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◆ 湖面に映るが如く ◆

書庫名 言 集

http://img.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/6c/a0/muhuninaninasi/folder/811243/img_811243_31285186_14?1264081500
 
先人の貴重な人生体験の中から養生され搾り出された名言。
有難く現役の虎の巻に生かすべきではなかろうか。
常々そう思っていたところ、すばらしいブログに出会った。

花の美しさと名言をひとつひとつ丁寧に取り上げどのページもすばらしい。
その量も頭の下がる膨大さだ。
良かったら、一度ご覧になっては、如何でしょうか

今日の花*花さん(←ここをクリック とにかく花が綺麗)  ・・・たくさんの名言をありがとうございます !! 
以下その名言だけ抜き出して紹介します。
   http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-6c-a0/muhuninaninasi/folder/811243/43/31285243/img_1?1422700163
↑アニメと静止画を表示したかっただけです。本文とは関係ありません。・・・でも笑顔は良いですね。(*^_^*)
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偉人の名言集【141】

http://www.geocities.jp/douki_37m1/blg/ph141104_03.gif
     (文中使用の画像↓はyahooの画像検索からのコピペです)

■ 斎藤 一人  ◇出典 http://blogs.yahoo.co.jp/e_dream21/35083832.html
実業家。「銀座まるかん」の創業者。
1970年頃から漢方茶の販売を開始。
その後、漢方をベースにした化粧品や健康食品の開発に着手し、
銀座日本漢方研究所(現・銀座まるかん)を創業する。
観音信仰と経営体験に基づいた独自の人生観を持ち、
それらを論じた人生訓・自己啓発に関する関連書籍などを出版している。
「私はプロですから、
 こんなことは当たり前です。」

と言えるようになると、
たいがいの事は怖くありません。

■ 桃井 和馬  ◇出典 http://blogs.yahoo.co.jp/e_dream21/35081222.html
写真家、ジャーナリスト。東京都出身。
テンプル大学日本校アメリカ研究学科卒業。
世界140カ国を取材し、紛争・地球環境などを題材に宗教的な文明論を展開している。
第32回太陽賞受賞。
一瞬一瞬を乗り切る。
それを積み重ねると、
いつの間にか、
最も苦しい時間を
乗り切ることができる。

見えない未来に
心が折れそうな時は、
一日だけを乗り切ることに
集中する。

■ 大塩 平八郎  ◇出典 http://blogs.yahoo.co.jp/e_dream21/35079277.html
江戸時代後期の儒学者、大坂町奉行組与力。
大塩平八郎の乱を起こした。
山中の賊に克(か)つことは易しく
心中の賊に克つことは難し

■ 鍵山 秀三郎  ◇出典 http://blogs.yahoo.co.jp/e_dream21/35077496.html
株式会社ローヤル(現 イエローハット)の創業者。
また、日本を美しくする会の相談役でもある。
掃除をテーマにした活動・講演を全国各地で行なっている。
成功のコツは2つ。
それは「コツコツ」。

■ 喜多川 泰  ◇出典 http://blogs.yahoo.co.jp/e_dream21/35075370.html
作家。愛媛県立西条高等学校、東京学芸大学卒業。
卒業後教育者を目指し大手の学習塾に就職、後に独立し1998年横浜に新たな学習塾を立ち上げた。
塾生の学習意欲を高めたり人生教訓を教える為、毎度授業の前の時間を使って話をしていたが、
ある塾生からそれらの話を本にまとめてみたらどうかといわれたのを切っ掛けとし、
本業の傍ら、自身のデビュー作となる2005年にファンタジー風の自己啓発書『賢者の書』を執筆、
ディスカヴァー・トゥエンティワンから出版した。
「親孝行」とは、
経済的援助をしたり、
旅行や物をプレゼントすること
だと思っていました。

でも、親となり、
親として一番幸せな瞬間は、
子どもが人の役に立ち、
人から喜ばれる存在になった時だと、
初めて知りました。

■ 久保田 美文  ◇出典 http://blogs.yahoo.co.jp/e_dream21/35073276.html
実業家。
元ダイセル化学工業社長。
「己の長を以って人の短をあらわすなかれ」

人は往々にして自分の長所を標準として
他人の短所を責めがちなんです。

■ 澤田 秀雄  ◇出典 http://blogs.yahoo.co.jp/e_dream21/35071632.html
実業家。
エイチ・エス証券株式会社代表取締役社長。
株式会社エイチ・アイ・エス取締役会長。
2003年3月よりモンゴルAG銀行(現・ハーン銀行)の取締役会長。
2010年4月よりハウステンボス社長。
大阪市立生野工業高等学校を卒業後、1973-1976年まで、旧西ドイツ・マインツ大学に留学。
留学中、アルバイトで稼いだ資金を元手に、ヨーロッパ、中東、アフリカ、南米、アジアなど
50か国以上を旅行する。
帰国後、1980年に上京し新宿西口に旅行会社「株式会社インターナショナルツアーズ」を登録・設立。
格安航空券販売を中心に、航空券とホテルを組み合わせた個人旅行、パッケージ旅行の販売を手がける。
常にチャレンジし続けることです。

新しいことにチャレンジして
会社を変化させないと、
時代に取り残されてしまいます。

■ 坂村 真民 ◇出典 http://blogs.yahoo.co.jp/e_dream21/35069604.html
仏教詩人。一遍の生き方に共感し、癒しの詩人と言われる。
愛媛県砥部町に「たんぽぽ堂」と称する居を構え、毎朝1時に起床し、
近くの重信川で未明の中祈りをささげるのが日課であった。
詩は解りやすい物が多く、小学生から財界人にまで愛された。
特に「念ずれば花ひらく」は多くの人に共感を呼び、
その詩碑は全国、さらに外国にまで建てられている。
森信三が早くからその才覚を見抜き後世まで残る逸材と評した。
深海の真珠のように
ひとりひそかに
自分をつくってゆこう

■ 三木 建  ◇出典 http://blogs.yahoo.co.jp/e_dream21/35068192.html
企業の「思想論」「文化論」「変革論」を専門に米国経営大学院で教鞭を取ってきた経営学者。
事業経営と組織経営の2つの領域から企業経営を成長に導くという組織経営論を提唱し、
理論を実践に移す専門機関としてGray Institute of Managementを設立。
多くの企業の経営会議顧問として経営の指導にあたっている。)
国家でも企業でも
勝つの負けるのと言ってる間は未熟である。

強い国を目指すなら、
魅力的な文化を発信し、
一貫した公平で崇高な意思を
堂々と主張することから
身に付けなくてはならないだろう。

強い企業を目指すなら、
まず無二の存在へ向けて
舵を切らなくてはならない。

真の強さとは
戦わずして勝つことである。

その「強さ」の上の次元に
人々の求める「良さ」がある。

■ 橋本 武  ◇出典 http://blogs.yahoo.co.jp/e_dream21/35066375.html
国語教師、国文学者、元灘校(灘中学校・高等学校)教頭。京都府宮津市出身。
中学の3年間をかけて中勘助の『銀の匙』を1冊読み上げる国語授業「『銀の匙』授業」で知られる。
実際の授業では単に作品を精読・熟読するだけではなく、
頻繁に横道に逸れ、国語の授業の枠に留まらない授業スタイルをとっていた。
灘校を退職後は地元の予備校や文化教室で講師として精力的に活動を続け、
2011年に灘校の特別授業「土曜講座」で再び教壇に立ち、27年ぶりとなる「銀の匙授業」を行った。
主な著書・関連書籍に
「伝説の灘校教師が教える一生役立つ学ぶ力」
「日本人に遺したい国語 101歳最後の授業」
などがある。
「これを言ってもいいか。
 これをしてもいいか。
 それによって相手はどう感じるだろうか。
 そういうことを
 一瞬でもいいから考えなさい」。

これは私が生徒たちに
必ず言ってきた言葉です。
この気持を忘れてしまうと、
人間はとても傲慢な生き物に
なり下がってしまう。

■ 佐々木 正  ◇出典 http://blogs.yahoo.co.jp/e_dream21/35064472.html
電子工学の技術者。シャープ元副社長。工学博士。「ロケット・ササキ」の異名を持つ。
大卒後、当時の川西機械製作所(現富士通)へ入社。
昭和30年代に早川電機工業(現:シャープ)の要請を受け転進。
シャープ株式会社専務、副社長を経て現在同社顧問。
ポケットに入る超小型電卓の開発により液晶業界では世界的に最も著名な研究者。
ソフトバンク(株)相談役、(株)国際基盤材研究所代表取締役、郵政省電波技術審議会委員、
新エネルギー財団・太陽光エネルギー委員会委員長、(財)国際メディア研究財団理事長、
(財)未踏科学技術協会理事、島根/テキサス産業技術共創委員会島根側共創委員会委員長ほか
数多くの要職に就く。
現在は氏の私塾の「正道塾」を通じ、後進の育成にあたっている。
孔子は73歳で死んでいますから、
『論語』には「七十にして矩(のり)をこえず」の次はありません。

97歳の私が言うならば、「八十にして恩を知る」でしょうか。
人間は自分一人でなく、いろんな人のおかげで生きとるんです。

そして、「九十にして今度は恩に報いる」。
そうすれば百で人生を終えるとき、幸福でいられるはずです。

■ 森 信三  ◇出典 http://blogs.yahoo.co.jp/e_dream21/35062725.html
哲学者・教育者。
徳永康起遺文集にも記載されている通り、上記の文章を精力的に広めることを推奨していた。
天王寺師範学校(後の大阪教育大学)の専攻科講師を経て、1939年に旧満州の建国大学に赴任。
敗戦後の1946年に帰国し、翌年に個人雑誌「開顕」を創刊。
その後、神戸大学教育学部教授や神戸海星女子学院大学教授などを歴任。
1975年に「実践人の家」を建設。
全国各地で講演を行ない、日本民族再生に大きく働きかけた。
とにかく人間は徹底しなければ駄目です。
もし徹底することができなければ、
普通の人間です。

■ 松田 伊三雄  ◇出典 http://blogs.yahoo.co.jp/e_dream21/35059817.html
実業家。元三越社長。1919年(大正8年)慶應義塾大学卒業後、三越本店に入社。
入社後の苦労は相当なものだった。
和服に前掛け姿。初めは通信販売の仕事に携わったが、
残業に次ぐ残業で連日帰宅は夜11時をまわっていた。
「古い番頭からは、“学校出だ”としごかれ、慶大から入社した13人が、
半年も経たぬ内に3人になってしまった」。
そして1924年(大正13年)の関東大震災。
降って沸いたようなこの大惨事で東京の本店は完全にまひした。
「三越はもうダメだ」と、大阪の百貨店への就職を頼み込んだが、逆にたしなめられる。
一念発起してがむしゃらに働き、1930年(昭和5年)5月、主任から京城支店次長へスピード出世する。
そして足かけ9年間で、京城支店を売上高第2位の大阪支店に匹敵する優秀店に育て上げた。
そのキャリアが買われ、1938年(昭和13年)大阪支店次長に就任。
同支店次長時に、部下が客を万引と思い違いをし店長名の謝罪文を要求された。
客は理髪店主で、身の潔白を証明するため、店の入り口にその謝罪文を貼っておくという。
松田は部下の責任を一身に背負い、20日間1日も休まず理髪店に通い、散髪やひげそりをしてもらった。その誠意に店主は心動かされ『謝罪文の代わりに、三越のポスターを持って来なさい。
店に貼ってあげよう』といってくれた。松田は誠意を尽くすことで危機を見事に乗り切った。
誠意をもって接すれば、
人の心は通じ合い、
人の心をつかむこともできる。

■ 坂村 真民  ◇出典 http://blogs.yahoo.co.jp/e_dream21/35057791.html
仏教詩人。一遍の生き方に共感し、癒しの詩人と言われる。
愛媛県砥部町に「たんぽぽ堂」と称する居を構え、毎朝1時に起床し、
近くの重信川で未明の中祈りをささげるのが日課であった。
詩は解りやすい物が多く、小学生から財界人にまで愛された。
特に「念ずれば花ひらく」は多くの人に共感を呼び、
その詩碑は全国、さらに外国にまで建てられている。
森信三が早くからその才覚を見抜き後世まで残る逸材と評した。
順調に行く者が
必ずしも幸せではないのだ

悲しむな

タンポポを見よ
踏まれても平気で
花を咲かせているではないか

- 雑 感 -
私の住む地域では、今日がお花見真っ盛りです。
桜も今日、明日が見納め、今年も桜を見ながら一杯という時間が有りませんでした。

春に咲くタンポポ、大好きなんです。
可愛い黄色の花を咲かせ、綿帽子なんかもたまりません。
子供の頃には感じませんでしたが、生命力の強さに惹かれてます。

どんな境遇に生まれ育つかは選択できなくても、
とにかく自分なりの花を咲かせることの大切さを
タンポポの姿が教えてくれているようです。

日々修行です。(-_-;)

■ 八木 重吉  ◇出典 : http://blogs.yahoo.co.jp/e_dream21/35051276.html
「神を呼ぼう」より
詩人。東京府南多摩郡堺村(現在の東京都町田市相原町)に生まれる。
神奈川県師範学校(現・横浜国立大学)を経て、東京高等師範学校の英語科を1921年に卒業。
兵庫県の御影師範学校(現・神戸大学)、
次いで1925年から千葉県の柏東葛中学校(現・千葉県立東葛飾高等学校)で英語教員を務めた。
神奈川県師範学校在学時より教会に通いだすようになり、
1919年には駒込基督会において富永徳磨牧師から洗礼を受けた。
人が私を褒めてくれる
それが何だろう
泉のように湧いてくるたのしみのほうがよい

