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◆ 湖面に映るが如く ◆

書庫名 言 集

http://img.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/6c/a0/muhuninaninasi/folder/811243/img_811243_31285186_14?1264081500
 
先人の貴重な人生体験の中から養生され搾り出された名言。
有難く現役の虎の巻に生かすべきではなかろうか。
常々そう思っていたところ、すばらしいブログに出会った。

花の美しさと名言をひとつひとつ丁寧に取り上げどのページもすばらしい。
その量も頭の下がる膨大さだ。
良かったら、一度ご覧になっては、如何でしょうか

今日の花*花さん(←ここをクリック とにかく花が綺麗)  ・・・たくさんの名言をありがとうございます !! 
以下その名言だけ抜き出して紹介します。
   http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-6c-a0/muhuninaninasi/folder/811243/43/31285243/img_1?1422700163
↑アニメと静止画を表示したかっただけです。本文とは関係ありません。・・・でも笑顔は良いですね。(*^_^*)
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偉人の名言集【126】

http://www.geocities.jp/douki_37m1/blg/ph141104_03.gif
     (文中使用の画像↓はyahooの画像検索からのコピペです)

■ 山本 周五郎  ◇  http://blogs.yahoo.co.jp/e_dream21/34603157.html
小説家。
作風は時代小説、特に市井に生きる庶民や名も無き流れ者を描いた作品で本領を示す。
また伊達騒動に材を求めた「樅ノ木は残った」や、由井正雪を主人公とした「正雪記」などの
歴史小説にも優れたものがある。
山本の小説に登場する人物は、辛酸を嘗め尽くし、志半ばで力尽きてしまうものが少なくないが、
かれらに、生きる上でのヒントとなる含蓄のある台詞を吐かせる、というのも山本の作風である。
※本日の名言は、「人情裏長屋」より主人公の信兵衛が浪人に掛けた言葉。
人間の一生には晴れた日も嵐の日もあります。
どんなに苦しい悲惨な状態も、そのまま永久に続くということはありません。
現在は現在、きりぬけてみれば楽しい昔語りになるでしょう。
まあ焦らずに悠くり構えるんですね。
こんな暮らしの中にもまた味のあるものですよ。

■ 戸田 智弘  ◇  http://blogs.yahoo.co.jp/e_dream21/34601143.html
キャリアコンサルタント、教師。
日本福祉大学教職員、NPO法人マイジョブクリエイジョンズ、
NPO法人アートの里伊豆高原絵本の家(静岡県)の副理事。
古河電気工業やプレス・オールターナティブで働いた後、出版業界に転職。
編集や営業に携わった後、自身も執筆活動を開始。
ライターの他、日本福祉大学教職員としても活躍している。
人生は、あなただけに与えられた応用問題。
そして、この問題を解くのは、あなたしかいない。
誰もあなたの代わりにその問題を解いてはくれない。
自分で考えて自分で選ぶからこそ、あなたは自分の人生を生きたことになる。
他人が考えて他人が選んだのなら、あなたは自分の人生を生きたことにはならない。

■ 般若心経  ◇  http://blogs.yahoo.co.jp/e_dream21/34599514.html
「般若波羅蜜多心経」
(はんにゃはらみったしんぎょう、大乗仏教の空・般若思想を説いた経典の1つ。
大正新脩大蔵経に収録されている、玄奘三蔵訳とされる経題名は般若波羅蜜多心経であるが、
各宗派において用いる場合には、頭部に
「仏説」(仏の説いた教え)や
「摩訶」(偉大な)の接頭辞をつけて
仏説摩訶般若波羅蜜多心経(ぶっせつまかはんにゃはらみったしんぎょう)や
摩訶般若波羅蜜多心経(まかはんにゃはらみったしんぎょう)とも表記される。
また、般若心経をさらに省略して心経(しんぎょう)と呼ばれる場合もある。
現存する最古の漢訳文とされる弘福寺(長安)の「集王聖教序碑」に彫られた般若心経では、
冒頭(題名部分)は般若波羅蜜多心経だが、末尾(結びに再度題名を記す部分)では
般若多心経(はんにゃたしんぎょう)と略されている。
僅か300字足らずの本文に大乗仏教の心髄が説かれているとされ、
複数の宗派において読誦経典の1つとして広く用いられている。
超スゲェ楽になれる方法を知りたいか?
誰でも幸せに生きる方法のヒントだ
もっと力を抜いて楽になるんだ。
苦しみも辛さも全てはいい加減な幻さ、安心しろよ。

この世は空しいモンだ、
痛みも悲しみも最初から空っぽなのさ。
この世は変わり行くモンだ。
苦を楽に変える事だって出来る。
汚れることもありゃ背負い込む事だってある
だから抱え込んだモンを捨てちまう事も出来るはずだ。

この世がどれだけいい加減か分ったか?
苦しみとか病とか、そんなモンにこだわるなよ。

見えてるものにこだわるな。
聞こえるものにしがみつくな。

味や香りなんて人それぞれだろ?
何のアテにもなりゃしない。

揺らぐ心にこだわっちゃダメさ。
それが「無」ってやつさ。
生きてりゃ色々あるさ。
辛いモノを見ないようにするのは難しい。
でも、そんなもんその場に置いていけよ。

先の事は誰にも見えねぇ。
無理して照らそうとしなくていいのさ。
見えない事を愉しめばいいだろ。
それが生きてる実感ってヤツなんだよ。
正しく生きるのは確かに難しいかもな。
でも、明るく生きるのは誰にだって出来るんだよ。

菩薩として生きるコツがあるんだ、苦しんで生きる必要なんてねえよ。
愉しんで生きる菩薩になれよ。
全く恐れを知らなくなったらロクな事にならねえけどな
適度な恐怖だって生きていくのに役立つモンさ。

勘違いするなよ。
非情になれって言ってるんじゃねえ。
夢や空想や慈悲の心を忘れるな、
それができりゃ涅槃はどこにだってある。

生き方は何も変わらねえ、ただ受け止め方が変わるのさ。
心の余裕を持てば誰でもブッダになれるんだぜ。

この般若を覚えとけ。短い言葉だ。

意味なんて知らなくていい、細けぇことはいいんだよ。
苦しみが小さくなったらそれで上等だろ。

嘘もデタラメも全て認めちまえば苦しみは無くなる、そういうモンなのさ。
今までの前置きは全部忘れても良いぜ。
でも、これだけは覚えとけ。

気が向いたら呟いてみろ。
心の中で唱えるだけでもいいんだぜ。

いいか、耳かっぽじってよく聞けよ?

