ http://blogs.yahoo.co.jp/e_dream21/33954356.html
女性作家、小説家、エッセイスト。
結核の闘病中に洗礼を受けた後、創作に専念する。
故郷である北海道旭川市に三浦綾子記念文学館がある。
人間は弱い者である。
たとえ幾多の才があっても、大きな意欲があっても、
「ダメな奴」と言われればたちまちしぼんでしまう。
逆に、才がなくても気力がなくても、
相手の一言によって生きる力を与えられる。

■ 升田 幸三  ◇ http://blogs.yahoo.co.jp/e_dream21/33952461.html
将棋棋士。
実力制第4代名人。
木見金治郎九段門下。棋士番号18。
三冠独占などの輝かしい戦績は勿論のこと、
その独創的な指し手、キャラクター、数々の逸話は、
将棋界の歴史を語る上で欠かすことができない。
時代は変わっても、人間を磨くのは
目的に挑戦する苦労だということは変わりません。
いまの人も苦労はしてるが、
それは物欲を満たす苦労で、
自分独特、独創の苦労ではない。
どんな世界でも同じだと思う。
プロとアマの違いは
アマは真似でも通用するが、
プロの道は独創。
またそうでなきゃ通用しない。
だから苦しいが喜びも計り知れない。

■ 池上 彰  ◇ http://blogs.yahoo.co.jp/e_dream21/33950459.html
東京工業大学教授、信州大学特任教授、京都造形芸術大学客員教授、
特定非営利活動法人日本ニュース時事能力検定協会理事。
1950年、長野県松本市で生まれ、東京都練馬区で育つ。
慶應義塾大学経済学部へ進学。
大学在学中に学園紛争が最高潮に達していたが、
自分が実際に見た学園紛争と報道される内容とに違和感を覚え、
正しい報道をしようとマスコミの道に進むことを決意する。
たとえば老舗と呼ばれる会社は、
世の中にとって必要な、
みんなが喜ぶような商品やサービスを
提供し続けてきたからこそ老舗になれたんです。
儲かっている会社も、基本的に同じ理屈で、
社会に必要とされていると考えられるでしょう。

一方で、サービスが提供できなくなったり、
社会的にまちがった儲け方をしていた会社は、
これまで自然と淘汰されてきました。
発想としては、世の中のためになる仕事をしていれば、
会社として継続的に成り立っていくものなんですよ。

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偉人の名言集【97】

偉人の名言集【97】

■ 青木 仁志  ◇ http://blogs.yahoo.co.jp/e_dream21/33948770.html
実業家&人材教育コンサルタント&講演家。
10代からプロセールスの世界に入り、「国際企業ブリタニカ」において、
セールス・セールスマネージャーとして数々の賞を受賞。
人材開発コンサルティング会社取締役を経て、営業教育専門のアチーブメント株式会社を設立。
心理療法の世界的権威ウイリアム・グラッサー博士の「選択理論」をベースとした、
能力開発研修で各界から高い評価を得ている。
「自分自身の成功」と
「他の人々への貢献」が
一つになった状態。
これが成功の定義である。

■ 杉 良太郎  ◇ http://blogs.yahoo.co.jp/e_dream21/33947130.html
歌手、俳優、財団法人日本・ベトナム文化友好協会理事長。
法務省特別矯正監。
外務省日本ベトナム特別大使。
ベトナム社会主義共和国ベトナム日本特別大使。
刑務所への慰問活動も積極的に展開し、“矯正活動への多大な貢献”により、
法務省から、史上初となる「名誉矯正監」を拝命。
その間の刑務所視察の功績が認められ、2008年には「特別矯正監」を法務大臣より任命される。
長年にわたり刑務官・受刑者に対し多くの意見交換・講演などを行っている。
福祉をやるには確かに時間とお金がかかる。
特にお金がないと見栄えのいい福祉はできません。
でも、お金がない人は時間を寄付すればいい。
お金も時間もない人は、福祉に対する理解を示し、
実際に活動をしている人に拍手を送るだけで十分。
それでもう立派な福祉家なんです。
福祉ってそういうもんです。