神ひとつに生き
そしてどこに怒りがあるか

許しうるものを許す
それだけならどこに神の力が要るか
人間に許しがたきを許す
そこから先は神のためだと知らぬか

ゆるされ難い私がゆるされている
私はたれをも無条件でゆるさねばならぬ

■ 星野 富弘  ◇出典 http://blogs.yahoo.co.jp/e_dream21/35041299.html
詩人・画家。
1970年(昭和45年)に群馬大学を卒業し。
中学校の体育教師になるが、クラブ活動の指導中、頸髄を損傷、手足の自由を失う。
1991年(平成3年)、群馬県勢多郡東村(当時)の草木湖のほとりに、
星野富弘の作品を展示する村立富弘美術館が開館した。
「人生が二度あれば」 とは、
 今の人生を諦めてしまうから
 出てくる言葉です。

 今を精一杯生きられないで、
 どうして次の人生を
 しっかり生きられるでしょう。

■ マザー・テレサ  ◇出典 http://blogs.yahoo.co.jp/e_dream21/35039504.html
カトリック教会の修道女にして修道会「神の愛の宣教者会」の創立者である。
「マザー」は指導的な修道女への敬称であり、「テレサ」は修道名である。
カトリック教会の福者。
コルカタ(カルカッタ)で始まったテレサの貧しい人々のための活動は、
後進の修道女たちによって全世界に広められている。
生前からその活動は高く評価され、
1973年のテンプルトン賞、
1979年のノーベル平和賞、
1980年のバーラ・ラトナ賞(インドで国民に与えられる最高の賞)、
1983年にエリザベス2世から優秀修道会賞など多くの賞を受けた。
1996年にはアメリカ名誉市民に選ばれている(アメリカ名誉市民はわずか7人しかいない)。
2003年10月19日、当時の教皇ヨハネ・パウロ2世によって列福された。
導いてくれる人を
待っていてはいけません。
あなたが人々を導いていくのです。

■ 相田 みつを  ◇出典 http://blogs.yahoo.co.jp/e_dream21/35037339.html
詩人・書家。平易な詩を独特の書体で書いた作品で知られる。
書の詩人、いのちの詩人とも称される。
相田は書の最高峰のひとつとされる毎日書道展に1954年から7年連続入選するなど、
技巧派の書家として出発した。
1947年の鄭道昭の臨書・「鄭文公碑臨書」で古典書道における実力を示す一方、
1950年に栃木県芸術祭書道中央展に出品した「宿命」では、
伝統的な書道界に対する複雑な思いを詩文書の形で吐露。
専門家でなければ理解しにくい書のあり方に疑問を抱き、
「書」と「詩」の高次元での融合を目指すようになり、
三十歳のころ、独特の書体で、短く平易な自らの言葉を書く作風を確立した。
人生において
最も大切な時
それはいつでも
いまです

■ 千宗室(15代)  ◇出典 http://blogs.yahoo.co.jp/e_dream21/35035782.html
茶道裏千家前家元15代汎叟宗室。
父は通称「淡々斎宗室」として知られる14代碩叟宗室。
学徒動員により海軍に入隊し、予備学生飛行科に採用され士官としての訓練を受け、
自身の意思で特別攻撃隊(特攻隊)に志願。
多くの仲間が特攻隊として出撃し、自身も突撃命令を受けようとしたときに終戦を迎え除隊。
終戦後に同志社大学法経学部経済学科に復学した後、
大徳寺の管長後藤瑞巌老大師のもとで修行生活を送る。
1964年に千利休居士15代裏千家今日庵家元宗室を襲名。
藍綬褒章、紫綬褒章、文化功労者、勲二等旭日重光章、文化勲章などを受賞。
作務で草むしりをしていた私に
老師はこう問いかけたのです。

   「あんた、どんな気持ちで
    草を抜いてるんや」 と。

「あんたが何気なく抜いてる草も、
 生きてるんやで。

 他の草を生かすために、
 その草の命を奪っているわけや。

 生かされているということが、
 どんなに尊いことなのか、
 そのことに心を馳(は)せなさい」。

■ 親鸞聖人◇出典 http://blogs.yahoo.co.jp/e_dream21/35033654.html
鎌倉時代前半から中期にかけての日本の僧。
浄土真宗の宗祖とされる。
明日ありと
思ふ心のあだ桜
夜半に嵐の吹かぬものかは

- 雑 感 -
私は桜の季節になると、祖父と一緒に京都の桜を見に行っていました。
桜を見るたびにいろんなことを考えさせられます。
凛とした強さ、桜に逢いたくてたまらなくなります。

今日の言葉は、この時期よく京都のお寺の掲示板に貼ってあり、
毎年思い出してしまいます。

親鸞聖人が9歳の時、出家しようと慈円和尚の元へ行ったとき、
既に夜も更けていたので慈円和尚が
「今夜はとりあえず休め」と言ったところ、
この歌を詠ったとされています。

言葉の意味は、今は盛大に咲き誇っていても、
夜半に嵐が吹けば桜は一瞬にして散ってしまう。
世は無常であって、やるべきことは必ずできる時にやって、
明日桜を見に行こうというが如き気持ちではいけないということ。

人間のことを桜に例えて戒めた歌です。
私にはとても身に沁みます。

日々修行です。(-_-;)
<  他の名言を見る  >

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偉人の名言集【140】

http://www.geocities.jp/douki_37m1/blg/ph141104_03.gif
     (文中使用の画像↓はyahooの画像検索からのコピペです)

■ 谷川 俊太郎  ◇出典 http://blogs.yahoo.co.jp/e_dream21/35031690.html
詩人、翻訳家、絵本作家、脚本家。
デビュー作品は詩集「二十億光年の孤独」。
人と出会ったおかげで、
自分とも出会えた。

■ 夏目 漱石  ◇出典 http://blogs.yahoo.co.jp/e_dream21/35029716.html
小説家、評論家、英文学者。
大学時代に正岡子規と出会い、俳句を学ぶ。
帝国大学(後の東京帝国大学、現在の東京大学)英文科卒業後、松山で愛媛県尋常中学校教師、
熊本で第五高等学校教授などを務めた後、イギリスへ留学。
帰国後、東京帝国大学講師として英文学を講じながら、
「吾輩は猫である」を雑誌『ホトトギス』に発表。
これが評判になり「坊っちゃん」「倫敦塔」などを書く。
君、弱いことをいってはいけない。

僕も弱い男だが、
弱いなりに死ぬまでやるのである。

やりたくなくったって、やらなければならん。

君もその通りである。
死ぬのもよい。
しかし死ぬより美しい女の同情でも得て
死ぬ気がなくなる方がよかろう。

人間として僕は決して君の師表たるような資格はない。
しかし世の中に、
こんな偉い人間になってみたいと崇拝するような人間は
一人もない。

だから君も君で
一人前で通りていけば、
それで一人前なのだから
構わんではないか。

■ 坂本 健一  ◇出典 http://blogs.yahoo.co.jp/e_dream21/35028407.html
大阪市北区黒崎町の天五中崎通商店街にある古書店「青空書房」の店主。
坂本は「大阪一売れない本屋」を自称し、
「たばこを吸いながら本はさわらないで」
「本は生きています。オビをきったら怒ります」といった注意書きや、
週刊誌のチラシなどを手描きで作り、店内に貼り出す独特の店づくりをした。
定休日ごとにシャッターに張っていた絵や言葉が添えられた手書きのポスターが、
メディアにも取り上げられるようになり、
あえて定休日に店舗を訪れるファンがいるなど独特の店づくりを展開。
この手描きポスターは、後に画廊や書店で展示なども行われたほか、
ポスター集は書籍としても出版されている。
所詮、世の中は
嘘で固められているけど、
自分に対して
嘘をついたらおしまい。

それから、
人生辛いことも多いけど、
上司が悪い、世の中が悪い
というのは通用せん。

全 部 自 己 責 任 。

どんな環境になっても、
病気で動けなくなっても、
それが自分の運命や。

■ 鬼塚 喜八郎 ◇出典 http://blogs.yahoo.co.jp/e_dream21/35026733.html
アシックス創業者。
1949年(昭和24年)9月に資本金30万円、社員4人で「鬼塚株式会社」を設立し社長に就任。
兵庫県バスケットボール協会理事長で兵庫県立神戸高等学校バスケットボール部監督の
松本幸雄に相談し、バスケットシューズの開発をすることに決める。
「選手の足の動きをよく見ろ」との助言により暇があるとコート通いをし、
選手から希望を聞き改良品を作った。
1951年(昭和26年)夏、キュウリの酢の物にあったタコの足に目がとまり、
タコの足の吸盤にヒントを得た全体を吸着盤のようにした凹型の底を考案し、
鬼塚式バスケットシューズとして販売。「鬼塚なんて知らない。」と言われるなか、
シューズを担いで全国の競技大会の会場を営業して歩き、
神戸高校バスケットボール部の優勝などもあり次第に売れ行きを伸ばした。
僕自身は、「オニツカ式キリモミ商法」って言ってるんだけど、
市場の中のある一点に集中して、掘り下げていく。

ただ一つだけでいい。
その一点に集中して、その消費者に合う商品を開発していくんです。

あれもこれもでは、大企業には勝てない。
バスケットシューズだったら、バスケットシューズだけ。
そこに一点集中する。
これがベンチャーの成功の決め手です。

■ 安岡 正篤 ◇出典 http://blogs.yahoo.co.jp/e_dream21/35024734.html
陽明学者・思想家。
戦後にあっては、自民党政治の中で東洋宰相学、帝王学に立脚し、
「実践的人物学」、「活きた人間学」を元に多くの政治家や財界人の精神的指導者や
御意見番の位置にあった。
安岡を信奉し、師と仰いだとして知られる政治家には
吉田茂、池田勇人、佐藤栄作、福田赳夫、大平正芳など多くの首相が挙げられる。
他人が見ても心地よい
表情や態度を心がけて、
感情の乱れを表に出してはいけない。

■ 細田 高広  ◇出典 http://blogs.yahoo.co.jp/e_dream21/35023022.html
国内外で多数の広告賞などを受賞しているコピーライター。
一橋大学卒業後、博報堂に入社。
広告制作業務だけでなく、企業のビジョン開発や経営者のスピーチライティング、
企業マニフェスト、ベンチャー企業支援などを幅広い企業戦略を手掛け、
クリエイター・オブ・ザ・イヤー・メダリスト、カンヌライオンズ、CLIO賞、
ACC賞グランプリ、東京コピーライターズクラブ(TCC)新人賞、
ロンドン国際広告賞など多数の賞を受賞。
ディズニーランドではスタッフのことを
アルバイトともホストとも呼ばず、「キャスト」と呼びます。

この言葉には、訪れるゲストをもてなすだけでなく、
楽しませて魅了する「役者」であれという
メッセージが込められています。

「アルバイトとして仕事場へ労働しに行く」人と、
「キャストとしてステージで演技しに行く」と考える人とでは、
発揮させるパフォーマンスに大きな差が生まれます。

言葉が違うだけで何を期待されているかが明らかになり、
働く人の意識も一変するのです。

■ 串田 孫一  ◇出典 http://blogs.yahoo.co.jp/e_dream21/35021223.html
「不機嫌な太陽」より
詩人、哲学者、随筆家。著作は山岳文学、画集、小説、人生論、哲学書、翻訳など多岐にわたる。
詩集『羊飼の時計』(1953)、『山のパンセ』などが主著。
どうかしましたか。
誰かにそう言われる時は、
必ずどうかしている。

■ 論語  ◇出典 http://blogs.yahoo.co.jp/e_dream21/35018474.html
孔子と彼の高弟の言行を孔子の死後、弟子達が記録した書物である。
『孟子』『大学』『中庸』と併せて儒教における「四書」の1つに数えられる。
古代日本には、応神天皇の代に百済の王仁と言う人物によって伝えられたとされ、
律令時代の官吏必読の書となった。
今汝(なんじ)は画れり (かぎれり)。

- 雑 感 -
私は困難な事柄に直面したとき、心の中で「もはやこれまで・・」と、
「自分の力不足」と考えてしまうことがあります。

今日の言葉は、「論語」の一節で、弟子への言葉です。

あるとき、弟子の一人が「先生の説かれる道を嬉しく思わないわけではないのですが、
私は力不足でとてもついてゆけません」と訴えてきた。

孔子は
「本当に力の足りない者なら、今までついてこれず、途中で力尽きてしまっているはずだ。
お前は自分で自分の能力に見限りをつけ、自分は駄目だと思い込んでいるに過ぎないのだ」
と激励した話だそうです。

打ちひしがれながらも前に進まなければならない現実。
ここまでやったんだからという私の甘さに喝を入れて頂きました。

日々修行です。(-_-;)

■ 沢庵 宗彭(たくあん そうほう) 
◇出典 http://blogs.yahoo.co.jp/e_dream21/35015912.html
安土桃山時代から江戸時代前期にかけての臨済宗の僧。
大徳寺住持。但馬国出石(現兵庫県豊岡市)の生まれ。
紫衣事件で出羽国に流罪となり、その後赦されて江戸に萬松山東海寺を開いた。
書画・詩文に通じ、茶の湯(茶道)にも親しみ、また多くの墨跡を残している。
一般的に沢庵漬けの考案者と言われているが、これについては諸説ある。
葉一つに心をとられ候(そうら)わば、
残りの葉は見えず。

一つに心を止めねば、
百千の葉みな見え申し候(そうろう)。

是(これ)を得心したる人は、
即ち千手千眼の観音にて候。


- 雑 感 -
私は興味のある事に、つい夢中になってしまう癖が有り、それで、何度も失敗してしまいます。
仕事に例えるなら、一つのプロジェクトに対して、
短期計画と長期計画を立てて挑むべき所を目先しか見なかったり、と。

今日の言葉は、一つのことにとらわれてしまっては、周りが見えなくなってしまうということ。
大きな目と心で全体を把握して、あらゆる事に的確に対応できるようになりたいです。

日々修行です。(-_-;)

■ 小林 一三  ◇出典 http://blogs.yahoo.co.jp/e_dream21/35014038.html
実業家、政治家。
阪急電鉄や宝塚歌劇団をはじめとする阪急東宝グループ(現・阪急阪神東宝グループ)の創業者。
鉄道を起点とした都市開発、流通事業を一体的に進め相乗効果を上げる私鉄経営モデルの原型を
独自に作り上げた。
山梨県出身。第2次近衛内閣の商工大臣、1941年(昭和16年)から貴族院勅選議員、
幣原内閣で国務大臣、初代戦災復興院総裁を歴任したが、戦後公職追放となった。
号は逸翁、別号に靄渓学人、靄渓山人。
旧邸雅俗山荘は逸翁美術館。
世の中は変わる。
非常な勢いで変わってゆくのであるから、
どう変わるかを早く見通して、
それに適応して行った人間が勝ちである。

■ 佐藤 勝人  ◇出典 http://blogs.yahoo.co.jp/e_dream21/35012167.html
経営コンサルタント。
日本販売促進研究所代表であり、カメラ販売チェーン店サトーカメラの代表取締役専務。
2013年10月1日から作新学院大学の客員教授。
23歳でカメラ専門店「サトーカメラ」を開き、大企業の大型量販店を相手に、
北関東で売上No1を記録し続ける実業家。
「一点集中」
で、
中小店は
必ず
勝てる!