「唱えよ、心は消え、魂は静まり、全ては此処にあり、全てを越えたものなり。」
「悟りはその時叶うだろう。全てはこの真言に成就する。」

心配すんな。大丈夫だ。

■ 田中 耕一  ◇  http://blogs.yahoo.co.jp/e_dream21/34597706.html
化学者・エンジニアである。
文化功労者、文化勲章、ノーベル化学賞受賞者。
株式会社島津製作所フェロー・田中耕一記念質量分析研究所所長、
東京大学医科学研究所客員教授、日本学士院会員。
タンパク質を質量分析にかける場合、タンパク質を気化させ、かつイオン化させる必要がある。
しかし、タンパク質は気化しにくい物質であるため、イオン化の際は高エネルギーが必要である。
しかし、高エネルギーをかけるとタンパク質は気化ではなく分解してしまうため、
特に高分子量のタンパク質をイオン化することは困難であった。
そこで、グリセロールとコバルトの混合物(マトリックス)を熱エネルギー緩衝材として
使用したところレーザーによりタンパク質を気化、検出することに世界で初めて成功した。
この功績が評価され、彼の開発した方法を「ソフトレーザー脱離イオン化法」として、
ノーベル賞が授与された。
「レーザーイオン化質量分析計用試料作成方法」は、1985年(昭和60年)に特許申請された。
自分だけの夢を見つけてください。
そしてその夢を大切に温めれば、
いつか何かを達成できます。

■ 篠原 欣子  ◇  http://blogs.yahoo.co.jp/e_dream21/34595688.html
神奈川県生まれ。
1953年に高木学園女子高等学校を卒業。
53年に三菱重工業株式会社に入社、
57年に同社を退社し、家事手伝いを経て
66年にスイス・イギリスに4年間留学する。
一時帰国後、
71年にオーストラリアの市場調査会社ピーエーエスエー社に社長秘書として入社。
73年に同社を退社。
帰国後、オーストラリア就業時に知った人材派遣業からヒントを得て
人材派遣会社のテンプスタッフ株式会社を資金100万円で設立し、代表取締役に就任。
東京・六本木にわずか8坪の住居兼オフィスを借り、電話と事務机ひとつでスタート。
寝泊りしながら営業活動を始めた。
チラシを作成して外資系企業に配り歩く日々。
日銭を稼ぐため、夜はビジネスマン向けに英会話教室を開き、生計の足しにした。
2006年、同社は東証一部に上場を果たす。
アメリカの『フォーチュン』誌に7年連続で「世界最強の女性経営者」に選ばれ、
2009年には、第37位にランクされた。
素直な心で、
熱心に一生懸命やっていれば
必ず「壁」は乗り越えられます。

■ 尾形 憲勇  ◇ http://blogs.yahoo.co.jp/e_dream21/34593910.html
三重県生まれ北海道育ちの実業家であり、
株式会社リペアホームサービスの創業者として知られる人物。
高校卒業後に警察官を経てダスキン株式会社に入社。
その後、食品会社を開業し年商60億円規模にまで発展するものの、1989年に倒産。
同年に靴修理や合鍵作製、CDリフレッシャー、カバン丸洗いなどの
マルチリペアの全国フランチャイズ・チェーン「株式会社リペアホームサービス」を設立。
主な著書に「お化けは出てから退治しろ やらない理由さがしをやめませんか」などがある。
いろいろな経験から申しますと、
万事うまくいっている時には本物が見えないし、
本物の豊かさや感謝の心などは、芽生えないような気がします。
前向きに耐えている時が二、三年続きますと、
精神力が、判断力が、また実行力が大分備わってきます。
しかも人の痛みがわかり、何だか知らず知らずのうちに、
心が大きくなってくるのを感じます。
そうなのです。
苦しみとは何と素晴らしいことか。
まさに私自身を教育してくれているわけですから、
感謝以外の何物でもありません。

■ 佳川 奈未  ◇ http://blogs.yahoo.co.jp/e_dream21/34591850.html
作家・作詞家・アーチスト。
神戸生まれ、神戸育ち。東京在住。株式会社POWER FACTORY代表取締役社長。
夢を叶えるカレッジ☆『MIRACLE HAPPY COLLEGE』主宰。
「願望実現」「生き方」「運」「お金」「恋愛」「成功」「輝いて生きる女性」を
テーマにした著書は、累計約500万部にものぼり、海外でも多数翻訳出版されている。
「前向きに生きる」というのは、なにもいつも
ハイテンションでいることではありません。
良くない状況の中でも物事を肯定的にとらえながらいられること。
いちばん底に沈んだときにも
「そこにいる意味」を探せること。

■ カカトコリ  ◇  http://blogs.yahoo.co.jp/e_dream21/34589858.html
岡山県出身の実業家、集客コンサルタント、セミナー講師。
本名は「林俊之」。
大阪工業大学機械科を卒業後、
1985年に株式会社林田商会に入社。専務を経て
1996年に同社の代表取締役社長に就任。
全国を飛び回る社員のために始めた朝礼代わりのメールが口コミで広がり、
成功哲学やマーケティングを伝える人気セミナー講師としても活躍するようになる。

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偉人の名言集【125】

偉人の名言集【125】

■ 小泉 十三  ◇ http://blogs.yahoo.co.jp/e_dream21/34587919.html
「頭がいい人シリーズ」の作者として知られる作家・ライター。
早稲田大学の文学部を卒業後、出版社に入社し書籍の編集などを経て独立。
単行本や雑誌への執筆活動を中心に活動を行っている。
イマイチの人は問題の解決法を頭の中だけで巡らせるが
頭のいい人は、すべての問題点や答えを書きだして、
整理しながら考える。

■ 石川 真理子  ◇  http://blogs.yahoo.co.jp/e_dream21/34586126.html
東京生まれ。
広告・雑誌・書籍・ウェブなど広範囲で活躍。
祖父方は仙台藩士、祖母方が米沢藩士という武家の末裔として
武士道や日本の歴史・伝統・生活文化を提唱している。
堪忍せずにいると、
おのれの心をどんどん狭くしてしまうものです。
つまらないことでいちいち怒るような、
心の狭い人間になりたくなければ、
どんなに腹が立っても、最後は
勘忍するのが肝心です。