■ 西堀 栄三郎  ◇ http://blogs.yahoo.co.jp/e_dream21/33945364.html
登山家、無機化学者、技術者。
従四位。第一次南極観測隊の副隊長兼越冬隊長や日本山岳協会会長を務める。
人材を育てる方法はただ一つ。
仕事をさせ、成功させることである。
成功経験が人を育て、さらに大きな仕事をさせる。

■ 勝間 和代  ◇ http://blogs.yahoo.co.jp/e_dream21/33943404.html
著述家、評論家。
高校時代から公認会計士試験の勉強を始め、
23歳で公認会計士としての登録が可能となる3次試験に合格。
なお2次試験には19歳で合格しており、旧試験制度では当時の最年少記録。
2009年(平成21年)より、中央大学大学院戦略経営研究科客員教授として、
月に1回「女性の雇用管理」について講義している。
実行できる人とできない人の違いは、
「弱い意志を、いかに手法やスキルで補って、習慣化できるようにしているか」
ということにつきます。

■ 呉 清源  ◇ http://blogs.yahoo.co.jp/e_dream21/33941206.html
囲碁の棋士。
中国福建省出身、日本棋院瀬越憲作名誉九段門下。
本名は泉、清源は通称名。
一時日本棋院を離れて読売新聞嘱託となるが、現在は日本棋院名誉客員棋士。
全盛期には日本囲碁界の第一人者として君臨し、「昭和の棋聖」とも称される。
木谷實とともに「新布石」の創始者としても知られる。
勝負の秘訣は、無理をしないことです。
人間はだいたい、無理をしたいんです。

というのは、
欲望というものがあるから、
誰でもみな、

金持ちになりたいし、
大臣になりたいし、
権力の座につきたい。

そこなんですよ。
無理をして失敗するんです。
欲張って失敗する。

■ 西田 文郎  ◇ http://blogs.yahoo.co.jp/e_dream21/33940027.html
1949年生まれ。
株式会社サンリ代表取締役会長。
日本におけるイメージトレーニング研究・ 指導のパイオニア。
1970年代から科学的なメンタルトレーニングの研究を始め、
大脳生理学と心理学を利用して脳の機能にアプローチする
画期的なノウハウ『スーパーブレイントレーニングシステム(S.B.T.)』を構築。
日本の経営者、ビジネスマンの能力開発指導に多数携わり、
驚異的な トップビジネスマンを数多く育成し『能力開発の魔術師』と言われている。
どんなときも、自分に強気の言葉をかけろ。

■ エミール=オーギュスト・シャルティエ  ◇ http://blogs.yahoo.co.jp/e_dream21/33937785.html
フランスの哲学者。
アラン (Alain) というペンネームで知られる。
平和主義と反戦思想を持ちながら、46歳で、第一次世界大戦に志願して従軍。
3年後に除隊してアンリ四世校の教職に戻る。
われわれは現在だけを耐え忍べばよい。
過去にも未来にも苦しむ必要はない。
過去はもう存在しないし、
未来はまだ存在していないのだから。

■ 水木しげる  ◇ http://blogs.yahoo.co.jp/e_dream21/33935711.html
漫画家。
鳥取県境港市出身。
東京都調布市在住。
ペンネームは、紙芝居作家時代に、
当時経営していたアパート「水木荘」から名付けた。
好きなことに情熱を注いで、人生を生き切ること。

■ 野坂 礼子  ◇ http://blogs.yahoo.co.jp/e_dream21/33934119.html
日本産業カウンセラー協会,労働大臣認定産業カウンセラー 日本NCRにてインストラクトレス,
大手出版社のセールスマネージャーを経て独立 その後、
企業内教育講師として活躍 カウンセラーとして心理学を学ぶ一方、
生き様を極めたところから笑顔哲学を生み出し、 昭和61年『笑顔教室』を始める。
その後、平成18年4月『ありがとうございます。 笑顔セラピーねっと』と改名。
講演・社員研修・マスコミなどで活躍中 笑顔セラピストの育成にも力を入れる。
平成20年9月8日 社会文化功労賞 受賞。
いちばんいけないのは、失敗することではなく、失敗を「人のせい」にすることです。
問題や失敗はすべて「自分のもの」です。
「社内の人間関係が悪いので会社を辞めた」
「意地悪な人がいたから仕事がうまくいかない」
「みんなあの人のせいだ」
と考えていては、いつまでたっても成長はありません。