■ 小林 正観  ◇出典 http://blogs.yahoo.co.jp/e_dream21/35010192.html
著述作家。
学生時代から人間の潜在能力やESP現象、超常現象に興味を持ち、心学などの研究を行っていた。
講演は、年に約300回の依頼があり、全国を回る生活を続けていた。
著書に『「そ・わ・か」の法則』『喜ばれる』など、ベストセラー作品が多数。
人間の生きる目的とは、
「頼まれごと」
の人生を送ること。

すなわち
「人に喜ばれる存在」
になること。

■ 鷲田 清一  ◇出典 http://blogs.yahoo.co.jp/e_dream21/35008541.html
哲学者(臨床哲学・倫理学)。
大谷大学教授、大阪大学名誉教授。
関西大学文学部教授、大阪大学総長などを歴任した。
関西大学にて教鞭を執り、教授などを務めた。
その後、大阪大学に移り、大学院文学研究科の研究科長や文学部の学部長などを歴任した。
さらに、大阪大学の副学長、および、その設置者である「国立大学法人大阪大学」の理事を経て、
大阪大学の総長に就任した。
2011年、大阪大学総長を退任し、名誉教授となる。
同年9月に大谷大学に転じ、文学部哲学科の教授を務めている。
本当の絆とは何なのか。
それは、
生きていくために、
食べていくために
力を合わせて働くこと。

そこで初めて
人間同士の絆は生まれるのです。

物を買うことや遊ぶことからは、
真の絆は生まれない。

生きるためにお互いが
助け合うという心にしか、
絆は宿らないのです。

■ 酒井 雄哉  ◇出典 : http://blogs.yahoo.co.jp/e_dream21/35006650.html
天台宗の僧侶。
比叡山延暦寺の千日回峰行を2度満行した行者として知られる。
天台宗北嶺大行満大阿闍梨、大僧正、比叡山一山 飯室不動堂長寿院住職を務めた。
大阪市玉造生まれ。
旧制中学卒業後、昭和6年(1931年)慶應義塾商業学校(慶應義塾大学の夜間商業学校)に入学。
落第生で卒業が危ぶまれたため、慶應義塾の教授に薦められ、
昭和19年(1944年)、熊本県人吉の予科練に入隊した。
そこで半年間の訓練を受けた後、宮崎の宮崎海軍航空隊(後の松島海軍航空隊、陸上攻撃機)所属を
経て、鹿児島県の鹿屋飛行場に移る。
特別攻撃隊員として終戦を迎えた。
戦後はラーメン屋を開業するが火事で焼けてしまい、菓子屋、
証券会社代理店など職を転々とするがいずれもうまくいかない。
また、結婚2ヶ月目に妻が自殺するという事件もあった。
40歳のとき得度し比叡山延暦寺に入る。
千日回峰に挑む前には、明治時代に死者が出て以来中断していた「常行三昧」という厳しい行を達成。
今日の自分は今日でおしまい。

明日の自分は
今日の自分とは違うんだ。

「一日が一生だ」 と僕は言うんだけれど、

どんなときも
一日一日を真剣に生きていくしかないんだよ。
<  他の名言を見る  >

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偉人の名言集【139】

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     (文中使用の画像↓はyahooの画像検索からのコピペです)

■ 栗山 英樹  ◇出典 http://blogs.yahoo.co.jp/e_dream21/35003831.html
元プロ野球選手(外野手)、プロ野球監督、野球解説者・野球評論家、
スポーツジャーナリスト・スポーツライター、大学教授。
2012年から北海道日本ハムファイターズの監督を務める。
日本のプロ野球の監督で、国立大学出身・大学教授の経歴を持つ人物は史上初めてである。
人生でも野球でも
運・不運がついてまわります。

その運を味方にするには、

やれることをやり尽くして
はじめて可能になる。

■ 瀬戸内 寂聴  ◇出典 http://blogs.yahoo.co.jp/e_dream21/35002796.html
小説家、天台宗の尼僧。
僧位は僧正。1997年文化功労者、2006年文化勲章。
学歴は徳島県立高等女学校(現:徳島県立城東高等学校)、東京女子大学国語専攻部卒業。
学位は文学士(東京女子大学)。
徳島県徳島市名誉市民の称号を取得。
京都市名誉市民。
元天台寺住職現名誉住職。
比叡山延暦寺禅光坊住職。
元敦賀短期大学学長。
代表作には『夏の終り』や『花に問え』『場所』など多数。
人生にはいろいろなことがあります。

しかし、
悲しいことは忘れ、
辛いことはじっと耐え忍んでいきましょう。

それがこの四苦八苦の世を生きる
唯一の方法ではないかと思います。

■ 石川 啄木  ◇出典 http://blogs.yahoo.co.jp/e_dream21/35000942.html
歌人、詩人。
かの時に 言ひそびれたる 大切の
言葉は今も 胸にのこれど


- 雑 感 -
私は石川啄木の歌が大好きです。
今日の言葉は、石川啄木の歌集「一握(いちあく)の砂」にある22首の歌の内の1首で、
全て、たった一人の女性、橘(たちばな)智恵子を詠んだものです。
二人は3ヶ月ほど、北海道・函館の弥生尋常小学校で同僚教師でした。
智恵子の印象を「真直(まっすぐ)に立てる鹿ノ子百合(かのこゆり)」と記す啄木は、
学校を辞めて札幌に移る前日に智恵子の下宿を訪ねて、詩集「あこがれ」を贈りました。
翌年に上京後の日記には「なぜかたまらないほど恋しくなってきた。
「人の妻にならぬ前に、たった一度でいいから会いたい!」。
そう思った」としたためてありました。
啄木が出版したばかりの歌集「一握の砂」を郵送すると、
智恵子から届いた礼状は北村姓でした。
「お嫁には来ましたけれど心はもとのまんまの智恵子ですから」とあり、
嫁ぎ先の牧場で作られたバターが送られてきた。
啄木が恋いこがれた橘智恵子とは、どんな女性だったのか。
啄木の「言ひそびれたる大切の言葉」とは何だったのだろう。
もし言ってしまっていたら、その言葉は長く彼の胸に大切に残ることはなかったかもしれない。
こんな事を思いながら、今日はホワイトデーのお届けに追われていました。
恋とは儚く切ないものなのでしょうか?

日々修行です。(-_-;)

■ 宮本 武蔵  ◇出典 http://blogs.yahoo.co.jp/e_dream21/34998860.html
江戸時代初期の剣術家、兵法家。
文武に優れ、二刀を用いる二天一流兵法の開祖である一方で、
重要文化財指定の水墨画や工芸品を残している。
観見二つのこと、

観の目つよく、
見の目よわく、

遠き所を近く見、
近き所を遠く見ること、

それが兵法の要である。


- 雑 感 -
私の祖父と父は、NHKラジオで吉川英治原作「宮本武蔵」を聞く事が大好きで、
父は今でも当時の事を懐かしみながら話をしてくれます。
二天一流の開祖でもある剣豪・宮本武蔵の剣士として自己を確立するに至るまでの成長を描き、
同時に、彼を取り巻く武芸者たちの人生も描かれています。
剣禅一如を目指す求道者・宮本武蔵を描いたこの作品は、
太平洋戦争下の人心に呼応し、新聞小説史上かつてないほどの人気を得た
大衆小説の代表作だったそうです。
「観見二眼」とは、宮本武蔵が60歳で完成させたとされる著作、
五輪書(ごりんのしょ)に登場する言葉です。
地・水・火・風・空 の五巻からなる五輪書の水の巻に今日の言葉が記載されています。
心で見るのが「観の目」、目で見るのが「見の目」だと云われ、

「目に見えるものだけに頼らず、動きや変化に動じない心の目で本質を捕らえろ」

という意味なのだそうです。
私は何をするにも部分的な事を真っ先に見てしまいがちですが、
大局(全体像)から小局(部分)を見る事の重要さが
ビジネス社会での兵法の要なのだと言っているように感じます。

日々修行です。(-_-;)


■ 安井 息軒  ◇出典 http://blogs.yahoo.co.jp/e_dream21/34997145.html
江戸時代の儒学者。
名は衡、字は仲平、息軒は号。
日向国宮崎郡清武郷(現・宮崎県宮崎市)出身。
その業績は江戸期儒学の集大成と評価され、近代漢学の礎を築いた。
門下からは谷干城や陸奥宗光など延べ2000名に上る逸材が輩出された。
妻の佐代は、森鴎外の歴史小説『安井夫人』のモデル。
百里(ひゃくり)を行く者は九十を半(なか)ばとす


- 雑 感 -
私の祖父は将棋が大好きで、よく相手をさせられていました。
勝敗はいつも私の負け、たったの一度も勝った事が有りません。
祖父は10枚落ちといって、「玉」と「歩」だけでも私は全く歯が立ちませんでした。
祖父は将棋を指しながら、いつも笑って「詰めが甘い」と言うのです。

今日の言葉の意味は、
「物事は終わりのわずかの部分に困難が多いから、 九分通りを半分と心得、
最後まで緊張と努力を続けなければいけない。」
という意味です。

「半九」とは、中国の古典である「戦国策」の中に出てくる今日の言葉を縮めたものとなります。
人生、仕事と、時々振り返ってみる時、最後の詰めが甘くないかと・・・。

日々修行です。(-_-;)

■ 犬丸 徹三  ◇出典 http://blogs.yahoo.co.jp/e_dream21/34995649.html
実業家。元帝国ホテル社長。
私のところでは特別なサービスはしない。
つまり普通のサービスなのだ。
しかしそれはあくまでも

心のこもったものでなくてはならない。

それから、

自分がしてもらいたいと思うことを
客に対して してあげるのが
ほんとうの親切だと、

いつも従業員に教えている。

■ 一休宗純  ◇出典 http://blogs.yahoo.co.jp/e_dream21/34993523.html
室町時代の臨済宗大徳寺派の僧、詩人。
京都の大徳寺の高僧、華叟宗曇(かそうそうどん)の弟子となる。
「洞山三頓の棒」という公案に対し、
「有ろじより 無ろじへ帰る 一休み 雨ふらば降れ 風ふかば吹け」
と答えたことから華叟より一休の道号を授かる。
なお「有ろじ(有漏路)」とは迷い(煩悩)の世界、
「無ろじ(無漏路)」とは悟り(仏)の世界を指す。
此の世にて慈悲も悪事もせぬ人は
さぞや閻魔(えんま)も困り給(たま)わん。


- 雑 感 -
私は知恵の輪が大好きで、たまに難易度の激高なもので気分転換しています。
昨日、キャストスパイラルという知恵の輪を買ってきて、
何気にいじっていたら偶然外れてしまいました。
一度バラバラにできたとしても、ソレを元通りに組むのもまた地獄。
全く歯が立ちません。
今日の言葉の意味は、必死に生きてみる事が大事と一休さんはおっしゃっているのだと思います。
※「悪事」とは残酷卑劣な犯罪行為ではありません。
私は知恵の輪で気分転換しているふりして、現実逃避しているのだと父に笑われてしまいました。
必死に生きるとは難しいです。日々修行です。(-_-;)

■ 国木田 独歩日記「欺かざるの記」より −
   ◇出典 http://blogs.yahoo.co.jp/e_dream21/34989640.html
小説家、詩人、ジャーナリスト、編集者。田山花袋、柳田國男らと知り合い「独歩吟」を発表。
詩、小説を書いたが、次第に小説に専心。
「武蔵野」「牛肉と馬鈴薯」などの浪漫的な作品の後、
「春の鳥」「竹の木戸」などで自然主義文学の先駆とされる。
また現在も続いている雑誌『婦人画報』の創刊者であり、
編集者としての手腕も評価されている。
夏目漱石は、その短編『巡査』を絶賛した他、
芥川龍之介も国木田独歩の作品を高く評価していた。
忍耐と
勤勉と
希望と
満足と

境遇に勝つものなり


- 雑 感 -
私は逆境に立ち向かうのが人生だと悟るくらい、
日々逆境の中に何故か身を置いています。
今日の言葉の意味は、
「逆境に立ち向かうには、困難に耐え、向上するための努力と未来への望みを抱き、
生きていることへの感謝の気持ちが大切だ。どんな境遇も乗り越えられるはず。」
です。
私は、うまくいかないことがあった時、
不平や不満を口にして自分の外に責任を求めることが多々あります。
しかし、困難に直面したといって、嘆いてみても仕方がないし、
誰も助けてはくれません。
人生ずっと順風満帆と言うことはありえないわけで、
誰も向かい風の時はあります。
その時にどうするか?そこが大事な点なのですよね。
人間、逆境の時に真価が問われる訳だし・・。
確かに、「忍耐と勤勉と希望と満足」が大事だと思います。

日々修行です。(-_-;)