■ 豊田 佐吉  ◇  http://blogs.yahoo.co.jp/e_dream21/34584649.html
実業家、発明家。
TOYOTAグループ創業者。
慶応3年(1867年)2月14日 - 遠江国敷知郡山口村(現・静岡県湖西市)の
貧しい農家兼大工の家に生まれた。
佐吉は小学校を卒業した後、父伊吉のあとを継いで大工の修業を始めたが、
十八歳のころ、「教育も金もない自分は、発明で社会に役立とう」と決心し、
手近な機織機の改良を始めた。
納屋へとじこもってもっぱら織機の改良に集中した佐吉の発明生活はきわめてけわしいものであった。
仕事は人がさがしてくれるものではなく、自分で身付けるべきものだ。
職は人が作ってくれるものではなく、自分自身でこしらえるべきものだ。
それがその人にとっての、本当の仕事となり、職業となる。
とにかくその心掛けさえあれば、仕事とか職業とかは無限にあるといっていい。

■ 青木 仁志  ◇  http://blogs.yahoo.co.jp/e_dream21/34582470.html
北海道出身の実業家&人材教育コンサルタント&講演家。
10代からプロセールスの世界に入り、「国際企業ブリタニカ」において、
セールス・セールスマネージャーとして数々の賞を受賞。
人材開発コンサルティング会社取締役を経て、営業教育専門のアチーブメント株式会社を設立。
心理療法の世界的権威ウイリアム・グラッサー博士の「選択理論」をベースとした、
能力開発研修で各界から高い評価を得ている人物。
とくにセールスに関しては、成功するのに絶対必要な四つの自信というものがある。

会社に対する自信。
商品に対する自信。
職業に対する自信。
そして自分に対する自信。

この四つである。
会社と商品に関しては、アレンジの必要があるかもしれないが、
この四つはどんな職業をしていても必ず持っていてほしいものだ。

■ 西田 文郎  ◇  http://blogs.yahoo.co.jp/e_dream21/34580581.html
メンタルトレーニング研究・指導のパイオニアとして知られるメンタルトレーナー、ビジネス作家。
ビジネス業界でパナソニックやNTT、JPモルガンなどの多数の企業の指導にあたっている他、
スポーツ界でも巨人やヤクルト、ジュビロ磐田、清水エスパルスをはじめ、バスケット、バレー、
ゴルフ、ボクシング界などの多くのトップアスリート達の指導を行う人物であり、
北京オリンピックで金メダルを獲得した女子ソフトボールチームの指導を行ったことでも有名。
「何で自分はこんなに成功できたんだろう。
 それはあそこであの人に会ったからだ、
 親が自分を生んでくれたからだ。」

と、出会った人々に感謝して、
社会に貢献しようとする。

大成功した人のほとんどは、
最後はそうなるんです。

■ 大嶋 啓介  ◇ http://blogs.yahoo.co.jp/e_dream21/34578538.html
実業家。居酒屋「てっぺん」の創業者。
飲食業界において活気あふれる店づくりで大きな注目を集めた人物であり、
てっぺん独自の「公開朝礼」はテレビや雑誌など多くのメディアで取り上げられた他、
年間約1万人もの人々が朝礼見学に訪れるとのこと。
お前ら、
子供の頃を思い出してみろよ。
恐怖とか不安とか
劣等感みたいなものなんか持ってたか?
恐れなんか何もなかったはずだろ?
いつからそんなもの持つようになったんだ?

■ アルベルト・アインシュタイン  ◇  http://blogs.yahoo.co.jp/e_dream21/34576490.html
ドイツ生まれのユダヤ人理論物理学者。
特殊相対性理論及び一般相対性理論、相対性宇宙論、ブラウン運動の起源を説明する揺動散逸定理、
光量子仮説による光の粒子と波動の二重性、アインシュタインの固体比熱理論、零点エネルギー、
半古典型のシュレディンガー方程式、ボーズ=アインシュタイン凝縮などを提唱した業績により、
20世紀最大の物理学者とも、現代物理学の父とも呼ばれる。
特に彼の特殊相対性理論と一般相対性理論が有名だが、光量子仮説に基づく
光電効果の理論的解明によって1921年のノーベル物理学賞を受賞した。
「人間は何のために生きているのですか?」
 と日本の学生に質問されて

「他人を喜ばすためです。
そんなことがわからないんですか?
人の価値とは、その人が得たものではなく、
その人が与えたもので測られます。
成功という理想は、
そろそろ奉仕という理想に、
取って替わられてしかるべき時です。」

■ 山崎 拓巳  ◇  http://blogs.yahoo.co.jp/e_dream21/34574439.html
三重県出身の実業家、著述家、画家。
22歳の時に「有限会社たく」を設立し、その後も多数の会社を設立。
著書も多く累計100万部を突破している他、夢実現プロデューサーとして講演活動も行なっている。
目の前のことばかりに気を取られていると、
いつの間にか「虫の目」になる。

虫には木しか見えないが、
鳥には森が見えている。

「鳥の目」を使って一度、
空から自分の姿を確認してみよう。

■ 本田 宗一郎  ◇  http://blogs.yahoo.co.jp/e_dream21/34572861.html
実業家、技術者。
本田技研工業(通称:「ホンダ」)の創業者。
終戦直後は何も事業をせず、土地や株を売却した資金で合成酒を作ったり
製塩機を作って海水から塩を作って米と交換したりして「遊んで」いたという。
しかしこの時期に、苦労して買い出しをしていた妻の自転車に
「エンジンをつけたら買い出しが楽になる」と思いつき、オートバイ研究が始まる。
日本のバイク・自動車産業に大きな役割を果たす。
経営の本質を突いた氏の発言は、いまでも経営者に絶大な人気を誇っている。
日本の経済成長に大きく寄与した人物。
最終学歴は高等小学校卒。
芸術でも技術でも、いい仕事をするには、
女のことが分かってないとダメなんじゃないかな。

■ 司馬遷 <<「史記」老子伝から>>  ◇  http://blogs.yahoo.co.jp/e_dream21/34570914.html
中国前漢時代の歴史家で、「史記」の著者。
良賈(りょうこ)は深く蔵(ぞう)して虚(むな)しきが如(ごと)し。

-note-
すぐれた商人は品物を奥深くしまっておき、一見すると手持ちがないように見える。
賢者は学徳をみだりに外に現さないため、愚者のように見えるということのたとえ。