■ 清水 克衛  ◇ http://blogs.yahoo.co.jp/e_dream21/33932032.html
書店「読書のすすめ」店長、NPO法人「読書普及協会」理事長。
大学生の時に司馬遼太郎の「竜馬がゆく」を読み、商人になることを志し、
大手コンビニエンスストアの店長を10年間務めた後に、書店「読書のすすめ」を開業。
その後、同書店は大繁盛書店として知られるようになる。
「本との出逢い」や「人との出逢い」から生まれる成幸の法則についての、講演活動も行っている。
人間だれでも「幸せになりたい」って思いますよね。
幸せになりたいんだったら、考える前に、人を喜ばせればいいんです。
なのに、つい「自分が」「自分が」って、自分のことでいっぱいになったり、
「私は幸せじゃないから、人を喜ばせることなんてできません」って暗い顔して悩んでしまうんです。
悩むっていうのは、自分のことしか考えてないから。
「自分だけ幸せになるために必死になっている」っていうのは貧しい考え方ですよね。
本気で幸せになりたいんだったら、明るい顔して人を喜ばせることに、必死になればいい。

■ ロンドンのウェストミンスター寺院にある英国国教会司教の墓石に刻まれた言葉
  ◇ http://blogs.yahoo.co.jp/e_dream21/33928924.html
ウェストミンスター寺院;イギリスのロンドン・ウェストミンスターにある、イギリス国教会の教会。
聖ペテロ修道教会。
戴冠式などの王室行事が執り行われ、内部の壁と床には歴代の王や女王、
政治家などが多数埋葬されている。
多くの学校や職場で使用されている始業、終業のチャイムの音階は、
同寺院のために1927年に作曲された「ウェストミンスターの鐘」が元となっている。
まだ若く、自由で限りない想像力を持っていたころ、わたしは世界を変えることを夢みていた。
成長して知恵がつくにつれ、世界が変わることはないだろうということがわかり、
視野をやや狭めて、自分の国だけでも変えようと決意した。
しかし、それさえも変化することはないように思えた。
晩年になって、最後の試みとして、せめてわたしに最も近い存在である家族を
変えることで我慢しようとしたが、悲しいかな、それもかなわなかった。
そしていま、死の床に就いて、突然わたしは気付いたのだ。
もし、わたしがまず自分自身だけでも変えたなら、それを模範として家族を変えられたことだろう。
そして、彼らのインスピレーションと激励によって、自分の国を改善できただろう。
そうすれば、ひょっとすると、わたしは世界さえ変えることができたかもしれない。

■ 橋本 保雄  ◇ http://blogs.yahoo.co.jp/e_dream21/33925700.html
1931年北海道函館市生まれ。
1954年東北学院大学経済学部卒業。東京YMCA国際ホテル専門学校を経て、
1955年東京神田駿河台の山の上ホテルに入社。
1960年、開業前のホテルオークラに入社、宴会サービス課長、料飲部長、マーケティング部長、
1995年取締役副社長を歴任。NPO日本ホスピタリティ推進協会理事長、
(社)日本ホテル・レストランサービス技能協会会長など多数の要職を務めるかたわら、
函館大学客員教授をはじめ、多くの大学で指導活動や、官庁、各業界などでの講演活動を行っている。 <主な著書>『感動を創る』、『ホテルオークラ橋本流接客術』など多数。
人生や仕事の上に、愛と感謝の気持ちで働く人間には、必ず幸せが待っている。
45年のホテルサービス業の中から哲学的に身に染みた真髄である。

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