■ 良寛  ◇出典 http://blogs.yahoo.co.jp/e_dream21/34987909.html
江戸時代後期の曹洞宗の僧侶、歌人、漢詩人、書家。
今日生家跡には「良寛堂」が建っている。
その中には、良寛が生涯肌身離さず身につけていた念持仏「枕地蔵」が収められている。
良寛は昼寝の際にこの石地蔵を枕にした、という。
石塔に刻まれた句には
『いにしえへにかはらぬものはありそみとむかいにみゆるさどのしまなり』
裏手には良寛の坐像がありその視線の先には日本海が広がっている。
沖に見える島影は、良寛の母のふるさと佐渡島である。
古に変わらぬもの、それは打ち寄せる波と佐渡の島影。
良寛はそこに母の姿を見たのであろう。
災難に逢う時節には
災難に逢うがよく候 

死ぬる時節には
死ぬがよく候

是はこれ
災難をのがるゝ
妙法にて候


- 雑 感 -
私は阪神大震災で被災し、
東日本大震災の後に
今日の言葉と出会いました。

越後の良寛さんは与板の山田杜皐(やまだとこう)という俳人と親友でした。
良寛さんの住む五合庵から与板まで行くには時間がかかりましたが、
与板へ行けば杜皐さんの家に泊まり、話に花を咲かせるのが常でした。
杜皐さんは造り酒屋でもあったので、
良寛さんは大好きな酒を心ゆくまで飲ませてもらいました。
良寛さんが71才の時、三条市を中心に大地震(越後地震)が起こりました。
良寛さんの住んでいる地域は被害が少なく、
与板の方は被害が甚大であったそうで、今日の言葉は、
良寛さんが杜皐さんへ見舞の手紙を送った一文です。

その意味は、
「災難にあったら慌てず騒がず災難を受け入れなさい。
死ぬ時が来たら静かに死を受け入れなさい、
これが災難にあわない秘訣です」
ということです。

聞きようによっては随分と冷たい言葉です。
「大変でしょうが、頑張ってください」
とは誰でも言えます。
「頑張って」の一言も書いていませんが、
受けとった杜皐さんはきっと、
「そうだ、この災難の中で生き抜いていくしか道はないのだ」
と思われたに違いありません。 
良寛さんは、腹を決めて現実を見捉えることが、
迷いから抜け出る最良の方法だと言いたかったのです。

私は何をするにも、直ぐに肩の力が入ってしまいます。
そんな私の肩の力を抜いてくれるのが良寛さんの、この言葉です。
自分にできる事をできる限りすればいいという事なのですよね。

日々修行です。(-_-;)


■ 無財の七施とは  ◇出典 http://blogs.yahoo.co.jp/e_dream21/34986342.html
仏教には、財施(ざいせ)、法施(ほうせ)、無畏施(むいせ)という
3つの 布施の行があるといわれています。
では、施すべき財、説くべき教え、恐れを取り除く力がなければ布施の行ができないかというと、
そうではないと言われています。
地位や財産がなくても、誰もがいつでも容易にできる布施の行、
それが「無財の七施」です。
1 眼施(がんせ)
慈(いつく)しみの眼(まなこ)、優しい目つきですべてに接することである。

2 和顔施(わげんせ)
いつも和やかに、おだやかな顔つきをもって人に対することである。

3 愛語施(あいごせ)
ものやさしい言葉を使うことである。しかし叱るときは厳しく、
愛情こもった厳しさが必要である。
思いやりのこもった態度と言葉を使うことを言うのである。

4 身施(しんせ)
自分の体で奉仕すること。
模範的な行動を、身をもって実践することである。
人のいやがる仕事でもよろこんで、気持ちよく実行することである。

5 心施(しんせ)
自分以外のものの為に心を配り、心底から、共に喜んであげられる、
ともに悲しむことが出来る、他人が受けた心のキズを、
自分のキズのいたみとして感じとれるようになることである。

6 牀座施(しょうざせ)
わかり易く云えば、座席を譲(ゆず)ることである。疲れていても、
電車の中ではよろこんで席を譲ってあげることを言う。さらには、
自分のライバルの為にさえも、自分の地位をゆずっても悔いないでいられること等。

7 房舎施(ぼうしゃせ)
雨や風をしのぐ所を与えること。
たとえば、突然の雨にあった時、自分がズブ濡れになりながらも、
相手に雨のかからないようにしてやること、
思いやりの心を持ってすべての行動をすることである。


- 雑 感 -
私は・・・全くダメです。
毎日の仕事を通じて多くの方と接しているのですが、
これでいいのだろうかと恥ずかしくなります。

日々修行です。(-_-;)

■ 表 三郎  ◇出典 http://blogs.yahoo.co.jp/e_dream21/34984578.html
経済学者、思想家、予備校講師(英語科)。
元大阪市立大学全学共闘会議議長、桃山学院大学講師、駿台予備学校英語科講師。
1976年から1991年まで、駿台予備学校関西地区英語科主任。その後、関西地区英語科顧問。
「夢見る」という言葉には、
どこかロマンチックな響きがある。

ところが、実際はそんな生易しいものではない。

私にいわせれば、何かを夢見るのは
まさに命がけの行為なのだ。

命懸けで夢見ない限り、
その夢は決して実現しないし、
命懸けで夢見たものは必ず実現する。

■ 豆腐仙人  ◇出典 http://blogs.yahoo.co.jp/e_dream21/34982720.html
煮てもよし 焼くもよし
なまのままでも重宝がられ
柔らか過ぎず硬すぎず
程よい硬さと程よい白さ
連れずれに
味を変えては誰にも好かれる
人生すなわち、かくあるべし

- 雑 感 -
私の祖父も、父も、私も「湯豆腐」が大好きなんです。
大豆は「畑の肉」と言いながら、子供の頃、夕食の定番でした。

祖父に一度だけ京都南禅寺の湯豆腐をご馳走になった事が有ります。

とても美味しくて、口当たりのよい洗練された味覚に魅了されながら、
豆腐仙人の教えのような事を話題にして食べていたような記憶が有ります。
私もかくありたいと思います。

日々修行です。(-_-;)

■ 二宮 尊徳  ◇出典 http://blogs.yahoo.co.jp/e_dream21/34980928.html
江戸時代後期の農政家・思想家。
通称は金治郎(きんじろう)であるが、一般には「金次郎」と表記されてしまうことが多い。
また、諱の「尊徳」は正確には「たかのり」と訓むが、有職読みで「そんとく」と訓まれることが多い。「報徳思想」を唱えて「報徳仕法」と呼ばれる農村復興政策を指導した。
人と生まれ出た以上必ず死ぬと覚悟すれば、

1日生き延びれば1日得したと考え、
1年生きれば1年の得ということだ。

本来人間として、わが身も無く、
我が家も無いものと覚悟すると、

その後は、この世のあらゆることが、
全て儲けである。

- 雑 感 -
私の学生時代、学校には二宮金治郎さんの銅像が必ず有りました。

部活に入り、先輩から学校の7不思議を伝授されるのですが、
その中に「真夜中に金治郎さんが校庭を走っている」と聞かされ、
今でも金治郎さんの銅像を見ると、走っている姿を想像してしまいます。

「死ぬと覚悟」する事で全て儲けなら、人生を肯定的に考えて、
楽しい思いを抱いて生きていかねばと思います。

日々修行です。(-_-;)

■ 開高 健  ◇出典 http://blogs.yahoo.co.jp/e_dream21/34978899.html
小説家。
熱心な釣師としても知られ、日本はもちろんブラジルのアマゾン川など世界中に釣行し、
様々な魚を釣り上げ、『オーパ!』、『フィッシュ・オン』など釣りをテーマにした作品も多い。
現在では浸透している「キャッチ・アンド・リリース(釣った魚を河に戻す)」
という思想を広めたのも開高だと言われている。
また食通でもあり、食と酒に関するエッセイも多数ある。
悠々として急げ

- 雑 感 -
作家の開高健さんの口癖だったそうです。
私はこの言葉が大好きで、心に余裕をもって、どっしりと構えている姿を感じます。
「人生は何事も経験するには短いから、積極的に行動するべし。」と怒られているみたいです。
毎日、決まった事をするだけで精一杯の私ですが、人生こうありたいと思います。

日々修行です。(-_-;)

■ 加島 祥造  ◇出典 http://blogs.yahoo.co.jp/e_dream21/34976627.html
詩人、翻訳家、タオイスト、墨彩画家。
早稲田大学文学部英文科卒。
1954年フルブライト留学生としてカリフォルニア州クレアモント大学院に留学。
信州大学、横浜国立大学、青山学院女子短期大学で英米文学を教える。
1990年より長野県伊那谷に独居する。
伊那谷の心象風景や自然を描き、老子の言葉や自らの詩などを画賛に添えた墨彩画により、
現代の文人画の世界をつくっている。
終戦後の日本には何もなかったから、
人々は多くのモノを求めて働いてきた。

そして日本は、
モノがあふれる社会になった。

もういい加減、
求めることはセーブしたほうがいい。

自分にとってほんとうに
必要なものは何か。

不必要なものまで
求め過ぎていないか。

そんなことをしっかりと
個々人が考えることが大事。

- 雑 感 -
私の祖父は京都のお寺巡りが大好きで、
よくお伴をしていました。

シンプルな禅寺の枯山水や、
お寺の部屋には簡素な生け花が飾ってあるだけの、
わび、さびの極みでした。

そんな祖父の部屋もいたってシンプル。

私はというと・・。
モノが溢れているこの時代、
本当に必要なモノだけを持つという考え方は、
素敵に思えます。

物欲を抑え、「持たない暮らし」を実践する事で、
味わいのある人生を過ごしてみたいと思うのですが、
なかなか思うようにはいきません。

日々修行です。(-_-;)
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偉人の名言集【138】

http://www.geocities.jp/douki_37m1/blg/ph141104_03.gif
     (文中使用の画像↓はyahooの画像検索からのコピペです)

■ 鈴木 秀子  ◇出典 http://blogs.yahoo.co.jp/e_dream21/34975289.html
日本近代文学研究者、評論家。聖心女子大学卒。
東京大学大学院人文科学研究科博士課程修了。
フランス、イタリアに留学。
聖心女子大学助教授、教授。
国際コミュニオン学会名誉会長。
2000年(平成12年)「国木田独歩論 -独歩における文学者の誕生」で
梅光女学院大学文学博士。
静かに思い巡らせば、
朝、命が与えられて
布団から起きられること、

働く会社があること、
自分を支えてくれる
家族や仲間がいることなど、

幸せを感じることは
私たちの身の回りに
たくさんあります。

しかし、それがあまりに
当たり前すぎて、
そこに感謝と喜びを
感じなくなってしまっている。

反対に不平や不満を覚えて
「もっとこうでなきゃ」
と高い地位を求めたり、

必要以上のお金を
得ようとばかりしている。

それはとても
もったいない生き方です。

■ 田村 暮鳥  ◇出典 http://blogs.yahoo.co.jp/e_dream21/34973615.html
詩人。
身自らにおくるの詩

くるしみぬいたとうぬぼれてはならない
くるしみきれぬと絶望してはならない

耐えず苦しめ
そしてほほえめ
くるしみは浪のやうなものではないか

磯岩をかむその浪浪
うみ草を洗う浪浪

うかぶ船
むれとぶかもめ
浪浪のうねりをみないか
生きたその美しさをみないか
くるしみの上にあれ

- 雑 感 -
私は、笑って毎日を過ごす事を目標にしていますが、
全く思うようにはいきません。
特に最近、人は皆、人生の何らかの苦しみを
背負って生きていくものではないかと思い始めました。

「もっと知識を増やしたい」
「より良い職場で働きたい」
「いつまでも健康でありたい」

と、苦しみながら高みを目指しているのが人生なんだと。

自ら「十字架を背負う」事で
生きていると実感しているような気がします。

高みを目指すからには、
険しい道のりが有るはず。

日々修行です。(-_-;)

■ 相田 みつを  ◇出典 http://blogs.yahoo.co.jp/e_dream21/34971785.html
詩人・書家。平易な詩を独特の書体で書いた作品で知られる。
書の詩人、いのちの詩人とも称される。
旧制栃木県立足利中学校在学中に書や短歌、絵に親しんだが、
喫煙の濡れ衣をきせられ軍事教練の教官に嫌われたために進学を断念。
卒業後は歌人・山下陸奥に師事した。
1942年、歌会で生涯の師となる曹洞宗高福寺の武井哲応と出会い、在家しながら禅を学んだ。
1943年、書家を志して岩沢渓石に師事、本格的に書の修行を積んだ。
しあわせは
いつも
じぶんの
こころが
きめる

- 雑 感 -
「幸せ」には、

自分の周りに当たり前にある幸せを気づいているのか?
それと、
「幸せ」「不幸せ」という価値観は自分の思い込みで生まれる、
この2つの「幸せ」が有ると思います。

私は、幸せを欲望の如く求めてさまよってばかりですが、

幸せって、
求めるものではなく、
頂くもの、気づかせていただくもの、
なんでしょうね。

欲望は
求めても、求めても、きりがありません。

それと、私は
「幸せ」を感じられない理由を
他人のせいにしていました。
職場が嫌だ、とか。

とても長い時間が掛かったのですが、
この事に気づいてから
幸せ感が増したように思います。

幸せはいつも自分の心が決める、
これにつきると思います。

日々修行です。(-_-;)

■ 夏目 漱石「草枕」より  ◇出典 http://blogs.yahoo.co.jp/e_dream21/34969833.html
小説家、評論家、英文学者。俳号は愚陀仏。
大学時代に正岡子規と出会い、俳句を学ぶ。
帝国大学(後の東京帝国大学、現在の東京大学)英文科卒業後、
松山で愛媛県尋常中学校教師、熊本で第五高等学校教授などを務めた後、
イギリスへ留学。
帰国後、東京帝国大学講師として英文学を講じながら、
「吾輩は猫である」を雑誌『ホトトギス』に発表。