■ 森川 亮  ◇  http://blogs.yahoo.co.jp/e_dream21/34569193.html
実業家。LINE(旧:NHN Japan)代表取締役社長。
1989年に筑波大学を卒業後、日本テレビ放送網へ入社。
ネット広告や映像配信など多数の事業に関わり、
仕事の傍ら青山学院大学大学院に通い、MBAを取得。
その後、ソニーを経て、
2003年にハンゲームジャパンに入社。
2007年に同社の代表取締役社長に就任。
2011年にサービスを開始した「LINE」が、わずか1年半後にユーザー数1億人を突破。
2013年にゲーム事業を分離して、LINE株式会社に社名変更。
変化の激しい時代は、経験の少ない若い人に大きなチャンスをもたらします。
経験を積み、スキルが高い人は、自分のなじんできたやり方にこだわるあまり、
変化への対応が遅れてしまうことがある。
それに対して、経験の少ない人はこだわりが少ない。
ニーズの変化をすばやくとらえ、すばやくそれにこたえられる能力を身につければ、
対応が遅い人の先をいくことができます。

■ 藤原 美智子  ◇  http://blogs.yahoo.co.jp/e_dream21/34567037.html
ヘアメイクアーティスト。
秋田県横手市出身。秋田県立横手城南高等学校卒業。
美容学校卒業後、ヘアメイクアーティストの松永タカコの
アシスタントを経て、CLIPに所属する。
1992年、LA DONNA(ラ・ドンナ)設立。
以後、CM撮影のヘアメイクや化粧品メーカーのアドバイザー、
執筆活動など幅広く活躍。
華とは、その人から漂う幸せ感。

■ 沢木興道老師  ◇  http://blogs.yahoo.co.jp/e_dream21/34564958.html
昭和を代表する日本の曹洞宗の僧侶である。
三重県津市に生まれ、4歳で母を、7歳で父を亡くし、澤木文吉の養子となる。
1897年に出家を志して永平寺に入り、
1899年に出家するも、兵役に取られ、日露戦争に従軍して負傷する。
退役後、佐伯定胤に唯識を学び、丘宗潭の命で熊本県の大慈寺に入り、
旧制第五高等学校の生徒に坐禅を指導する。
これより、各地の道場を転々とし、「移動僧堂」、「宿無し興道」と称された。
1935年に總持寺後堂職となり、駒澤大学特任教授も兼任して、
鎌田茂雄や酒井得元を始めとする学生の坐禅指導を行い、それまで選択科目であった坐禅を
必修科目とさせ、徹底した坐禅教育を行った。
「何にもならんもののためにただ坐る」という只管打坐を貫き、その一生を通じて実践して見せた。
現在、その思想、指導方法はアメリカのスタンフォード大学にある曹洞禅センターにも
受け継がれている。
いま時分の奴のやることは、
みな集団をつくって、アタマ数でゆこうとする。
ところがどこの集団もグループ呆けばかり、
金がほしいというのもグループ呆けなら、
エラクなりたいというのもグループ呆け。
いわんや党派をつくるなど、
グループ呆けの代表である。
そんなグループ呆けをやめ
自分ぎりの自分になることが座禅である。

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偉人の名言集【124】

偉人の名言集【124】

■ 徳富 蘇峰  ◇  http://blogs.yahoo.co.jp/e_dream21/34562842.html
明治・大正・昭和の3つの時代にわたる日本のジャーナリスト、思想家、歴史家、評論家。
また、政治家としても活躍して、戦前・戦中・戦後の日本に大きな影響をあたえた。
人生の要は七分の常識に
三分の冒険心を調合するを以て、
適当なりとなすべし。

■ 小泉 清子  ◇  http://blogs.yahoo.co.jp/e_dream21/34560449.html
実業家であり、きもの研究家である。
呉服販売会社「鈴乃屋」代表取締役会長。
東京府立第一高等女学校を卒業後、当時の内務省に勤務。
その後結婚し子供を2人もうけるが、夫は太平洋戦争(大東亜戦争)で戦死した。
日本の敗戦後の1947年(昭和22年)、子供を養うため、生地に近い上野で呉服店「鈴乃屋」を開業。
苦難の末に、会社を全国規模の呉服販売チェーンストアに成長させた。
私が思うに、どの商売でも難しく、楽な商売なんてない。
それだけに、この商売と決めたら辛抱強く、やり抜くことが大切で決して諦めてはならない。
人間、やる気さえあれば知恵も出てくるものです。

■ 桜井 美姫  ◇  http://blogs.yahoo.co.jp/e_dream21/34558685.html
東海テレビ・泉放送制作の制作の昼ドラ「毒姫とわたし」に登場する元キャバクラ嬢の車いす作家。
生まれながらに足に障害を持ち、親に捨てられ児童養護施設「天使園」で22歳まで過ごす。
大学卒業後、キャバクラで働きながらに勤務する傍ら、出版社の小説賞に作品を応募し、
きみじま文芸賞・受賞作の「海に咲くさくら」でデビューを果たす。
何事にもぶつかって、傷付いて、
ガンガン経験値を上げていくべきや!
傷付いて磨かれるからこそ
あんたの魅力は輝くねん。

■ 鍵山 秀三郎  ◇  http://blogs.yahoo.co.jp/e_dream21/34557257.html
株式会社ローヤル(現 イエローハット)の創業者。
また、日本を美しくする会の相談役でもある。
掃除をテーマにした活動・講演を全国各地で行なっている。
リーダーとして一番心しなければならないのは、
「至誠 神の如し」ということに尽きるのではないかと思っています。
リーダーは誠を尽くすしかない。

■ 岩波 茂雄  ◇  http://blogs.yahoo.co.jp/e_dream21/34555256.html
出版人、岩波書店創業者。貴族院多額納税者議員。尋常小学校、高等小学校をへて、
1895年(明治28年)には諏訪実科中学校(現・諏訪清陵高)へ入学。
在学中には父が死去し、戸主となる。
母を助け農業をしていたが1899年に上京し、日本中学に入学。
母が学資を仕送りしてくれた。
ある時母親が上京すると茂雄は東京見物をさせようと思うも
母は用事が済むとさっさと帰郷してしまった。
息子を勉強させたいばかりに働いたのだという。
翌年には卒業し、1901年、杉浦重剛を慕い第一高等学校に入学する。
藤村操が自殺した際、彼の友人でもあった茂雄は哲学書等を携えて40日間山小屋に篭もり
死に付いて真剣に考え、自身も死を選びつつあったが、母親の下山の訴えでとうとう下界へ戻る。
けれど先の事件の影響を受け、落第した。
この頃、煩悶から東京本郷で求道学舎を主宰していた真宗大谷派僧侶の近角常観のもとを訪れ、
近角から著書『信仰の餘瀝』を渡される。
試験放棄のため除名中退処分となり、再起して1905年東京帝国大学哲学科選科に入学。
他より幾分でも高く買い入れ、また幾分でもこれを他より安く売る。
商売の秘訣を聞かれてもこれ以外に答えようがない。

■ 広岡 達朗  ◇  http://blogs.yahoo.co.jp/e_dream21/34553391.html
広島県呉市出身のプロ野球選手(内野手)・プロ野球監督、野球解説者(野球評論家)。
東京都町田市在住。
愛称は「ヒロさん」、あるいは単に「ヒロ」。
また、野村克也や森祇晶が「狸」と呼ばれるのに対して、
広岡は「狐」と呼ばれることもある。
指導とは根気と見つけたり。

結局、人を指導するということは、
その相手とじっくり向かい合って、
根くらべをすることなのだ。

■ 安田 隆夫  ◇  http://blogs.yahoo.co.jp/e_dream21/34551211.html
1973年(昭和48年)慶應義塾大学法学部卒業後、不動産会社に勤務したが倒産。
1978年(昭和53年)東京都杉並区に雑貨店「泥棒市場」を起業し、終夜営業が受けて成功した。
1980年に株式会社ジャスト(現・株式会社ドン・キホーテ)、
1982年に株式会社リーダーを設立。
1989年(平成元年)には第1号店となる「ドン・キホーテ」府中店を開店。
業界常識は勝利者の論理であって、勝利のための論理ではない。
だから、後発企業が先発企業のマネをしても絶対に勝てない。

■ 小林 一三  ◇ http://blogs.yahoo.co.jp/e_dream21/34549323.html
実業家。
阪急電鉄や宝塚歌劇団をはじめとする阪急東宝グループ(現・阪急阪神東宝グループ)の創業者。
鉄道を起点とした都市開発、流通事業を一体的に進め相乗効果を上げる私鉄経営モデルの原型を
独自に作り上げた。
青年よ、独立せよ。
大会社にあこがれるな。
商売はいくらでもある。
仕事はどこにでもある。

■ 東郷 平八郎  ◇ http://blogs.yahoo.co.jp/e_dream21/34547187.html
武士(薩摩藩士)、軍人である。
階級は元帥海軍大将。栄典は従一位・大勲位・功一級・侯爵。
明治時代の日本海軍の司令官として日清及び日露戦争の勝利に大きく貢献し、
日本の国際的地位を「五大国」の一員とするまでに引き上げた。
明治38年12月21日
東郷司令長官による連合艦隊解散式における訓示(草稿者:海軍参謀 秋山真之)

現代語訳

20数ヶ月にわたった戦争も、今や過去のこととなり、わが連合艦隊は、今やその任務を果して、
ここに解散することとなった。
しかし艦隊は解散しても、わが海軍軍人の務めや責任が、軽減するということはない。
この戦役で収めた成果を、永遠に保ち、さらに一層国運をさかんにするには、平時戦時の別なく、
まずもって外からの守りに対し、重要な役割を持つ海軍が、常に万全の海上戦力を保持し、
ひとたび事あるときは、ただちに、その危急に対応できる備えが必要である。

ところで、その戦力であるが、戦力なるものはただ艦船兵器等有形の物や数によってだけ、
定まるのではなく、これを活用する能力すなわち無形の実力にも実在する。
百発百中の砲は、一門よく百発一中、いうなれば百発打っても一発しか当らないような砲なら
百門と対抗することができるのであって、この理に気づくなら、われわれ軍人は無形の実力の充実、
即ち訓練に主点を置かなければならない。先般わが海軍が勝利を得たのは、
もちろん天皇陛下の霊徳によるとはいえ、一面また将兵の平素の練磨によるものであって、
それがあのような事例をもって、将来を推測するならば、たとえ戦争は終ったとはいえ、
安閑としてはおれないような気がする。

考えるに軍人の一生は戦いの連続であって、その責務は平時であれ、戦時であれ、
その時々によって軽くなったり、重くなったりするものではない。
事が起これば、戦力を発揮するし、事がないときは、戦力の蓄積につとめ、
ひたすらその本分を尽くすことにある。
過去一年半かの風波と戦い、寒暑に直面し、しばしば強敵とまみえて生死の間に出入りしたことは、
もちろんたいへんなことではあったが、考えてみると、これもまた、長期の一大演習であって、
これに参加し、多くの知識を啓発することができたのは、軍人として、
この上もない幸せであったというべきで、戦争の苦労も些細なものにしてくれるといえよう。
もし軍人が太平に安心して、目前の安楽を追うならば、兵備の外見がいかに立派であっても、
それはあたかも、砂上の楼閣のようなものでしかなく、ひとたび暴風にあえば、
たちまち崩壊してしまうであろう。まことに心すべきことである。

むかし神功皇后が三韓を征服されて後、韓国は400余年間、わが支配の下にあったけれども、
ひとたび海軍がすたれると、たちまちこれを失い、また近世に至っては、徳川幕府が太平になれ、
兵備をおこたると、数隻の米艦の扱いにも国中が苦しみ、またロシアの軍艦が千島樺太をねらっても、
これに立ち向うことができなかった。
目を転じて西洋史を見ると、19世紀の初期ナイル及びトラファルガー等に勝った英国海軍は、
祖国をゆるぎない安泰なものとしたばかりでなく、それ以後、後進が相次いで、
よくその武力を維持し、世運の進歩におくれなかったから、今日に至るまで永く国益を守り、
国威を伸張することができた。

考えるに、このような古今東西の教訓は、政治のあり方にもよるけれども、
そもそもは軍人が平安な時にあっても、戦いを忘れないで、備えを固くしているか、どうかにかかり、
それが自然にこのような結果を生んだのである。

われわれ戦後の軍人は、深くこれらの実例、教訓を省察し、これまでの練磨の上に、
戦役の体験を加え、さらに将来の進歩を図って、時勢の発展におくれないように
努めなければならない。

そして常に聖諭を泰戴して、ひたすら奮励し、万全の実力を充実して、時節の到来を待つならば、
おそらく、永遠に国家を護るという重大な責務を果たすことが出来るであろう。

神は平素ひたすら鍛錬につとめ、戦う前に既に戦勝を約束された者に、
勝利の栄冠を授けると共に、一勝に満足し、太平に安閑としている者からは、
ただちにその栄冠を取上げてしまうであろう。