これが評判になり
「坊っちゃん」
「倫敦塔」などを書く。
その後朝日新聞社に入社し、
「虞美人草」
「三四郎」などを掲載。

当初は余裕派と呼ばれた。
「修善寺の大患」後は、
『行人』
『こゝろ』
『硝子戸の中』などを執筆。
「則天去私(そくてんきょし)」の境地に達したといわれる。
晩年は胃潰瘍に悩まされ、「明暗」が絶筆となった。
智(ち)に働けば角(かど)が立つ。
情に棹(さお)させば流される。
意地を通せば窮屈だ。
とかくに人の世は住みにくい。

- 雑 感 -
理屈だけで動いていると、
人から嫌われる。
人情に惹かれるとひどい目にあう。
かといって、
自分の考えばかりを通そうとすると、
人と衝突する。

どう生きても住みにくいのが人の世だ。

明治の頃の人も、
世の中に対してこんな事を思っていたんですね。

世の中は基本的には今も昔も虚しいものなのでしょうか?
こんなことを気にせずもっと自由気ままに生きたいものですが、
現実にはそうもいきません。

やり切れないこと、割り切れないことで
この世は溢れてる訳ですから、
時代や環境のせいにしたりしないで腹を据え、
平常心で事に挑まなくてはと思います。

日々修行です。(-_-;)

■ 伊藤 仁斉  ◇出典 http://blogs.yahoo.co.jp/e_dream21/34968146.html
江戸時代の前期に活躍した儒学者・思想家。京都の生まれ。
日常生活のなかからあるべき倫理と人間像を探求して提示した。
我よく人を愛すれば、人また我を愛す。

- 雑 感 -
私は、好きな人から愛されたいと思っていても、
なかなか愛してくれない経験が多すぎる為、
愛する事にしか慣れていません。(笑)
きっと、相手に対する自分の愛が足りないからかもしれません。

日々修行です。(-_-;)

■ 山岡 鉄舟  ◇出典 http://blogs.yahoo.co.jp/e_dream21/34965577.html
幕末の幕臣、明治時代の政治家、思想家。
剣・禅・書の達人としても知られる。
鉄舟は号、他に一楽斎。通称は鉄太郎(鐵太郎、てつたろう)。諱は高歩(たかゆき)。
一刀正伝無刀流(無刀流)の開祖。
「幕末の三舟」のひとり。
栄典は従三位勲二等子爵。
江戸に生まれる。
家が武芸を重んじる家だったため、幼少から神陰流、樫原流槍術、北辰一刀流を学び、
武術に天賦の才能を示す。
浅利義明(中西派一刀流)門下の剣客。
明治維新後、一刀正伝無刀流(無刀流)の開祖となる。
幕臣として、清河八郎とともに浪士組を結成。
江戸無血開城を決定した勝海舟と西郷隆盛の会談に先立ち、
官軍の駐留する駿府(現在の静岡市)に辿り着き、単身で西郷と面会する。
明治政府では、静岡藩権大参事、茨城県参事、伊万里県権令、侍従、宮内大丞、宮内少輔を歴任した。
勝海舟、高橋泥舟とともに「幕末の三舟」と称される。
「 精 神 満 腹 」

- 雑 感 -
私の祖父は浪曲が大好きで、祖父の所に行くといつもラジオから流れていました。
私が歴史好きになったのも、浪曲を物心付いた時から聞いていたからかもしれません。

大好きな浪花節に清水次郎長(しみずのじろちょう)が有り、
次郎長親分が山岡鉄舟から贈られた迫力満点の
揮毫(きごう・・毛筆で何か言葉や文章を書くこと/今日の言葉)を、
いつの日か見に行きたいと思っています。

「 精 神 満 腹 」 とは、

清水次郎長に「悟りとはなにか?」と聞かれて
山岡鉄舟が答えた言葉だそうです。

金銭欲とか名誉欲、あるいは食欲、
物欲等いろんな欲を満たされるより、
心(精神)が満たされる(満腹)ことが
大切だと言っているのでしょうか?

日々修行です。(-_-;)


■ 高見 順 ◇出典 http://blogs.yahoo.co.jp/e_dream21/34964237.html
小説家、詩人。
戦後は、
「わが胸の底のここには」、
「あるリベラリスト」
などの作品で私小説風に傷つきやすい精神を掘り下げた作品を次々と発表する。
また、晩年は、昭和という時代を描く
「激流」
「いやな感じ」
「大いなる手の影」
の連作を発表する。
また、詩人としても活動し、
「樹木派」、
「わが埋葬」、
「死の淵より」(最晩年の作品、新版が講談社文芸文庫)
などを発表する。
永井荷風と並ぶ日記作家としても知られ、
昭和史の資料ともなった「高見順日記」を著わす。(「敗戦日記 新版」が中公文庫で再刊)。
回想記に「昭和文学盛衰史」がある。
また晩年に、近代文学の資料の散逸を防ぐため、
日本近代文学館の建設に尽力したが、落成間近に食道癌で亡くなった。
文化功労者が追贈された。勁草書房で「全集」、「全日記」が刊行された。
われは草なり 伸びんとす
伸びられるとき 伸びんとす
伸びられぬ日は 伸びぬなり
伸びられる日は 伸びんとす

われは草なり 緑なり
全身すべて 緑なり
毎年かはらず 緑なり
緑のおのれに あきぬなり
われは草なり 緑なり
緑の深きを 願ふなり

ああ 生きる日の美しき
ああ 生きる日の楽しさよ
われは草なり 生きんとす
草の命を 生きんとす

-雑感-
私の祖父は「寅さん」が大好きで、
毎年お正月になると「寅さん」の映画を一緒に観に行きました。

「私、生まれも育ちも葛飾柴又です。帝釈天で産湯を使い、姓は車、名は寅次郎、
人呼んでフ−テンの寅と発します。
みなさまともどもネオンジャンと高鳴る大東京に仮の住居まかりあります。・・」

仕事で東京の街を歩く時、この寅さんの口上がいつも頭の中を流れるんです。(笑)
都内を歩いていると、アスファルトの割れ目から雑草が生えているのをみて、
生命力の強さを実感します。
今日は、そんな時に思い出す詩なのですが、
実はこの詩で

「伸びられぬ日は 伸びぬなり」

と言うことを教えてもらい、
とても気持ちが楽になった事があります。

伸びられる日はぐんぐんと、
伸びられぬ日はたおやかに。

私も自分らしさを深めていきたいと思います。

日々修行です。(-_-;)

■ 種田 山頭火(たねだ さんとうか) ◇出典 http://blogs.yahoo.co.jp/e_dream21/34962830.html
戦前日本の俳人。よく山頭火と呼ばれる。自由律俳句のもっとも著名な俳人の一人。
1925年に熊本市の曹洞宗報恩寺で出家得度して耕畝(こうほ)と改名。
本名・種田正一。
無理をするな、素直であれ。
すべてがこの語句に尽きる、
この心構えさえ失わなければ、
人は人として十分に生きてゆける。

-雑感-
私は自分の過去を振り返ると、
「もっと素直であれば良かったのに」
と懺悔の日々です。

自分を超えて無理をする事で、
自分を守ろうとするあまり、
何もかも拒絶してしまう事があります。

常に素直でいたい。
それが、実は一番、
自分自身を守ってくれる
心構えなのだと思います。
「もっとこうすれば良かったのに」、
「他のやり方があったのでは?」。

最近の世の中は、体力的な疲労よりも,
精神的な疲労の方が強いので、
無理の境界を意識することが
難しくなっているように感じます。

日々修行です。(-_-;)

■ イワン・セルゲーエヴィチ・ツルゲーネフ  ◇出典http://blogs.yahoo.co.jp/e_dream21/34961191.html
19世紀ロシアの代表的な小説家の一人。ロシア帝国の貴族。
少年時代をスパスコエの領地で過ごした。
父は没落した意志の弱い退役軍人,
母は富裕な大地主で,農奴には暴君的であった。
明敏で,観察力が鋭く,感受性の強い少年は,
周囲の農奴たちの悲惨な生活に深く胸を傷つけられ,
農奴解放を心に誓った。
15歳でモスクワ大学に合格し,
1834年ペテルブルグ大学に転じ,
観念論哲学と当時の社会的関心を身につけ,
特に文学と古典語を勉強した。
ある一人の人間のそばにいると、
ほかの人間の存在など、
まったく問題でなくなることがある。
それが恋というものである。

- 雑 感 -
私の学生時代の話しですが、
「恋」とか「愛」とかよく判らないのに
友人達と議論する事が大好きでした。(笑)

本で読んだ知りうる限りの知識を使い、
恋は下に心があるから下心。
愛は真ん中に心があるから真心。
みたいな事を真夜中まで議論するのです。

「fall in love」恋とは落ちるもの。
そして落ちればそこは甘い蜜の中。
蜜の香りは欲を誘い、欲は私を溺れさせる。
・・私はいったい何を言っているのでしょうか。
「恋に落ちる」のは、
「地獄に落ちる」のと同じような。。。

日々修行です。(-_-;)


■ 井上 靖「わが一期一会」より ◇出典 http://blogs.yahoo.co.jp/e_dream21/34959131.html
小説家。文化功労者、文化勲章受章。
歴史小説は、
日本で特に戦国時代(『風林火山』、『真田軍記』、『淀どの日記』他)、
中国ではとりわけ西域を題材にした(『敦煌』、『楼蘭』、『天平の甍』他)
ものを多く描いた。巧みな構成と詩情豊かな作風は今日でも広く愛され、
映画・ドラマ・舞台化の動きも絶えない。
若い人たちは
もっと積極的に
一期一会の精神を、
日々の生活の中に
生かすべきである。

- 雑 感 -
私は学生時代に祖父と二人だけで暮らし、
祖父を通じて多くの事を学び体験しました。

祖父は訪ねて来る人のほとんどの人に、
必ずっていい程お茶と漬物、お菓子を出して
僅かな時間会話を楽しんでいました。
近所の人、郵便配達の人、集金に来る人、押し売りに来る人、・・etc。

「一期一会」とは、
「あなたとこうして出会っているこの時間は、
二度と巡っては来ないたった一度きりのものです。
だから、この一瞬を大切に思い、
今出来る最高のおもてなしをしましょう」
と言う意味の、千利休の茶道の筆頭の心得です。

平たく言えば、二度と来ない人生のひとときを共に過ごすなら、
楽しい時間だった、素敵な出会いだったと思えますように、
真心をもって接する事で、より豊かな時間をもち、
素晴らしい人生を送ることができるようになる、
という事なんだと思います。

私は人と関わる事が苦手だったのですが、
祖父が教えてくれたのだと思います。

日々修行です。(-_-;)

■ 大学(中国の古典、四書五経のひとつ)より   ◇出典 http://blogs.yahoo.co.jp/e_dream21/34957985.html
儒教の経書の中で特に重要とされる四書と五経の総称。
君子が国家や政治に対する志を述べる大説として
日常の出来事に関する意見・主張や噂話など
虚構・空想の話を書く小説と区別される。

四書は「論語」「大学」「中庸」「孟子」、
五経は「易経」「書経」「詩経」「礼記」「春秋」をいい、
五経を以て四書よりも高しとする。
「楽経」を含めて四書六経ともいう。

中国国内だけでなく、日本や韓国でも広く講義され、
とくに封建社会の中で広まりを見せた。
苟(まこと)に
日に新たにせば、
日々に新た、
また日に新たならん。

君子の学びは、必ず日に新たなり。
日に新たなる者は、日に進むなり。
日に新たならざる者は、必ず日に退く。
未だ進まずして退かざる者はあらざるなり。

日に新たに、日々に新たなり。
日々是れ新たなり。
日に日に新たなり。

-雑感-
今日の言葉は、殷(いん)の時代の
湯王(とうおう)という明君(紀元前1776年より53年迄在位)が
洗面器にこの一文を刻み込み「修身」の決意を日々新たにしたと云われています。

「人生に苦難や失敗はつきものである。
挫折、絶望の原因となるものが次々に襲ってくる。
しかしピンチに見舞われて、打ちひしがれては自滅するのみ。
今日、苦悩や悲しみに傷ついても、そこでへこたれてはいけない。
耐えて明日を迎えよう。
そこに新しい1日が始まる。
その1日を全力で頑張るのである。
そこから新たなる希望、活力がわいてくるに違いない。」

という意味です。私も、
日に新たに、
日に日に新たに続けることが
進歩につながると確信して今日を頑張ります。

日々修行です。(-_-;)

■ 松下 幸之助  ◇出典 http://blogs.yahoo.co.jp/e_dream21/34955643.html
実業家、発明家。
パナソニック(旧社名:松下電器産業、松下電器製作所、松下電気器具製作所)を
一代で築き上げた経営者である。
自分と同じく丁稚から身を起こした思想家の石田梅岩に倣い、
PHP研究所を設立して倫理教育に乗り出す一方、晩年は松下政経塾を立ち上げ
政治家の育成にも意を注いだ。
万策尽きたと思うな。
自ら断崖絶壁の淵にたて。
その時はじめて
新たなる風は必ず吹く。

- 雑 感 -
私は恋も仕事も、いつも「背水の陣」を敷く場面ばかりです。(笑)
確かに、ぎりぎりの所で踏ん張って、自分の持っている全てを
出し尽くす事で何かが変わってくるように思います。

うまい事いかなくなると途中で諦めてしまう私も、
人生経験を積む事で少し何かが見えてきました。

日々修行です。(-_-;)

■谷川 俊太郎  ◇出典 http://blogs.yahoo.co.jp/e_dream21/34953903.html
「これが私の優しさです」より
詩人、翻訳家、絵本作家、脚本家。デビュー作品は詩集「二十億光年の孤独」
カムチャツカの若者が
きりんの夢を見ているとき
メキシコの娘は
朝もやの中でバスを待っている

ニューヨークの少女が
ほほえみながら寝がえりをうつとき
ローマの少年は
柱頭を染める朝陽にウインクする

この地球では
いつもどこかで朝がはじまっている

ぼくらは朝をリレーするのだ
経度から経度へと
そうしていわば交替で地球を守る

眠る前のひととき耳をすますと
どこか遠くで目覚まし時計のベルが鳴ってる
それはあなたの送った朝を
誰かがしっかりと受けとめた証拠なのだ

- 雑 感 -
私の好きな詩です。
花屋の朝はとても早く、
生花市場に朝3時過ぎに行って仕入れを行います。

仕入れが終わるのが朝5時前後、
ちょうど夜明け頃に生花市場を後にして帰途につきます。

某コーヒー会社のCMや、教科書にも紹介される有名な詩です。

仕入れの帰り道、朝の高速道路を運転中に、
自分の目の前のことはとっても小さな問題なのかもしれないと、
朝焼けを見ながら心の中でつぶやいています。

俗塵にまみれた自分の心が綺麗になる気がして、
「朝」っていいものだとしみじみ思います。

日々修行です。(-_-;)


■ 高橋 是清  ◇出典 http://blogs.yahoo.co.jp/e_dream21/34952196.html
幕末の武士(仙台藩士)、明治、大正、昭和時代初期の官僚、政治家。
立憲政友会第4代総裁。
第20代内閣総理大臣(在任 : 1921年〈大正10年〉11月13日 - 1922年〈大正11年〉6月12日)。
栄典は大勲位子爵。二・二六事件において、
赤坂の自宅二階で反乱軍の青年将校らに胸を6発撃たれ、
暗殺された。享年82(満81歳没)。
栄枯盛衰は、人生の常である。
順境はいつまでも続くものではなく、
逆境も心の持ちよう一つで、
これを転じて順境たらしめることもできる。
境遇の順境は、心構え一つでどうにでも変化するものである。


- 雑 感 -
私の祖父(母の父)は、戦争中英語の教師だった為、
敵国語を教える事を禁じられ公職追放といって戦時中は失業していたそうです。
祖父からよく「逆境を楽しむ」という言葉を聞いた事が有ります。
私が高校生の時、教頭先生から受験を前にして逆境を楽しむ事を教わりました。
こんな私にも逆境は何度も突然に襲ってきます、解決が難しい問題に直面した時は、
開き直って「なんとかなるさ」と思えるように意識的に努めていますが、まだまだです。
逆境が去った後から感じる事は、逆境が人生を楽しむ要素に思えます。
私も逆境を楽しめる人になりたいです。日々修行です。(-_-;)

■ 渋沢 栄一  ◇出典 http://blogs.yahoo.co.jp/e_dream21/34950330.html
天保11年2月13日(1840年3月16日) - 昭和6年(1931年)11月11日)は、
江戸時代末期(幕末)から大正初期にかけての日本の武士(幕臣)、官僚、実業家。
第一国立銀行や東京証券取引所などといった多種多様な企業の設立・経営に関わり、
日本資本主義の父といわれる。
理化学研究所の創設者でもある。
ピーター・ドラッカーは
「率直にいって私は、経営の『社会的責任』について論じた歴史的人物の中で、
かの偉大な明治を築いた偉大な人物の一人である 渋 沢 栄 一 の右に出るものを知らない。
彼は世界のだれよりも早く、経営の本質は『責任』にほかならないということを見抜いていたのである」
と述べている。
四十、五十は洟垂れ小僧、
六十、七十は働き盛り、
九十になって迎えが来たら、
百まで待てと追い返せ。


- 雑 感 -
私の祖父は100歳の15日前に天国へ行きました。
父は80歳を超えているのですが、
未だに現役のサラリーマンです。
二人の共通点は、年齢なんか只の数字でしかないという事です。(笑)
私は、のんびり温泉に入って、世界中を旅行して、と夢を見る事も有るのですが、
いつになったらのんびりできるのだろう?もしかしたら九十超えて・・・。(汗)
「もう年だから・・」は言えません。

日々修行です。(-_-;)

■ 武者小路 実篤 「幸福者」より ◇出典 http://blogs.yahoo.co.jp/e_dream21/34948711.html
小説家・詩人・劇作家・画家。仲間からは「武者」(ムシャ)の愛称で呼ばれた。
位階は従三位。文化勲章受章。授与された称号には名誉都民などがある。日本芸術院会員。
みな身から出たさびだ。

さびを出すのが嫌だったら自分を純金にするか、
絶えず自分を磨いていなければいけない。

自分では何もせずに、
さびが出るのに不平を起こすのは
己を知らない者だ。


- 雑 感 -
私が子供の頃に祖父から
「そら見たことか、自業自得だ。」
とよく言われていました。

今日、久しぶりに父と電話で話をしていたら
父からも祖父と同じ言葉が。。。

自業自得とは
「自分の行いの報いを自分が受けること。一般には悪い報いを受ける場合に用いる。」
と辞書に書かれてます。

確かに、幸福も不幸も自分自身の行動の結果です。
困難な状況にあった時、それを受け入れなければいけません。
この困難な状況は「身から出たさび」なのですよね。

自分の行いを振り返って、
改めるべきところがあれば直ぐに改めなくては。
まだまだ純金にはほど遠いので、
磨き甲斐があります。

日々修行です。(-_-;)
<  他の名言を見る  >

この記事に

偉人の名言集【137】

http://www.geocities.jp/douki_37m1/blg/ph141104_03.gif
     (文中使用の画像↓はyahooの画像検索からのコピペです)

■ 土門 拳  ◇出典 http://blogs.yahoo.co.jp/e_dream21/34946385.html
昭和時代に活躍した日本の写真家。
リアリズムに立脚する報道写真、日本の著名人や庶民などのポートレートやスナップ写真、
寺院、仏像などの伝統文化財を撮影し、第二次世界大戦後の日本を代表する写真家の一人とされる。
また、日本の写真界で屈指の名文家としても知られた。

風景に向かって手も足も出ない、
そのまま撮ってくるというようなやり方では、
新しい今の風景写真は作れない。

作者自身の
日本の風土というものに対し、
民族というものに対し、
伝統というものに対して
はっきりした定見をもっていかなければ撮れない。

- 雑 感 -
昨年の事ですが、あるセミナーに参加してドラッカーの
マネジメントをテーマにした講話を拝聴する機会が有りました。

とても興味が出て「もしドラ」→「マネジメント」を読み、
考え方が大きく変わってしまいました。

定見とは、
「他人の意見に左右されない、その人自身の意見。」
と辞書に書いて有ります。

私が変わった事は、

花屋として
「より良いフラワーギフトを販売する事」
ではなく、

「私達は日々の人間の心を豊かにする価値創造会社でございます。」
と、なった事です。

たかが花ではなく、されど花となるべく、日々修行です。(-_-;)

■ 三国志「呉書・呂蒙伝」 ◇出典 http://blogs.yahoo.co.jp/e_dream21/34944758.html
「三国志」とは、魏(ぎ)・呉(ご)・蜀(しょく)の三国が争覇した、
 三国時代の歴史を述べた歴史書である。

男子三日会わざれば刮目して見よ。

原文:「士別れて三日なれば刮目して相待すべし。」


- 雑 感 -
私がサラリーマン時代、三国志を信奉している上司から
仕事の取り組み方や考え方を指導して頂きました。
今も私の考え方の基本になっているように思います。

今日の言葉の意味は、
「男の子は三日も会わないでいると驚くほど成長しているものだという意味で、
人の学業や仕事・人間性などがいかに向上したか、良く見なさいということ」
です。

刮目(かつもく)とは「目をこすって、よく見ること。」

三国志の時代、呉の国に呂蒙という猛将がいて、彼の名は他国にも響いていたけれど、
無学であったので主君である孫権が、勉強する事をさとしました。

それから呂蒙は兵法や歴史を学んで、勇猛さに知力をつけて後々は、
関羽をやっつけてしまうほどの武将に成長します。

同じく呉の知将である魯粛が呂蒙を尋ねて
「もう、呉の国の中の呂蒙ではない!」
と褒めたたえたという故事からきた日本の慣用句です。

私も呂蒙になったつもりで日々修行です。(-_-;)

■ 安田 理深 ◇出典 http://blogs.yahoo.co.jp/e_dream21/34943250.html
仏教学者。真宗大谷派の僧籍を持つ。
青年時代には東洋哲学やキリスト教などを学んだが、
金子大栄の著作に触れて親鸞思想に目覚め、大谷大学へ入学。
晩年は私塾相応学舎を主宰し、浄土教教理学のほか、唯識などの講義を行った。
その学識から幾度も大学教授などの誘いがあったが、生涯無位無官を貫いた。
しなくてはならないのならやめなさい。
やらずにおれないのならやりなさい。

- 雑 感 -
私は子供の時から親に何かを強要されたりする事なく
勝手気ままに生きてきました。
いわゆる放任主義で育ってきたような感じです。

振り返ると、自分の力で解決していく力のようなものが
身についたような気もします。

義務と感じるか、それとも自らそう望むのかでは、
その結果は大きく違ってくるはず。

勉強も、趣味も、今の仕事も、
徹底的に伸ばしていきたいと思います。

日々修行です。(-_-;)

■ 坂本 龍馬  ◇出典  http://blogs.yahoo.co.jp/e_dream21/34940721.html
江戸時代末期の志士、土佐藩郷士。
土佐郷士に生まれ、脱藩した後は志士として活動し、
貿易会社と政治組織を兼ねた亀山社中(後の海援隊)を結成した。
薩長同盟の斡旋、大政奉還の成立に尽力するなど
倒幕および明治維新に影響を与えた。
大政奉還成立の1ヶ月後に近江屋事件で暗殺された。
1891年(明治24年)4月8日、正四位を追贈される。
人として生まれたからには、
太平洋のように、
でっかい夢を持つべきだ。

- 雑 感 -
私は高知県の桂浜まで何度も旅して太平洋を細い目で見つめる龍馬さんに逢ってきました。
坂本龍馬ってどんな人だったのだろう?

「過激なること豪も無し。且つ声高に事を論ずる様のこともなく至極おとなしき人なり。
容貌を一見すれば豪気に見受けらるるも、万事温和に事を処する人なり。
但し胆力は極めて大なり。」

と、寺田屋事件の際にボディガード役として龍馬とともに奮戦した長州藩士・三吉慎蔵は、
龍馬の人柄について問われこう答えています。

私も「胆力」を身につけるべく日々修行です。(-_-;)

■ 至道無難(しどう・むなん) ◇出典 http://blogs.yahoo.co.jp/e_dream21/34938384.html
江戸前期の臨済宗の僧。「ぶなん」ともいう。
美濃(岐阜県)生まれ。
俗姓は相川。生家が関ケ原の本陣宿屋で,父が帰依した愚堂東寔が投宿した際に指導を受け,
「至道無難」の公案により徹悟し,法嗣となる。
出家した年には40歳前後,47歳と諸説ある。
江戸に出て麻布に東北庵を開き至道庵と号し,
延宝2(1674)年門人が建立した渋谷の東北寺の開山に招かれたが断り,小石川に移した。
2年後に示寂。徳川家綱の信頼を得たが名刹を避けた。
出家禅には批判的で,庶民的な庵主禅を説いた。
法嗣は白隠慧鶴の師道鏡慧端。
何事も 修行と思い する人は 身の苦しみは 消え果つるなり

- 雑 感 -
私の父の母校は、春、夏の高校野球長野県代表となる事が多く、
小さい頃より甲子園球場に連れて行ってもらいました。
その影響も有り、私は高校野球を見るのが大好きです。
彼らは失敗を恐れず、正々堂々と爽やかに全力を尽くして戦います。
試合後、勝敗に関わらず選手も監督も応援する母校の人達も「涙」を流します。
人目を気にせず、純粋な涙を流すその一瞬が見たいからなのかもしれません。
人が真剣に、一生懸命な時に流す涙はとても美しいです。
今日の言葉の意味は、
「人間は生きてゆく時、苦しい時の方が多い。
その困苦を修行と受け止めて人生に立ち向かうならば、
身の苦しみというのは消えてしまうものだ」
です。
私も高校球児に負けないよう、日々修行です。(-_-;)

■チャールズ・チャップリン ◇出典 http://blogs.yahoo.co.jp/e_dream21/34936572.html
イギリスの映画俳優、映画監督、コメディアン、脚本家、映画プロデューサー、作曲家。
人に大切なのは、自信を持つことだ。

私が孤児院にいたとき、
腹をすかせて街をうろついて食いものをあさっていたときでも、
自分では世界一の大役者ぐらいのつもりでいた。

つまり勝ち気だったのだ。
こいつをなくしてしまったら、
人はうち負かされてしまう。

- 雑 感 -
私にも自信が有り勝ち気も持っています。
激動の時代に生きたチャップリンとは
比較対象にはならない程僅かなものですが。。。

自信とは
「自分で自分の能力や価値などを信じること。
自分の考え方や行動が正しいと信じて疑わないこと。」
と辞書に書いて有ります。

いったい自信とは何から生まれ、
どんな力を人に与えられるのだろう?