昔のことわざにも「勝って兜の緒を締めよ」とある。

1905年12月21日 連合艦隊司令長官 東郷平八郎

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偉人の名言集【123】

偉人の名言集【123】

■ 高橋 是清  ◇  http://blogs.yahoo.co.jp/e_dream21/34545696.html
幕末の武士(仙台藩士)、明治、大正、昭和時代初期の官僚、政治家。立憲政友会第4代総裁。
第20代内閣総理大臣(在任 : 1921年〈大正10年〉11月13日 - 1922年〈大正11年〉6月12日)。
栄典は大勲位子爵。
幼名は和喜次(わきじ)。
内閣総理大臣としてよりも大蔵大臣としての評価の方が高い。
二・二六事件において、赤坂の自宅二階で反乱軍の青年将校らに胸を6発撃たれ、暗殺された。
享年82(満81歳没)
栄枯盛衰は人生の常である。
順境は、いつまでも続くものではなく、逆境も、心の持ちよう一つで、
これを転じて順境たらしめることも出来る。
逆境の順境は、心の構え方一つで、どうにでも変化するものである。

■ 犬丸 徹三  ◇ http://blogs.yahoo.co.jp/e_dream21/34543921.html
実業家。元帝国ホテル社長。
上海、ロンドン、ニューヨークのホテル勤務を経て、
帝国ホテル常務で支配人だった林愛作に招かれる。
1919年帝国ホテル副支配人となり、その後、常務、代表取締役、専務等を経て、
1945年社長。
1970年顧問となる。
マッカーサーが着任した際には、
焼け野原となった東京を視察する彼の運転手をした。
私のところでは特別なサービスはしない。
つまり普通のサービスなのだ。
しかしそれはあくまでも心のこもったものでなくてはならない。
それから、自分がしてもらいたいと思うことを
客に対してしてあげるのがほんとうの親切だと、
いつも従業員に教えている。

■ 新島 襄  ◇  http://blogs.yahoo.co.jp/e_dream21/34541950.html
宗教家、教育者。
同志社英学校(後の同志社大学)を興した。
福澤諭吉らとならび、明治六大教育家の1人に数えられている
世の中の事はすべて根気仕事である。
根気の強いものが最後の勝利を得る。

■ 小泉 信三  ◇ http://blogs.yahoo.co.jp/e_dream21/34540092.html
日本の経済学者。今上天皇の皇太子時代の師父。
1933年(昭和8年)〜1946年(昭和21年)まで慶應義塾長。
父は慶應義塾長(1887年(明治20年) - 1890年(明治23年))や、横浜正金銀行支配人などを歴任。
小泉信三の長男信吉は、昭和17年10月22日南太平洋において戦死した。年二十五。
父母と祖母と妹二人とを後に遺した。
その愛する息子を偲び、余暇をぬすんで日夜書き綴った手記は、涙をそそらずにはおかない。
日本の師表と仰がれた畏敬すべき小泉信三の別の一面、
たぐいまれな暖い家庭の父の姿を見ることができる。
「海軍主計大尉小泉信吉」より
元慶応義塾の塾長で、今上天皇の指導役も務めた小泉信三さんが出征する息子に宛てた手紙より

君の出征に臨んで言って置く。

吾々両親は、完全に君に満足し、君を我が子とすることを何よりの誇りとしている。
僕は若し生れ替って妻を択べといわれたら、幾度でも君のお母様を択ぶ。
同様に、若し我が子を択ぶということが出来るものなら、吾々二人は必ず君を択ぶ。
人の子として両親にこう言わせるより以上の孝行はない。
君はなお父母に孝養を尽くしたいとおもっているかも知れないが、
吾々夫婦は、今日までの二十四年の間に、凡そ人の親として享け得る限りの幸福は既に享けた。
親に対し、妹に対し、なお仕残したことがあると思ってはならぬ。
今日特にこのことを君に言って置く。

今、国の存亡を賭して戦う日は来た。
君が子供の時からあこがれた帝国海軍の軍人としてこの戦争に参加するのは満足であろう。
二十四年という年月は長くはないが、君の今日までの生活は、如何なる人にも恥しくない、
悔ゆるところなき立派な生活である。
お母様のこと、加代、妙のことは必ず僕が引き受けた。

お祖父様の孫らしく、又吾々夫婦の息子らしく、戦うことを期待する。

父より。

■ チャールズ・チャップリン  ◇  http://blogs.yahoo.co.jp/e_dream21/34537643.html
イギリスの映画俳優、映画監督、コメディアン、脚本家、映画プロデューサー、作曲家。
映画の黎明期に数々の作品を作り上げ、「喜劇王」の異名をもつ。
愛称は“チャーリー”、または“シャルロ(Charlot)”。
各種メディアを通じ、現在においても彼の姿や作品にふれることは容易である。
また、バスター・キートンやハロルド・ロイドと並び、
「世界の三大喜劇王」と呼ばれる。
独裁者アドルフ・ヒトラーを皮肉った映画『独裁者』で有名だが、
そのモデルとなったヒトラーと誕生年月が同じ、
1889年4月である(チャップリンの方が4日早い)。
もともと人間の運、不運などというものは、
空行く雲と同じで、
結局は風次第のものに過ぎない。

■ 野上 洋幸  ◇  http://blogs.yahoo.co.jp/e_dream21/34536253.html
モティベート・トレーナーとしても活躍する実業家、コンサルタント。
20代前半から金融や保険などの外資系企業でセールスマンとして活躍した後、
2001年に人材育成・営業コンサルティング会社
「サクセス・ファクトリー・インターナショナル株式会社」を設立。
世界有数のコンサルタント「ブライアン・トレーシー」氏の公認トレーナーでもあり、
モティベート・トレーナーとしても活躍する。
世の中で他人の助けを受けずに
生きていける人は、一人もいません。
これは忘れてはならないことです。

■ 益田 親施  ◇ http://blogs.yahoo.co.jp/e_dream21/34533936.html
益田家第33代当主。
幕末期の長州藩永代家老・須佐領主益田家14代。
長州藩の永代家老の家柄である益田家の益田元宣の三男として生まれる。
1849年、兄が死去したため、家督を継いだ。
1853年、マシュー・ペリーが浦賀に来航すると、浦賀総奉行として着任する。
1856年には長州藩の国家老となった。
1858年、通商条約問題が起こると、益田は周布政之助らと共に朝廷の意思に従って
攘夷を決行すべきと幕府に提言し、
「朝廷に対しては忠節、幕府に対しては信義、祖先には孝道」
という藩の三大原則を打ち出した。
大賢は愚に似たりと古語にもいうぞ。
鋭さを面にあらわして歩いているような男は才物であっても第二流だ。

第一流の人物というのは、少々、馬鹿に見える。
少々どころか、凡人の眼から見れば大馬鹿の間ぬけに見えるときがある。

そのくせ、接する者に何か強い印象を残す。

■ 沢木興道老師  ◇ http://blogs.yahoo.co.jp/e_dream21/34531853.html
昭和を代表する日本の曹洞宗の僧侶である。
三重県津市に生まれ、4歳で母を、7歳で父を亡くし、澤木文吉の養子となる。
1897年に出家を志して永平寺に入り、
1899年に出家するも、兵役に取られ、日露戦争に従軍して負傷する。
退役後、佐伯定胤に唯識を学び、丘宗潭の命で熊本県の大慈寺に入り、
旧制第五高等学校の生徒に坐禅を指導する。
これより、各地の道場を転々とし、「移動僧堂」、「宿無し興道」と称された。
1935年に總持寺後堂職となり、駒澤大学特任教授も兼任して、
鎌田茂雄や酒井得元を始めとする学生の坐禅指導を行い、
それまで選択科目であった坐禅を必修科目とさせ、
徹底した坐禅教育を行った。
「何にもならんもののためにただ坐る」という只管打坐を貫き、
その一生を通じて実践して見せた。
現在、その思想、指導方法はアメリカの
スタンフォード大学にある曹洞禅センターにも
受け継がれている。
グループができると、
その中に麻痺状態が発生して、
良い悪いがわからなくなってしまう。

われわれが世の中を遠ざかっているのも
逃避しているのではない。
この麻痺状態をおこしたくないからである。

昔から山野に才を求むというが、
この山野とは無色透明な世界のことだ。

■ 松原 惇子  ◇  http://blogs.yahoo.co.jp/e_dream21/34530532.html
エッセイスト、評論家。
結婚に失敗して、職業を転々とし、38歳のとき、自分の体験を通して独身者の気持ちを書いた
『女が家を買うとき』で執筆活動に入る。
『クロワッサン症候群』では、雑誌「クロワッサン」が提唱した、
独身の流行に踊らされて後悔した女たちを論じてベストセラーとなった。
その後も、自身の加齢とともに、それに応じたシングル女性の生き方を問う本を、
多数、刊行し続けている。
著作活動だけでなく、シングル女性の今と老後を応援する団体、
NPO法人「SSSネットワーク」をたちあげ、活動に力を注いでいる。
「不安」の裏にあるものは、
          つまるところ「欲」。

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偉人の名言集【122】

偉人の名言集【122】

■ 沢木興道老師  ◇ http://blogs.yahoo.co.jp/e_dream21/34528612.html
昭和を代表する日本の曹洞宗の僧侶である。
三重県津市に生まれ、4歳で母を、7歳で父を亡くし、澤木文吉の養子となる。
1897年に出家を志して永平寺に入り、
1899年に出家するも、兵役に取られ、日露戦争に従軍して負傷する。
退役後、佐伯定胤に唯識を学び、丘宗潭の命で熊本県の大慈寺に入り、
旧制第五高等学校の生徒に坐禅を指導する。
これより、各地の道場を転々とし、「移動僧堂」、「宿無し興道」と称された。
1935年に總持寺後堂職となり、駒澤大学特任教授も兼任して、
鎌田茂雄や酒井得元を始めとする学生の坐禅指導を行い、
それまで選択科目であった坐禅を必修科目とさせ、徹底した坐禅教育を行った。
「何にもならんもののためにただ坐る」という只管打坐を貫き、その一生を通じて実践して見せた。
現在、その思想、指導方法はアメリカのスタンフォード大学にある
曹洞禅センターにも受け継がれている。
世の中はヒトやヨソモンを背景にして自分をエラクみせようとする。
味ないものを、皿で味をもたすようなもんじゃ。
そんなことで世間では、人間を見失う。

■ 司馬 遼太郎  ◇ http://blogs.yahoo.co.jp/e_dream21/34526929.html
小説家、ノンフィクション作家、評論家。
筆名の由来は「司馬遷に遼(はるか)に及ばざる日本の者(故に太郎)」から来ている。
産経新聞社記者として在職中に、『梟の城』で直木賞を受賞。
歴史小説に新風を送る。代表作に

『竜馬がゆく』
『燃えよ剣』
『国盗り物語』
『坂の上の雲』

など多くがあり、
戦国・幕末・明治を扱った作品が多い。
『街道をゆく』をはじめとする多数のエッセイなどでも
活発な文明批評を行った。
古今、物事を革新する者は
多くはその道の素人である。

■ 松下 幸之助  ◇  http://blogs.yahoo.co.jp/e_dream21/34524545.html
パナソニック(旧社名:松下電器産業、松下電器製作所、松下電気器具製作所)を
一代で築き上げた経営者である。
自分と同じく丁稚から身を起こした思想家の石田梅岩に倣い、
PHP研究所を設立して倫理教育に乗り出す一方、
晩年は松下政経塾を立ち上げ政治家の育成にも意を注いだ。
ぼくが奉公している時分に一人前になるためには、
小便が赤くなるくらいにならないとあかんのや
そういうことを二、三べん経てこないことには、
一人前の商売人になれんぞということを、親方から聞いた。

どういうことかというと、商売で、心配で心配でたまらん、
もう明日にでも自殺しようかという所まで追い込まれたら、
小便が赤くなるという。
そういうようなことをしてきて初めて一人前の商売人になる。

だから尋ねるんやが、あなた、儲からん儲からん言うけど、
小便赤くなったことあるか?