自信とは努力の結果から生ずるものだから、
不安を克服しながら、
絶えず目標に向かって
努力してきた人間が
得られるもの。

私もチャップリンのような大きな自信と勝ち気を身につけたいと思います。
日々修行です。(-_-;)

■ 吉田 松陰  ◇出典 http://blogs.yahoo.co.jp/e_dream21/34935237.html
武士(長州藩士)、思想家、教育者、兵学者、地域研究家。
一般的に明治維新の精神的指導者・理論者として知られる。
一日一字を記さば一年にして三百六十字を得、
一夜一時を怠らば、百歳の間三万六千時を失う。

- 雑 感 -
私は幕末、明治維新の時代が今と似ていて好きで、
よく史跡めぐりをしています。
松下村塾の主宰者になり、高杉晋作、伊藤博文、山県有朋など、
後の維新指導者を輩出した、優れた思想家で兵学者でもある
吉田松陰の言葉です。
彼らはどんな思いで、この言葉を聞いていたのでしょうか?
私は無駄な時間を心の余裕と勝手に解釈してしまう
自分が恥ずかしくてなりません。
時間を疎かにしない考えを見習って・・
日々修行です。(-_-;)

■ 内永 ゆか子  ◇出典  http://blogs.yahoo.co.jp/e_dream21/34933513.html
経営者。英語スクールのベルリッツ・インターナショナルインク会長。
香川県出身。東京大学理学部物理学科卒業後、日本IBMに入社。
同社で専務まで勤め上げる。
その後退社し、NPO法人J−win理事長などを経て
ベルリッツ・インターナショナルインク社長・会長。
そのほか、ベネッセコーポレーションの副会長なども務めた経営者。
主な著書に『部下を好きになってください』総理府男女共同参画審議会委員なども務めた。
米国女性エンジニア協会(SWE)アップワード・モビリティ賞受賞。
ぼやっとした思考やアイデアを誰かに話すと、相手から
「へぇ、そうなの?」
「それって何?」
「どうして?」
と反射的に素朴な疑問が返ってきます。

こうして対話しているうちに、
自分が何について理解できていないのかがわかってきます。

対話相手がサウンディング・ボード(音響反射板)の役割をしてくれるのです。
私がサウンディング・ボード役によく選んだのは専門知識を持たない母でした。

話していると自分の思考の中であやふやな部分が炙り出され、
課題の輪郭が見えてきます。

- 雑 感 -
私は、ぼやっとしたアイデアを社内でディスカッションして、
色々なアイデアを実現させてきましたが、最近特に思うのは、
他社でもやっているありふれた意見しか出てこない事に悩んでいました。

社内のスタッフは専門知識を持ち、
毎日仕事を追及する為に時間をついやしていたからで、
専門知識を持たない人とディスカッションする事で課題が見えてくるのかも!
いつの間にか、専門バカになっていました。

皆様に喜んで頂け、ワクワク、ドキドキする仕事を始めなくては。
打つ手は無限ですよね。

日々修行です。(-_-;)

■ 道歌(どうか)  ◇出典  http://blogs.yahoo.co.jp/e_dream21/34931588.html
道徳的な、または教訓的な短歌をいう。
様々な体験から出た世智であり、訓戒である。
昔から日本人に親しまれている。
堪忍(かんにん)の なる堪忍は 誰もする

な ら ぬ 堪 忍 す る が 堪 忍


- 雑 感 -

私の高校時代、毎週1回道徳の授業が有り、
教頭先生が教壇に立たれていました。
よく道歌を教えて頂き、今も心に残っています。

今日の言葉の意味は、

「もう我慢ならぬというところをじっと我慢することこそが、本当の我慢である。
最後まで耐え通さなければ、それまでの我慢もむだになる。」

です。

誰もするはずの堪忍さえできず、
ささいなことで堪忍袋の緒を切らす人が多い世の中ですが、
世界中の誰もがこの歌のような寛容の心境になれば
争い事は起きないと信じます。

私はまだ修養が足りません。
日々修行です。(-_-;)

■ 達磨大師  ◇出典  http://blogs.yahoo.co.jp/e_dream21/34929962.html
達磨(だるま、ボーディダルマ)は禅宗の開祖とされている人物である。
菩提達磨(ぼだいだるま)、達磨祖師、達磨大師ともいう。
「ダルマ」というのは、サンスクリット語で「法」を表す言葉。
達摩との表記もあるがいわゆる中国禅の典籍には達磨、古い写本は達摩と表記する。)

気 は 長 く 、 心 は 丸 く 、 腹 を 立 て ず 、 人 は 大 き く 、 己 は 小 さ く 。

- 雑 感 -
私の学生時代は迷いの連続でした。
勉強しなくてはならない時期に、学業を放棄して北アルプスに登ってばかりで、
将来の夢も目標もなく、時間の尊さなんて微塵も感じる事がありませんでした。

そんな私を見かねて、ある日私は先生に呼ばれ、とても怒られました。
何を怒られたかは具体的に記憶に残っていないのですが、
書棚に置いてある土産物の達磨大師の木彫りを指差し、
眼光鋭く髭を生やした達磨大師のように迷わず腰を据えて生きる事を教えて頂きました。

私も木彫りの達磨大師を手に入れて今も書棚に置いているのですが、
毎日先生に怒られている気がします。

日々修行です。(-_-;)

■ 大隈 重信  ◇出典 http://blogs.yahoo.co.jp/e_dream21/34928024.html
武士(佐賀藩士)、政治家、教育者。
位階勲等爵位は従一位大勲位侯爵。
政治家としては参議兼大蔵卿、外務大臣(第3・4・11・14・29代)、農商務大臣(第13代)、
内閣総理大臣(第8・17代)、内務大臣(第30・32代)、貴族院議員などを歴任した。
早稲田大学の創設者であり、初代総長である。
施 し て 報 を 願 わ ず 、 受 け て 恩 を 忘 れ ず 。

- 雑 感 -
私の祖父の座右の銘です。
言葉の意味は、

「人にしてあげたことは、その見返りを求めたり、まわりに吹聴したりせず、
 人から受けた恩は決して忘れずにいること。」です。

「恩」という言葉の意味は、「他の人から与えられるめぐみ。
いつくしみ。また、自分のためになされたありがたい行為」と辞書に書かれています。

また、「恩」という漢字は、原因を心得ると書いて「為されたことを知る」という意味だそうです。
つまり、結果はもう出ていて、その結果において、因を知る。

また、原因の「因」の語源は、おふとんの上で人が大の字に寝ている様子を表します。
おふとんに人の型がついている。
そこには誰もいないけれど、おふとんに残ったその跡に、誰かがいたぬくもりが刻まれている。
もうそこにはないけれど、目の前にあるものを通して、その因として出遇えるものがある。

恩と因・・過去形でしか知りえないもの、それが本当のぬくもりというものなのかもしれません。
遠い昔に祖父から聞いた話しです。私はまだまだ未熟です。

日々修行です。(-_-;)

■ 山本 有三  ◇出典  http://blogs.yahoo.co.jp/e_dream21/34926039.html
小説家、劇作家、政治家。
東京帝大在学中に芥川竜之介らと第3次「新思潮」を創刊劇作家、
小説家、政治家で日本芸術院会員、文化勲章受章者。
戦後、貴族院勅選議員、参議院議員などを歴任した。
たったひとりしかない自分を
たった一度しかない一生を
ほんとうに生かさなかったら
人間うまれてきたかいが
ないじゃないか

「路傍の石」より

- 雑 感 -
私が社会人になる時に、祖父がこの言葉を贈ってくれました。
最近、この言葉をよく思い出します。

自分の人生を大切にするということは、
それそのものが周りの人、家族や友人をも大切にすること、
自分を祖末に扱うことは周りの人の人生を疎かにすることなんだと、
主人公の吾一少年に諭した言葉です。

私たちの人生は一度きりです。
私は今日という一日を「一度きり」の心意気を持ち、精一杯努力しているのか?。

結果、周りの人を疎かにしているのではないか?
日々修行です。(-_-;)

■ 老子  ◇出典 http://blogs.yahoo.co.jp/e_dream21/34924184.html
古代中国の哲学者であり、道教創案の中心人物。
「老子」の呼び名は「偉大な人物」を意味する尊称と考えられている。
鐘や鼎のような大きな器は
簡単には出来上がらない。

人も、大人物は
才能の表れるのはおそいが、
徐々に大成するものである。
「老子」41章より

- 雑 感 -
私は子供の時に、祖父より
「大器晩成」だと言われた事を今も鮮明に覚えています。

私の妹は勉強、運動、ピアノと秀でた部分が多々有ったのですが、
私は何をしてもダメ。(笑)

見かねた祖父のフォローだったと思うのですが、
感受性の高い子供の時に大器晩成と言われた為、
のんびりマイペースな生き方しかできないようにも感じています。

早咲き、遅咲き、ツボミのまま腐ってしまう花を見ていると、
一度は咲いてみたいと思います。
日々修行です。(-_-;)

■ 斉藤 里恵  ◇出典  http://blogs.yahoo.co.jp/e_dream21/34922561.html
ホステス、作家。青森県青森市出身。
自身の半生を描いた著書「筆談ホステス」が2009年(平成21年)にベストセラーとなった。
髄膜炎の後遺症で、1歳10カ月で聴力を完全に失う。
その後は「青森一の不良娘」と呼ばれるほどの問題児となるが、
万引した洋品店で誘われて働いたことをきっかけに、接客業の楽しさを知り、
19歳で水商売に進む。
2007年(平成19年)に単身上京し、東京・銀座の高級クラブでホステスとして働き、
筆談を駆使した独自の接客で大人気になり、ナンバーワンの地位に上り詰めた。
銀座で最初の店は八丁目の「Le Jardin」で、
当時の写真を同店のホームページで見ることができる
愛用するメモパットはRHODIAブロック(5mm方眼)。
星という字は、
日が生まれると書きます。

辛い時は『星』を見上げてください。
きっと明日が生まれます。

- 雑 感 -
私は小学5年生の時に星の魅力にとらわれ、
学校の図書館で星関係の本を夢中で読んでいました。

どうしても天体望遠鏡が欲しくなり、
小遣いで買える訳もなく、
両親に相談をしました。

で、天体望遠鏡を得る為の条件が、
生徒会の役員になる事。

私は人前で話す事が苦手で、
リーダーシップの微塵も有りませんでしたが、
天体望遠鏡欲しさに、
生徒会の役員に立候補してしまいました。

性格を見抜かれただけなのですが、
とてもいい経験をしたと両親に感謝しています。

今日の言葉には
「そして“明日”は、明るい日に違いありません」
と続きます。

私も明日を信じて今夜も星を眺めます。
日々修行です。(-_-;)

■ 坂東 眞理子  ◇出典 http://blogs.yahoo.co.jp/e_dream21/34921035.html
官僚、評論家。
昭和女子大学学長を務める。
官僚として埼玉県副知事や豪州ブリスベン総領事、総理府男女共同参画室長、
内閣府男女共同参画局長などを歴任した人物であり、多くの女性政策に携わり、
2003年に退官。
以後は、昭和女子大学教授、副学長、女性文化研究所長を経て同大学の学長に就任。
また早くから執筆活動を行い、女性向けのライフスタイル書を数多く出版。
特に女性としての振舞い方をエッセイ風に説いた『女性の品格』は、
累計300万部を超えるベストセラーとなっている。
人生の理不尽さに遭遇したとき、
やがて日本人はこう口にします。
「しかたがない」と。

この言葉の中に私は、
日本人の強さと生きる知恵を
みる思いがするのです。

「しかたがない」という言葉は、
英語のなかにはありません。

「しかたがない」と日本人が呟けば、
アメリカ人はこう言います。

「どうして諦めるんだ。逃げてはいけない。
どんな過酷なことがあったとしても、
ベストを尽くせば
必ず立ち直ることができる」と。

日本人は、けっして諦めの気持ちで
この言葉を発しているのではありません。

この世の中には
人知を超えたものがある。

自分の力では
どうしようもないことがある。

「なんで自分が」と思うことが
人生には必ず起こる。

そのことに抗っていても
道は見えてこない。

まずは受け止めること。
理不尽さや過酷な状況を
心でしっかりと受け止め、

そこから覚悟を決めて
歩き始めること。

その覚悟こそが、
日本人の底力なのだと
私は思っています。

- 雑 感 -
私は、祖父、父、母から「しかたがないねぇ」と言われ続け育ってきました。(笑)
そして、私も口癖のように「しかたがない」とよく言葉にします。
今迄深く考えた事はありませんでしたが、自分ではどうしようもないことに対して、
それを「なんとかしなくちゃ」と思っても、焦るだけで何もできずに
時間とエネルギーを浪費してしまいます。
「しかたがない」と受け止めることで、そのことは置いておいて、
今できることをするほうが得策だし、希望が持てる事になる訳なんですね。
私にも底力があるのかな?期待外れと言われない為にも、日々修行です。(-_-;)

■ 野田 一夫  ◇出典 http://blogs.yahoo.co.jp/e_dream21/34918985.html
経営学者。
事業構想大学院大学学長、
一般社団法人全国経営者団体連合会会長、
多摩大学名誉学長、
一般財団法人日本総合研究所会長、
高崎商科大学客員教授
などを務める。
うちの親父にはひとつの哲学があって、
それは明るい顔は周囲を明るくさせ、
暗い顔は周囲を暗くさせる。

だから、
人前に出たら暗い顔をしてはいけない、
というものです。

人間はみなそれぞれ人には言えない悩みをもっているものだが、
暗い顔は心の重荷をいっそう重くし、
笑顔は気持ちを軽くする。

だから、
みなさんもなるべく
笑顔を心がけるといいと思います。

- 雑 感 -
私は子供の頃、
面倒な事を言われると
直ぐに感情を顔に出す癖が有り、
怒られ続けてきました。

サラリーマン時代、
社内で思いっきり怒られて、
直後に笑顔で接客をさせられ、
それを何度も繰り返し行なう事で
感情をコントロールできるようになった
経験が有ります。

今思うに、
私を怒ってくれた上司、
先輩も大変だったんだなぁ、
と懐かしい思いでです。m(__)m

■ 手塚 治虫  ◇出典  http://blogs.yahoo.co.jp/e_dream21/34917145.html
漫画家、アニメーター、アニメーション監督。 医学博士。血液型A型。
戦後日本においてストーリー漫画の第一人者として、
現代にまでにつながる日本の漫画表現の基礎を作った。兵庫県宝塚市名誉市民。
1963年、自作をもとに日本初となる30分枠のテレビアニメシリーズ『鉄腕アトム』を制作、
現代につながる日本のテレビアニメ制作に多大な影響を及ぼした。
1970年代には『ブラック・ジャック』『三つ目がとおる』『ブッダ』などのヒット作を発表。
また晩年にも『陽だまりの樹』『アドルフに告ぐ』など青年漫画においても傑作を生み出す。
デビューから1989年の死去まで第一線で作品を発表し続け、
存命中から「マンガの神様」と評された。
人を信じよ、
しかしその百倍も自らを信じよ。