■ 中村 天風  ◇  http://blogs.yahoo.co.jp/e_dream21/34522869.html
天風会を創始し、心身統一法を広めた。
生きがいのある人生を生きる実践哲学を確立した人物で、
東郷平八郎などから支持され
「天風哲学」として知られるようになる。
いかなるときでも真剣であれ。
どんな些細なことでも真剣であれ。

■ 大前 研一  ◇  http://blogs.yahoo.co.jp/e_dream21/34520723.html
経営コンサルタント、起業家。
「ボーダレス経済学と地域国家論」提唱者。
自分はどうなりたいのか。
何が自分の本当の望みであり、夢なのか。
この自問自答を繰り返してこそ、
プロフェッショナルへの道が開ける。

■ 諸橋 轍次  ◇ http://blogs.yahoo.co.jp/e_dream21/34518820.html
漢字の研究者で、大著『大漢和辞典』や『広漢和辞典』(ともに大修館書店刊)の編者。
文学博士。東京文理科大学名誉教授。
都留短期大学および都留文科大学の(四年制大学としての)初代学長。
どんな場合でも、
本気になって、
誠というもので一貫すれば、

時勢の変遷があっても、
いろいろな条件が変わっていっても、
必ず「事は成る」。

■ 羽根 拓也  ◇ http://blogs.yahoo.co.jp/e_dream21/34517271.html
株式会社アクティブラーニングの代表取締役社長を務める
実業家、教育者、研修・人事コンサルタント。
日本で塾や予備校の講師を務めた後の1991年にアメリカに渡り、
ハーバード大学などで語学専任講師として活躍。
日本語教師として働きながら、
同時に「学ぶ力」についての研究も進め、
学習力を向上させる方法を論理的にまとめた
「アクティブラーニング」の手法を提唱。
すごく興味のあること、好きな対象に向かっていると、
放っておいても自然と脳が活性化して、
自分でも驚くほどの記憶力を発揮する時がありますよね?
私たちはこの状態を、「開脳している」という言い方をします。
つまり、開脳状態にあれば、人は自動的に学習を開始して、
驚異的な成果を上げることができるということです。

■ 宇津木 妙子  ◇  http://blogs.yahoo.co.jp/e_dream21/34514796.html
ソフトボール選手・監督。
2004年のアテネ五輪のソフトボール日本代表。
アテネではとにかく足を使った攻撃を多用、外野の守備を強化。
予選4位で通過したが3位決定戦でオーストラリアに敗れ銅メダルを獲得。
必ずできると信じる心、
絶対にやりとげるという
強い意志、

それがなければ
そもそも戦いの場に
立つことは許されない

と私は考えている。

■ 高橋 歩  ◇ http://blogs.yahoo.co.jp/e_dream21/34513521.html
「自由人」を自称する日本の実業家、随筆家。
A-Works、play earth、アイランドプロジェクト代表取締役。
「自分の旗」  を掲げるとしたら、
 大きな文字で、
 なんと書く?

■ イビチャ・オシム  ◇ http://blogs.yahoo.co.jp/e_dream21/34511343.html
ユーゴスラビア(現・ボスニア・ヘルツェゴビナ)のサラエヴォ出身のサッカー選手、指導者。
愛称はシュワーボ。旧ユーゴスラビア代表の最後の監督であり、
日本でもジェフユナイテッド市原・千葉、日本代表で監督を歴任するなど、
世界各国で豊富な指導歴を持つサッカー指導者である。
限界には、限界はありません。
限界を超えれば、
次の限界が生まれるのです。

■ ウォーレン・エドワード・バフェット  ◇  http://blogs.yahoo.co.jp/e_dream21/34509206.html
アメリカ合衆国の著名な投資家、経営者。
世界最大の投資持株会社であるバークシャー・ハサウェイの筆頭株主であり、
同社の会長兼CEOを務める。
バフェットは長期投資を基本スタイルとし、長期間に渡って高い運用成績を残している。
金融街ではなく地元オマハを中心とした生活を送っている為、
敬愛の念を込めて「オマハの賢人」(Oracle of Omaha) とも呼ばれる。
毎年開催されるバークシャー・ハサウェイの株主総会では、
バフェットと同社の副会長チャーリー・マンガーの話を聞くために
世界中から数万人にものぼる株主が参加している。
「辛抱強さ」や「冷静さ」は、
知能指数よりも重要かもしれないと、
私は思っています。

■ 夏目 漱石  ◇ http://blogs.yahoo.co.jp/e_dream21/34507024.html
小説家、評論家、英文学者。
大学時代に正岡子規と出会い、俳句を学ぶ。
帝国大学(後の東京帝国大学、現在の東京大学)英文科卒業後、
松山で愛媛県尋常中学校教師、熊本で第五高等学校教授などを務めた後、イギリスへ留学。
帰国後、東京帝国大学講師として英文学を講じながら、
「吾輩は猫である」を雑誌『ホトトギス』に発表。
これが評判になり「坊っちゃん」「倫敦塔」などを書く。
僕は十年計画で敵をたおすつもりだったが、
近年これほど短気なことはないと思って
百年計画にあらためました。
百年計画なら大丈夫、誰が出て来ても負けません。

■ 勝 海舟  ◇ http://blogs.yahoo.co.jp/e_dream21/34505532.html
江戸時代末期から明治時代初期の武士(幕臣)、政治家。
位階勲等は正二位勲一等伯爵。
山岡鉄舟、高橋泥舟と共に「幕末の三舟」と呼ばれる。
いまの世の中は、実に
この誠というものが欠けている。

政治とか経済と言って騒いでいる連中も、
真に国家を憂うるの誠から出たものは少ない。

多くは私の利益や、名誉を求めるためだ。

世間の者は「勝の老いぼれめが」と言って
嘲るかしらないが、実際、
俺は国家の前途を憂うるよ。

■ アーニー・J・ゼリンスキー  ◇ http://blogs.yahoo.co.jp/e_dream21/34504048.html
カナダの作家・コンサルタント・講演家。
仕事と自由時間をクリエイティブにする方法のコンサルタントとして知られる人物であり、
16カ国で出版され国際的なベストセラーとなった。
『働かないって、ワクワクしない?』の著者でもある。
できるだけたくさん新しいことをやってみましょう。

南カリフォルニア大学の研究者たちは、
定期的に新しいことに手を出す人は、
毎日同じことを繰り返す人よりも

幸福度が高く
「人生うまくいってる感」

が強いことを明らかにしています。

■ アルフレッド・アドラー  ◇  http://blogs.yahoo.co.jp/e_dream21/34501999.html
オーストリア出身の精神科医、心理学者、社会理論家。
ジークムント・フロイトおよびカール・グスタフ・ユングと
並んで現代のパーソナリティ理論や心理療法を確立した1人。
どうしたら
みんなを喜ばすことが出来るかを、
毎日考えるようにしなさい。そうすれば

憂鬱な気持など、吹き飛んでしまいます。

反対に
自分のことばかり考えていたら、
どんどん不幸になってしまいますよ。

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