時によっては、信じきっていた人々に
裏切られることもある。

そんなとき、
自分自身が強い盾であり、味方であることが、
絶望を克服できる唯一の道なのだ。

- 雑 感 -
手塚治虫さんの座右の銘と言われています。
私も人を信じるように努めています。
相手が嘘をついたとしても、
嘘を言わなくてはならない理由が有り、
それを暴く事が正しい事ではないと思うからです。
「甘い」、とか、「だから人に騙される」
と言われる事も多いのですが、
自分自身の生き方として、
私は人を信じます。
「人を真剣に愛したり信じたりしたりして裏切られたら・・」、
私は「いいじゃないか」と思います。
真剣に。自分を100倍も信じれるかというと・・。
まだまだ修行が足りません。(-_-;)

■ デニス・ウェイトリー  ◇出典  http://blogs.yahoo.co.jp/e_dream21/34915442.html
アメリカのモチベーション・スピーカー、自己啓発作家。
世界的に著名な脳力開発研究家の一人であり、ビジネスマンやスポーツ選手、
宇宙飛行士から学生まで、幅広いジャンルの人々を指導している能力・モチベーション開発の専門家。
米国航空宇宙局(NASA)でアポロ宇宙飛行士のストレスマネジメント、
米国オリンピック委員会で選手のメンタル面の強化、ベトナム戦争捕虜や
イラン人質被害者のカウンセリングなども行った他、
南カリフォルニア大学客員教授、全米オリンピック委員会心理学部会委員長なども歴任している。
人生の様々なストレスを適正に評価し、
受け入れる最良の方法の一つは、
それを普通のことだと思うことだ。

- 雑 感 -
私はストレスをあまり感じないタイプになりました。
学生時代はストレスをため込む事が多かったのですが、
今迄の人生経験から、起きてしまった事実はどうする事もできないのですが、
その解釈は自分の考え方でどうにでもなる事に気付いたからです。
カウンセラー現場で使われる「りフレーミング」という技法と同じなのですが、
自分の考え方を少し工夫する事で、ストレスは軽減できるんだと思います。(^^)

■言葉の意味
リフレーミング(reframing)とは、
ある枠組み(フレーム)で捉えられている物事を枠組みをはずして、
違う枠組みで見ることを指す。

元々は家族療法の用語。
同じ物事でも、人によって見方や感じ方が異なり、
ある角度で見たら長所になり、また短所にもなる。

例えば、試験で残り時間が15分あった場合、
悲観的に考えた場合は「もう15分しかない」と思うし、
また楽観的に考えた場合は「まだ15分もある」と思うこと、など。

■ 与謝野 鉄幹  ◇出典 http://blogs.yahoo.co.jp/e_dream21/34913540.html
歌人。鉄幹は号。与謝野晶子の夫。後に慶應義塾大学教授。文化学院学監。
明治25年上京,落合直文に師事し浅香社に参加。
27年歌論「亡国の音」を発表し,和歌の革新をとなえる。
32年東京新詩社を創立して「明星」を創刊・主宰,
妻与謝野晶子(あきこ)とともに浪漫主義文学運動を推進した。
昭和10年3月26日死去。63歳。京都出身。本名は寛(ひろし)。
詩歌集に「東西南北」,歌集「相聞(あいぎこえ)」など。
妻をめとらば才たけて 
みめ美(うる)わしく情(なさけ)ある
友をえらばば書を読みて 
六分(りくぶ)の侠気(きょうき)四分の熱

恋の命をたずぬれば 
名を惜しむかな男ゆえ
友の情けをたずぬれば 
義のあるところ火をも踏む

汲めや美酒(うまさけ)うたひめに 
乙女の知らぬ意気地あり
簿記(ぼき)の筆とる若者に 
まことの男君を見る

あゝわれコレッジの奇才なく 
バイロンハイネの熱なきも
石を抱(いだ)きて野にうたう 
芭蕉のさびをよろこばず


- 雑 感 -
「人を恋うる歌」は16番まであり、私もたまに口ずさむ詩です。
どのような意味かというと、「男は理想と熱情を抱いて生きろ」です。
明治・大正・昭和初期の若者のロマン的で野心的で、かつ高踏的な気風がよく出ている詩です。
妻、友、我・・

私は俗塵にまみれて自己嫌悪気味です。
久々に心を洗ってみたく歌ってみました。(-_-;)

■ 小村 寿太郎  ◇出典 http://blogs.yahoo.co.jp/e_dream21/34911977.html
外交官、政治家。外務大臣、貴族院議員などを務めた。
侯爵。日向国飫肥藩(現在の宮崎県日南市のほぼ全域および宮崎市南部)の
下級藩士・小村寛平と梅子の長男として生まれる。
明治3年(1870年)、大学南校(東京大学の前身)に入学。
第1回文部省海外留学生に選ばれてハーバード大学へ留学し、法律を学んだ。
帰国後は司法省に入省し、大審院判事を経て、1884年に外務省へ転出する。
陸奥宗光に認められて、1893年に清国代理公使を務めた。
日清戦争(1894年-1895年)。
乙未事変の後、三浦梧楼に代わって駐韓弁理公使を務め、
在朝鮮ロシア総領事のカール・ヴェーバーと小村・ウェーバー覚書を交わした。
その後、外務次官、
1898年に駐米・駐露公使を歴任。
1900年(明治33年)の義和団の乱では、講和会議全権として事後処理にあたった。
1901年(明治34年)、第1次桂内閣の外務大臣に就任。
1902年(明治35年)、日英同盟を積極的に主張して締結に持ち込む。その功により男爵を授けられる。
日露戦争後の
1905年(明治38年)、ポーツマス会議日本全権としてロシア側の全権ウィッテと交渉し、
ポーツマス条約を調印。
もし私に誇るべきものがあるとしたら、
それはただ「誠」という言葉に
集約されるであろう。

つまるところ、
学問や同胞との付き合いでも、
また将来のことを考える場合でも、
この「誠」の心を忘れずに
貫く覚悟でいるのだ。

- 雑 感 -
私と私の祖父は時代劇が大好きで、私が中学生の時に、
京都の池田屋に連れて行ってもらい、後日、祖父より幕末に活躍した新撰組のシンボルマーク、
「誠」の文字を半紙に筆で書いてもらい宝物のように大切にしていました。
「誠」とは、本当のこと。
うそ・偽りのないこと。
誠実で偽りのない心。
すなおでまじめな心。
と辞書には書かれています。
今にして思えば、時代劇好きな私の性格を利用して
「誠」の心を教えてもらったのだと感じています。
私も常に「誠」の心を忘れずに
貫く覚悟でありたいと思います。(^^)

■ 正受老人(しょうじゅろうじん)  出典 http://blogs.yahoo.co.jp/e_dream21/34910197.html
道鏡 慧端(どうきょう えたん、寛永19年10月22日〈1642年12月13日〉
享保6年10月6日〈1721年11月24日〉)は江戸時代の臨済宗の僧侶。
正受老人の名で知られている。
信州松代藩主真田信之の庶子。
19歳で出家し、至道無難などの指導を受ける。
臨済宗中興の祖と称される白隠慧鶴の師で、
白隠が大悟したと思い込み慢心していたところを厳しく指導し、
正しい悟りに導いた。
吾れ世の人と云ふに、
一日暮らしといふを工夫せしより、
精神すこやかにして、又養生の要を得たり。
如何ほどの苦しみにても、一日と思へば堪へ易し。

楽しみも亦、
一日と思へば耽(ふけ)ることあるまじ。
一日一日と思へば、退屈はあるまじ。
一日一日をつとむれば、百年千年もつとめやすし。
一大事と申すは、今日只今の心也。

- 雑 感 -
正受老人は、
「今日すべき事を翌日に持ち越さず、今日する事は今日きちんとやり、
そして今日は自分ながら一生懸命やったな。
と言う満足感を得られるような暮らしを心掛けたいものだ。
今日の事は今日始末せよ。」
とおっしゃっています。

私は明日があると思うから、
その日のことを怠りがちになり、
困難な事は後回しにして、
明日やればいいと、
ほどほどに過ごしてしまいがちです。

私は「1年の計は元旦にあり」と考えていても、
今ここににいる、この一刻の、この今を
どう生きるか暮らすかを考えていませんでした。
親孝行もそのうちに・・、と。日々修行です。(-_-;)

■ スティーブ・ジョブズ  ◇出典 http://blogs.yahoo.co.jp/e_dream21/34908220.html
アメリカ合衆国の実業家。
スティーブ・ウォズニアックらと共に、商用パーソナルコンピュータで
世界初の成功を収めたアップル社の共同設立者の一人。
また、そのカリスマ性の高さから、発言や行動が常に注目を集め続けた。
すばらしい仕事をするには、
自分のやっていることを
好きにならなくてはいけない。

まだそれを見つけていないのなら、
探すのをやめてはいけない。
安住してはいけない。

心の問題のすべてがそうであるように、
答えを見つけたときには、
自然とわかるはずだ。

- 雑 感 -
私は、花屋を生業とする前に工業系の会社で働いていました。
阪神大震災に被災した経験から、花の仕事というよりも、
「人の真心・気持ち」を扱える仕事がしたいと思うようになり、
会社を辞めて花屋になりました。
天職と思い、毎日を精一杯生きています。(*^^)v

■ 坂村 真民  ◇出典  http://blogs.yahoo.co.jp/e_dream21/34906547.html
仏教詩人。一遍の生き方に共感し、癒しの詩人と言われる。
愛媛県砥部町に「たんぽぽ堂」と称する居を構え、毎朝1時に起床し、
近くの重信川で未明の中祈りをささげるのが日課であった
。詩は解りやすい物が多く、小学生から財界人にまで愛された。
特に「念ずれば花ひらく」は多くの人に共感を呼び、その詩碑は
全国、さらに外国にまで建てられている。
森信三が早くからその才覚を見抜き後世まで残る逸材と評した。
昼の月を見ると
母を思う

こちらが忘れていても
ちゃんと見守って下さる
母を思う

かすかであるがゆえに
かえって心にしみる
昼の月よ

- 雑 感 -
私は、人生で苦しい事、辛い事が有ると坂村真民さんの詩を読み返しています。
坂村真民さんのお母さんは、36才で未亡人になり、女手一つで5人の子供達を育て、
母をテーマにした詩も多く書かれています。

昼間に、ふと空を見上げて、白く透けるような月を見るたびにこの詩と、
そして母のことが思い浮かびます。

親孝行・・とても簡単なようで難しいです。
詩を読んで自分の人生を振り返ると恥ずかしくなってしまいます。
頑張らなくてはと思うのですが、なかなか気持ちが継続できません。
日々修行です。(-_-;)

■ 吉野 弘 ◇出典  http://blogs.yahoo.co.jp/e_dream21/34904177.html
詩人。山形県生まれ。
1942年、旧制の商業学校を戦時繰り上げ卒業。
徴兵検査に合格したが、入隊直前に終戦を迎えた。
石油会社に入り労働組合活動に携わるが、結核のため療養中に詩作を始めた。
53年、川崎洋らの詩誌「櫂(かい)」に参加した。
「I was born」を含む第1詩集「消息」(57年)で、
生活者の痛みを澄明な言葉で表現する戦後詩人として注目を浴びた。
「感傷旅行」(71年)で読売文学賞、「自然渋滞」(89年)で詩歌文学館賞を受賞。
他の詩集に「幻・方法」「北入曽」「陽を浴びて」など。
評論「現代詩入門」も広く読まれた。
2014年1月15日21時48分、肺炎のため静岡県富士市の自宅で死去した(87歳)
いつものことだが
電車は満員だった。

そして
いつものことだが
若者と娘が腰をおろし
としよりが立っていた。

うつむいていた娘が立って
としよりに席をゆずった。
そそくさととしよりが坐った。
礼も言わずにとしよりは次の駅で降りた。

娘は坐った。

別のとしよりが娘の前に
横あいから押されてきた。
娘はうつむいた。
しかし
又立って
席を
そのとしよりにゆずった。
としよりは次の駅で礼を言って降りた。

娘は坐った。

二度あることは と言う通り
別のとしよりが娘の前に
押し出された。
可哀想に
娘はうつむいて
そして今度は席を立たなかった。

次の駅も
次の駅も
下唇をキュッと噛んで
身体をこわばらせて−−。

僕は電車を降りた。

固くなってうつむいて
娘はどこまで行ったろう。
やさしい心の持主は
いつでもどこでも
われにもあらず受難者となる。

何故って

やさしい心の持主は
他人のつらさを自分のつらさのように
感じるから。

やさしい心に責められながら
娘はどこまでゆけるだろう。

下唇を噛んで
つらい気持ちで
美しい夕焼けも見ないで。

- 雑 感 -
私は吉野弘さんの詩の中で、少し切なくて胸キュンとなってしまうこの詩が大好きです。
満員電車で「お年寄り」に席を譲る事って、当たり前の事なのですが、
今の世の中できない人がいっぱい居ます。
席を譲られる事に感謝される人も居れば、
まだ年寄り扱いされたく無いと席を譲られる事に抵抗感を持つ人も居ます。
3番目の「としより」と思われる人には、あえて席を譲らず、
その人の心を傷つけないようにじっと唇を噛んで時が経つのを待っている、
娘さんの優しさを感じてしまいます。
優しい人は、優しいゆえに、人の心の痛みがわかり、傷つくことも多いから・・。
女の子が気づかなかった美しい夕焼けとは、女の子の心の美しさかなぁ、と思います。(^^)

吉野弘さんのご冥福をお祈りします。

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